第19話 のぞみグリーン車
東京駅を出発した東海道新幹線『のぞみ』。
静かで快適なグリーン車内に、リオの満足げな声が低く響いていた。
「ほう……『駅弁』とやらは実によく出来ておるな。唐揚げあり、玉子焼きあり、煮物あり、お新香ありで、この箱の中にフルコースが再現されておる。我がドラゴニア宮殿の宮廷料理人にも見せてやりたいほどだ……」
「お気に召して何よりでございます、リオ様。食後のデザートには、のぞみ名物のカチカチに凍りついたアイスクリームもあるようです」
ふかふかのシートに深々と腰掛け、心底楽しそうに至福の表情を浮かべる主従。
その隣で、咲良は駅弁のフタを握りしめたまま、二人へ冷ややかなジト目を向けていた。
「ねえ、二人とも……一応確認だけど、私たちはこれから日本と妖の命運を賭けた殴り込みに行くのよね?」
「何を言うか咲良。戦の前に腹を満たすのは兵法の基本だぞ」
(修学旅行気分じゃん……)
咲良が深々とため息をついた、まさにその時だった。
――ガタッ……!
小田原を過ぎ、列車が熱海へ向かう暗いトンネルへと差し掛かった瞬間、グリーン車の車内灯がチカチカと不気味に明滅し始めた。
「……ん?」
咲良のキツネ耳がピクリと動く。九尾の鋭い直感が、車内に急激に満ち始めた禍々しい妖気を捉えていた。
直後、先頭席のリクライニングがありえない角度でバタンと倒れた。
それを皮切りに、乗客を豪快にはね上げながら、次々と座席がものすごい勢いで全倒れしていく。
「わー!!!!」
「キャー!!!!」
静寂を誇るグリーン車内は、一瞬にして阿鼻叫喚の大混乱へと陥った。
(これは枕返し……!? 乗客のリクライニングを無断で限界まで倒して戻してるの……!?)
咲良が状況を把握すると同時に、自分たちのすぐ目の前にあるシートまでガタガタと激しく揺れ動き、逃げる隙もなく猛烈な勢いで倒れ込んできた。
「オオオッ! 我の駅弁がー……!」
容赦なく倒れてきた前席の背もたれに打たれ、宙を舞うおかずとお米。
無残な姿となってグリーン車の高級感あふれる絨毯へと散らばったお弁当を見つめ、リオの黄金の瞳に冷ややかな怒りの炎が宿る。
チカチカと不気味に明滅を繰り返す照明の下、倒れ切った座席の奥から、
ニヤニヤと不気味な悪意を浮かべた黒い影がヌッと立ち上がった。
「ヒヒヒ……! 萬天会の大僧正さまより遣わされし妖『枕返し』を取り込んだ夢界が、乗客どもをまとめてグリーン車とは思えぬ非快適さに叩き落としてやるわ――!」
「……ぬぅ……我が至高の食事タイムを邪魔するだけでなく、グリーン車の快適性という名の平和を脅かすとは、いい度胸ではないか……」
リオは煮え滾る怒りに震えながらも、低く一言だけ発した。
「ヴァイス」
「御意」
その一言を聞くやいなや、ヴァイスが静かに一歩を踏み出し、夢界のほうへ目にも留まらぬ凄まじいスピードで突進していった。
あまりの早さに夢界は反撃のタイミングすら掴めず、真横を風のように素通りされ、ヴァイスはそのままデッキへと消えていった。
「……は?」
「……え?」
呆然と取り残され、顔を見合わせる夢界と咲良。
すると次の瞬間、素早い足音とともにヴァイスが再び車両内へ現れた。
その手にはゴミ回収用・茶色の袋がしっかりと握られている。
ヴァイスはフリーズしている夢界の脇を何事もなかったかのように通り抜け、
リオの横に戻るやいなや、膝をついて床に散らばった弁当の残骸をそそくさと掃除し始めた。
「ゴミの撤去が完了致しました」
「うむ!!」
何事もなかったかのように手際よく絨毯のお米とおかずを拾い集め、完璧な動作でゴミ袋の口をしばるヴァイス。
あまりにも洗練された執事の所作に、大混乱に陥っていた車両全体が一瞬にして水を打ったように静まり返った。
「……え、掃除だけ!?」
咲良が思わず素でツッコむ。
「な、なんだ貴様らはーッ! 俺を無視して掃除だと!? ふざけるなよ、萬天会の幹部たるこの夢界さまを愚弄するかーっ!!」
完全に置いてけぼりを食らった夢界が、顔を真っ赤にして激怒した。
ド黒い妖気を激しく滾らせると、手中に集めた呪力で車内の全シートを一斉に逆向きへクルクルと猛回転させ始めたのだった。




