第44話 幸せのカタチ
数日後。絵神原通りの商店街は、今日も活気に満ち溢れていた。
高く澄み切った青空の下、千蔵屋穂波は、新しく挽き上がったばかりの「黄金雪」の粉袋を台車に乗せ、元気よく各店舗への配達に回っていた。
「湊、お待たせ! 今日の分の粉、持ってきたよ!」
最初に訪れたのは、手打ちうどん「みなと亭」。昼のピーク時で店内は満席だったが、勝手口から顔を出した結城湊は、穂波の姿を見るなりパァッとタレ目を輝かせた。
「ありがとう、穂波ん。……ちょっと、こっちに来て」
湊は穂波の手を引くと、従業員も入ってこない奥の狭いパントリーへと彼女を引き込んだ。
「えっ、ちょ、湊……今、すごく忙しい時間じゃ……」
「だからだよ。忙しすぎて、穂波ん成分が足りなくて倒れそうなんだ」
大柄な湊が、背後からすっぽりと穂波を包み込むように抱きしめる。うどんを打つ逞しい腕にホールドされ、首筋にすりすりと顔を埋められた。
「少しだけ、充電させて……」
甘えるような声とともに、振り向かされた穂波の唇に、深く、とろけるような優しいキスが落とされる。出汁の優しい香りと、彼の温かい体温に包まれ、穂波はたまらずトロンと目を潤ませた。
「遅ぇぞ穂波!」
次に訪れた麺処「獣王」では、厨房の熱気と豚骨の香りが充満する中、伊乃草凱が待ち構えていた。彼は台車から粉袋を軽々と片手で持ち上げると、空いたもう片方の手で穂波の腕を掴み、巨大な冷蔵庫の死角になる極小のスペースへと彼女を強引に押し込んだ。
「凱!? お客さん、いっぱい並んでるのに!」
「関係ねえ。俺のエンジン回すには、これが必要なんだよ」
ドンッ、と壁に手をつき、逃げ場を塞ぐ。野性的な瞳で彼女を見下ろしたかと思うと、息をつく暇も与えないほど熱く、貪欲なキスを奪ってきた。
「んっ……ぁ……凱、だめ、誰か見て……っ」
「見られても構うもんか。お前は俺の女神だ」
唇を離し、ニヤリと好戦的に笑う凱。その強引で男らしい愛情表現に、穂波の心臓は休む暇もなく早鐘を打たされる。
「待っていたよ、我が麗しの穂波さん」
最後に配達に訪れたトラットリア「ルーチェ」では、浦涼真が待ち構えていた。彼はスタッフルームの扉を開けるなり、穂波をスマートに引き込み、カチャリと鍵をかけた。
「りょ、涼真だめ……! ランチタイムのオーダーが……」
「私の完璧な計算にかかれば、厨房を三分間離れてもパスタの提供に狂いは生じない」
涼真は知的な銀縁の眼鏡をスッと外し、穂波の腰を抱き寄せて密着した。
「他の二人の匂いがするね。……私のキスで、すべて上書きしてしまおう」
涼真の端正な顔が近づき、計算し尽くされた角度で、甘く、そして理性を溶かすような深い口付けが落とされる。エレガントで逃げ場のない大人のエスコートに、穂波は完全に足の力を抜かれてしまった。
三店舗への配達が終わる頃には、穂波の愛情バロメーターは満タンを示し、息も絶え絶えだった。
(みんな、お店が忙しいのに……どんだけ私で充電するの……っ!)
隠れてキスをするというドキドキ感と、三方向からの熱烈すぎる愛情に当てられ、穂波はフラフラになりながら千蔵屋へと帰還したのだった。
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そして、昼のピークを終えた午後三時。
千蔵屋の居間にある大きなちゃぶ台を囲むようにして、四人は揃って座っていた。
「さあ、穂波ん。僕の究極のうどんだよ。胃に優しくて、君の粉の甘みを完璧に引き出してる。あーんして?」
湊が、黄金色に輝く麺を箸で持ち上げ、極上のオカンスマイルで迫ってくる。
「バカ言え、昼飯っつったらガツンとくるラーメンだろ! 俺の極濃スープと黄金雪のマリアージュ、一番に食え! ほら、あーん?」
凱が、湯気を立てる完璧なラーメン鉢をドンッと彼女の目の前に押し出し、麺を箸で持ち上げ、ヤンチャに笑う。
「君たちの料理は野蛮すぎる。彼女の繊細な味覚には、この完璧に乳化された至高のペペロンチーノこそがふさわしい。さあ、私の芸術を召し上がれ。あーん?」
涼真が、美しく盛り付けられたパスタ皿をエレガントに差し出し、パスタをフォークで持ち上げ、妖しく微笑む。
「俺のを食え!」
「僕のからだよ!」
「私のを食べるのが最も論理的だ!」
机の上に並べられた、和洋中の最強職人たちが全力を注ぎ込んだ三つの極上の一杯。
そして、彼女の隣を陣取り、「誰が一番君を愛しているか」を料理と熱視線で証明しようとバチバチに火花を散らす三人の男たち。
幼い頃に小麦アレルギーで絶望していた日々は、もう遠い過去のもの。
トラウマを完全に乗り越えた今、彼女の目の前には、大好きな小麦が形を変えた最高の料理たちと、何よりも彼女を愛してやまない三人の幼馴染たちがいる。
途方もない夢を共に叶え、誰一人欠けることなく、この先もずっと一緒に生きていく。
終わることのない三方向からの重すぎる愛の猛アピールに、穂波は顔を真っ赤に染め上げながらも、満面の、太陽のような笑顔を咲かせた。
「もう……愛情はいくらでも受け入れるけど、ご飯はお腹いっぱいだよぉ!」
黄金色に輝く絵神原の空の下、彼女の最高に幸せそうな笑い声が響き渡り、不器用で甘すぎる恋の物語は温かな幕を閉じるのだった。
第1章 完
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