第32話:黎明の王国、エスカルディア
翌日:
ステンドグラスの窓から差し込む朝日が、室内を柔らかな金色と淡い薔薇色に染めていた。
俺はベルベットのシェーズロングの端に背筋を伸ばして座り、無意識に張り地を撫でていた。ばかばかしいほど柔らかすぎる──この場所の他のすべてと同じように。
壁は磨き上げられた大理石で、絡み合う花の紋様が刻まれている。
ジャスミンと香の香りが濃厚に漂い、異国的で息苦しい。俺はここに属しているべきではない者だ。知っている世界じゃないから。
反乱軍の隠れ家もない。冷たい石壁もない。ヴィオレッタの威圧的な存在も。ヴェレナの笑い声も。エレインの小さな手の温もりも......
ただ静寂と記憶だけが残った。
「......」
顎に力を込めた。
胸が締め付けられるようだ。まるでサイズの合わない鎧を着ているかのように。
今でもこの部屋の外で、壁に沿って見張り役として待機している騎士や兵士もいるだろう、俺がここから無断で逃げ出さぬように......昨日もあいつらに連れてこられたしな、この客人用の部屋へ......
トントン!
ノックの音がして、返事をする間もなかった。
両開きの扉がひとりでにきしみながら開いた。魔術か? それとも傲慢な王女の現れか?
「...」
レイザリア王女が、権力を香水のようにまとって颯爽と入ってきた、無言で。
昨日の赤色のドレスと違って、彼女は金の縁取りが施された真白な軍服を着ており、ウエストはきつく締まり、ヒップでふっくらと広がっている。
長い金髪の編み込みは鞭のように揺れ、ブーツの一歩一歩が大理石の床に権威ある響きを残す。小さな体形ながらもその服装と実際の地位が合わさると清々しい程に上流階級の一員だなぁって思わせる威厳に満ちている佇まいだ。
彼女は一人ではなかった──青白い肌の廷臣三人と無口な侍女二人が後ろにつき、まるで檻の中の珍獣でも見るように黒色肌の俺を観察していた。
「さて、異邦人よー」
王女は歯切れの良い声で言った。
「大オラクルがあなたの話を確認したわ。あなたは自然に発生された異界間の歪み魔力の波紋によって我が国に引き込まれた──稀で不安定だが、現実の現象よ...」
俺は立ち上がった。
「なら…帰れる...のか?」
彼女は一瞬止まり、声の温度が下がった。
「いいえ。故意的に再現する術は今のところないはずよ」
「…そうか」
俺はたじろがなかった。そんな満足は与えぬ。
「...随分と冷静ね」
彼女は珍しい動物を観察するような目で言った。
「崩れるほど甘くはない」
彼女の鋭く読み取れない視線が俺にとどまった。
「なら、提案があるわ」
腕を組んだ。
「聞こう」
「ワタシの保護下に入りなさい。そして、…ワタシに仕えるのよ。...騎士として。というより、異世界の剣士として」
眉を上げた。
「つまり、俺のことを武器として使いたいと?」
彼女は得意げに微笑んだ。
「地下牢で腐るよりましでしょ?...王城において、働かざるものは食うべからずよ」
それでも、王女のその言葉を聞いた後の俺は自然と苦言を言いたくなるほどに口元が歪んだ。
「俺は既に誰かの武器になっていたんだがな...」
そう。俺はヴィオレッタ様の忠実なる部下だ。
こんな訳の分からない世界で他の女の右腕になるつもりは毛頭ない。
だけど、頑固な態度ばかり貫くのも得策ではない気がするんだよなぁ......
...柔和な対応も、たまに必要なのかもしれぬ。
彼女はついさっき俺が発した言葉に対して、一瞬たじろいだ。
「あなたの世界の女王様かしら?」
俺は答えるのに躊躇した。
ヴィオレッタ様の冷たい銀の瞳が脳裏をよぎる──常に命令口調の声。
石床を踏むハイヒールの靴音。
俺が跪いて磨く時の彼女の唇の曲線。
そして柔らかな記憶──エレインの温かな抱擁。
シスター・ヴェーレナのからかい。
炎の灯りの中の笑い声。
「…そういう女だ」
レイザリア姫は悟ったように笑った。
「ふふふん~、もしあなたを失うほど愚かな女なら、私が貰い受けるだけよ?」
拳を握り締めた。
「まるで物品になったような気分だな、今の俺は...」
「私のプライベートな寝室に侵入したのだから責任取らないとね~?」
彼女は滑らかに言った。
「少しの賠償は当然でしょ、いくら何でも?」
一歩前へ出て、声を低めた。
「...それでも、俺は売り物なんかじゃないぞ?」
彼女の微笑みが広がった。
「ふふふ、結構よ。ただ周りに言われた言葉を素直に従うだけで自分の意見も言えないようでは、そんな男を側に置く価値もあまりないわね」
コートを翻して振り返った。
「さあ、今日は宮殿を案内する。騎士になるかどうかはさておき、エスカルディア王国でのあなたの立場を先に学びなさい。そして今夜は…」
鋭く不可解な視線を投げかけながら、振り返った。
「…ワタシと二人だけの食事を頂戴するわ」
バタン!
扉が彼女の後に鈍い音を立てて閉まった。
息を吐き、腰の剣の位置を直した。
またしても女王様気取りの女か。
またしても戦場のような場所だな、ったく......
まあ、ひとつ違いがあるとすれば、ただの貴族令嬢のヴィオレッタよりも、今回のは本当の意味で王族身分の女だから、女王様のように振る舞っていても当然のことだ...
ただ今回は、血と石ではなく絹と黄金に輝いているだけの女だな、あの殺戮のハイヒール悪白女と違って......
つまり、今までと違い何もかも状況が違ってくるのだ、これからは......
なにせ、この異世界の国は、ヴィオレッタ様と俺の世界にあるトレヴァリス王国からも自分自身の故郷のアンハーラからも途轍もなく遥かに遠く離れた場所だからだ。
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