第13話 空からの訪問者
咲良が不穏な気配を感じ取り、リオの視線を追って夕空を見上げた、まさにその時だった。
カツン、と世界の時間が一瞬止まったかのような錯覚。
茜色に染まっていた夕暮れの空が、ガラスにヒビが入るかのようにバリバリと音を立てて歪み始めた。
「え、なに……!? 空間が……歪んでる!?」
咲良が息をのむ。
「咲良。辺り一帯に幻術を敷き、あの空間や我らの姿を人に見えぬようにできるか?」
「できるけど……百鬼夜境よ。我らを覆い隠せ……!」
咲良が呪文を唱えると、幻惑の霧が立ち込め、リオと咲良の姿は周囲の日常から完全に遮断されていった。
「だけどどうして? あれが関係……」
咲良が言いかけたその束の間、傍らに佇んでいたヴァイスが突風を巻き起こし、巨大なドラゴンへとその姿を変貌させた。
「乗れ!! 咲良!」
いつものどこか真剣味のないリオとは思えぬ、迫力に満ちた声。
咲良は逡巡する間もなくヴァイスの背へと飛び乗った。
ヴァイスは垂直に飛翔し、空間の亀裂を目指して疾風のごとき速さで上空へと駆けあがる。
歪んだ次元は当初、空に開いた漆黒の穴のように見えていた。
だが接近するにつれ、それがただの穴などではなく、巨大な黒銀の軍艦の船首であることが露わになっていく。
甲板には、漆黒の鱗と重装甲に身を包んだ精鋭の竜族兵たちがズラリと立ち並んでいた。
「リオ!! あれって……」
「うむ」
『……見つけたぞ。ついに見つけたぞ……! 我らがドラゴニア王国の至宝、リオ王子をぉぉぉ!!!』
雷鳴のごとき大音声が上空から轟き渡る。
甲板の先頭に立つ巨躯のドラゴンは、全身に無数の傷痕を刻んだドラゴニア王国騎士団長、バルトメウスであった。
「ドラゴニア……!? 竜族の軍勢!?」
凄まじい圧力を前に、咲良の体内から思わず妖気が溢れ出してしまう。
頭からは狐耳が飛び出し、お尻からはふわふわの尾が顕現して、またしてもあの「どん兵衛の吉岡里帆」のような姿に戻っていた。
「リオ、あんたいったい何したのよ!!!」
「特になんにもしておらんが。ただ戴冠式の日に逃げただけだな」
(絶対それだよ!!!)
全貌を現した軍艦の前にヴァイスたちは停止した。船首に立っているバルトメウスが低く重厚な声を上げた。
「……ヴァイス。リオ様はいずこだ?」
「……」
静寂が漂う。
咲良とヴァイスの視線が、示し合わせたようにゆっくりとリオへと向かった。
そこにいるのは、眩い夕日を頭部に反射させながら、あだち充の文庫本を大事そうに懐に収めているハゲ頭のリオ。
「……バルトメウス団長。ご無沙汰しております。リオ様は私の背に」
バルトメウスと兵たちの鋭い視線が一斉にヴァイスの背へと注がれる。
「愚弄するのはよせ。ハゲの人間と女狐がおるだけではないか」
「そのハゲの人間がリオ様でございます!!」
「ハハッハハハ!! そんなわけがなかろう? あの麗しき銀髪のリオ様がハゲ人間だと?」
「……久しいの、バルトメウス。色々あってこんなヘアスタイルになったわ」
リオがない髪をかき上げるような仕草をしながら、バルトメウスへ朗らかに声をかけた。
「リ、リオ様??? 真でございますか!?」
「そうだ。これも乙なものであろう」
「……ええ。リオ様はどんな髪型でもお似合いでございます。しかしまさかハゲとは……」
「で、なぜ我の居場所がわかった?」
「……それは秘密でございます。今後の警備に支障が出てしまいますので……」
ヴァイスが不自然に少し身震いをした。
「ヴァイス、貴様……」
「いえ、そろそろドラゴニア王国に帰りたいなと思って……連絡を……」
「き、貴様!! 竜族の分際でホームシックにかかる奴がおるか!!」
「だって人間界の生活、ストレスが強すぎるんです!! ゴミを捨てるのにも捨てちゃダメな日があって、分別もしなくちゃいけなくて……全部燃やし尽くせばいいじゃないですか!!!」
ヴァイスがドラゴン形態のまま情けなく叫ぶと、バルトメウスは呆れたように大きな鼻息を噴き上げた。
「我が王国の至宝であるリオ様が無事であったこと、それだけで今日の任務は八割方完了だ。——さあ、残りの二割を果たすとしよう。リオ様、ご一緒にご帰国のほどを……」
「嫌だな。まだ我には成すことがある」
「やはり素直には応じてくださらんか……」
バルトメウスが威厳を込めて腕を大きく振り上げた。
その後方の兵たちが、ザッ!と一斉に歩調を合わせ、重々しい金属音を立てながら「例の箱」を甲板の中央へと運び出す。
禍々しくも神聖な古の符印が幾重にも刻まれた、漆黒の宝箱。
(な、なにアレ……!? 凄まじい怨念を感じる……!!)
咲良は冷や汗を流して身を乗り出した。
バルトメウスが厳かに宝箱の留め金に手をかける。
ガコンッ!! パカァァァアアア……!!
宝箱から解き放たれる、眩いばかりの黄金の光。息をのむ咲良。固唾をのむヴァイスと咲良。
光が収まり、宝箱の中身が露わになった。
そこに鎮座していたのは、圧倒的な造形美と彩色で立体化された、浅倉南の限定フィギュアであった。
しかも、新体操のレオタード姿で燦然と輝く、世界にわずか数十体しか存在しないといわれる超プレミアム仕様である。
「えっと……は?」
咲良があっけにとられる中、ヴァイスは目を見開いて叫んだ。
「あ、あれはリオ様の宝物……!!!」
どん兵衛の吉岡里帆の姿をした咲良が、あまりのシュールな状況に狐耳をペタリと倒して思考を停止させた。
バルトメウスがフィギュアを鷲掴みにし、大音声を上げた。
「リオ様!! このフィギュアがどうなってもいいと言うのですか!? もしご一緒に戻らぬ場合は、私の業火で灰と化しましょうぞ!」
「な……!! わ、我の南ちゃんフィギュアを灰にするだと……!? ぬぅ、なんと卑劣な……!」
「……あんなもの、どうだっていいでしょ!?」
あまりのくだらなさに呆れ果てた咲良が、リオに向かって声をかける。
「な……!? 咲良、貴様にはあのフィギュアの神々しさがわからぬのか!!! 360度どこから見ても南ちゃん!!! 眺めておると自然と『タッチ』の主題歌も脳内に流れ出して、気づけば数十分経っておるのだぞ!!!」
「リオ様!!! いかがですか!? ご一緒に戻りましょう!!!」
バルトメウスがフィギュアを高らかに掲げ、リオへと迫る。
「……ぐぅ……っ!!」
リオは奥歯を強く噛み締めすぎたせいで、唇の端から赤い血が細く流れていた。
(なんなの……いったいなんなの……!?)
咲良は心底からの虚無感に包まれ、今すぐ家に帰りたい気持ちでいっぱいだった。
「……帰らん」
「な、なんと……!?」
「我は帰らぬ!!! この日本で青春を満喫するのだーーーーっ!!!人質など我には効かぬ!!!」
「リ、リオ様……そこまでの想いで! ならばこのフィギュア、灰と化すまでーーーーっ!!!!!」
バルトメウスが巨大な口を大きく開くと、周囲の空気が凄まじい勢いで吸い込まれていく。
その奥深くに禍々しい魔法陣が浮かび上がり、光が凝縮して眩く輝き始めた。
空気を細かく震わせる高周波の波長音が、周囲一帯に響き渡る。
「あ、あれは山をも消滅させるバルトメウス団長の咆哮——『火輪廻』!!」
ヴァイスが緊迫感に満ちた絶叫を上げる。
「山っ!? う、ウソでしょ!!! 火加減間違えてんじゃないの!!?」
咲良も恐怖のあまり、とっさにヴァイスの背中へ身を隠した。
そして今にも破壊の咆哮が解き放たれると思った、まさにその刹那——。
「……できっこない!!!! できっこないよぉぉぉーーーーっ!!!! 南ちゃんを燃やすなんてーーーーーっ!!!!!」
バルトメウスがフィギュアを愛おしそうに胸に抱きしめ、甲板の上にドスッと崩れ落ちてうずくまった。
リオが軍艦へとしなやかに飛び乗り、うずくまるバルトメウスへと近づくと、その肩へ静かに、そして優しく手を置いた。
「バルトメウスよ。貴様も……やっとわかったのだな」
「……はい……っ。この造形美……。新体操の凛とした立ち姿、そして南特有の圧倒的なヒロイン感……。完璧でございます……っ」
「バルトメウスめ!! よくぞ申したーーーーっ!!!!」
感極まり、大粒の涙を流しながら巨体を震わせるバルトメウスを、力強く抱擁するリオ。それを見た兵たちも涙を流している…。
「なんなの? あんたたちってバカ族なの?」
ヴァイスの背の上で、冷めきった咲良の呟きが虚しく響き渡っていた。




