第6話:影との契約:エレインの目覚め
世界は、闇だった。
ただ目を閉じた時の暗さではない。
――それは、星々が生まれるよりも前の、原初の闇みたいに...
息づき、鼓動し、こちらを見つめ返してくるような……そんな闇だった!
エレインは裸足のまま、黒い海の上に立っていた。
頭上には、紫色の雷雲が渦を巻き、血のように赤い月が不気味な静寂を保っていた。
彼女は、元の姿に戻っていた。
あの浮遊する亡霊のような怪物ではない。ただの――
ただの、フリル付きの寝巻きを着た怯えた少女。
水面に映る自分の姿を、じっと見つめていた。
……けれど、その“映し身”は――自分ではなかった。
針のような歯をむき出しにして、ニヤリと笑った。
「ついに来たのね」
水面の中の“それ”が言った。
エレインの唇が震える。「だ、誰……誰なの……?」
「私は“おまえの継承”」
『それ』は答えた。
「おまえの血に眠る贈り物。おまえの思考からすら隠されていた力。神々はおまえを恐れた。だから、おまえを封じた。夢を閉ざし、魂を檻に入れたのよ」
「ち、違う……あたしはただの……ただの奴隷だっただけ……」
その瞬間、黒い海がうねりを上げた。まるで生き物のように、巨大な柱となって彼女を包み込む。
その中に浮かぶのは……顔。目も口もない、幽霊のような顔が、音もなく悲鳴を上げていた。
“それ”は嵐とともに上昇し、獣のように彼女の上にそびえ立った。
「おまえは“ただの奴隷”なんかじゃない。“蒼白なる飢え”の最後の継承者だよ」
……蒼白なる……飢え……?
エレインの膝が崩れた。
「おまえの祖先は、“帳の向こう”に棲まう死せる神々と契約を結んだ。復讐を。力を。肉を――そのすべてを与えられた。彼女は受け入れ、娘を産んだ。そして幾世代を経て……残っているのは、おまえただ一人」
「やめて……」
エレインはか細く呟く。
「だが、だからこそ――鎖はおまえを縛れなかった。恐怖が命令へと変わり、死がその声に従ったのだ」
黒い海が静まる。
水面の“それ”は優しげな声になった。まるで――母親のように。
「でも、おまえはまだ幼い。未熟なままでは、その力はおまえさえも喰らうわ」
「じゃあ……どうすれば、いいの……?」
そのとき、闇の中で小さな黒い炎が揺らめいた。
そこから、ゆっくりとひとりの女が現れる。
黒いローブに身を包み、顔はヴェールで覆われ、声はまるで墓場に流れる子守唄のように静かだった。
「その力に、餌を与えなさい――ただし、“肉”ではなく、“意志”を」
「……意志?」
エレインは目を瞬かせた。
女はうなずく。
「力を制御するには、ルールが要る。構造が要る。自分の信じる“目的”に従わせるのよ。飢えを破壊に使うのではなく――守るために、導くために使うの」
「でも……どうやって……?」
ヴェールの女は、そっと両手を広げた。
影で編まれた巻物が、目の前に広がる。
そこに刻まれた文字は古代のもの――光りながら、異様な熱をもって、エレインの意識に焼き付いてくる。
「これが《縛餌の儀式》――“影との契約”。全文を唱え、そして……自分の“真の願い”をひとつ、代償として捧げなさい。それでようやく、闇はおまえに従うわ」
エレインは一歩、後ずさった。
「……でも……あたしは、まだ子どもだよ……」
鏡の中の“彼女”が、そっと微笑んだ。
「子どもでも、選ばれることはある。子どもでも……世界を背負うことはできるのよ」
――そして、夢は静かに、消えていった――!
エレインは割れた鏡の前に立っていた。
その中に映るのは、黒い瞳をした自分――
……すべてを思い出した自分だった!




