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第43話 麦わら帽子

 絵神原町の郊外に広がる休耕地だった畑。

 見渡す限りの黄金色に輝いていた「黄金雪」はすでに刈り取られ、今は短い切り株だけが残る少し寂しい景色になっていた。しかし、そこには再び鍬を握り、泥まみれになりながら土を耕す四人の姿があった。早くも、来年の栽培に向けた土づくりが始まっていたのだ。


「ふうっ、今日も暑いね……」

 八月下旬の容赦ない太陽の下、使い込まれたエプロン姿の穂波が額の汗を手の甲で拭った。

 すると、背後から三つの大きな影が彼女を日差しから守るように覆い被さった。


「ほらよ」

 凱がぶっきらぼうな声で差し出したのは、一つの一風変わった帽子だった。

 それは、収穫の際に彼らがこっそりと持ち帰っていた黄金雪の『麦わら』を編み込んで作られた、手作りの麦わら帽子だった。編み目は少し不揃いで、ところどころ麦わらが飛び出しており、プロが作ったような洗練された美しさはない。


「これ……みんなが作ってくれたの?」

 穂波が驚いて目を丸くすると、三人は少し照れくさそうに視線を逸らした。

「俺たちが育てた黄金雪は、一ミリたりとも無駄にしねえよ。お前を日差しから守るには、こいつが一番だろ」

 凱が鼻の頭を擦りながら言う。

「居酒屋で三人がかりで編んだんだ。僕のうどんの生地よりコシがなくて苦労したよ」

 湊が温厚なタレ目を細め、苦笑いする。

「私の完璧な構造計算に基づくフラクタル構造だが、凱の野蛮な力のせいで少し歪んでしまった。だが、愛情という変数で補ってある」

 涼真が知的な銀縁の眼鏡を押し上げながら、もっともらしい顔で言い訳をする。


 不器用で、いびつで、だけど世界で一番温かい麦わら帽子。

 穂波はそっと帽子を受け取ると、自分の頭に被った。少し大きめのサイズだったが、黄金色の麦わらが彼女の栗色の髪によく似合っていた。


「……ありがとう。すっごく嬉しい!」

 穂波の満面の笑みを見た瞬間、三人の男たちの顔がパァッと明るくなった。しかし、彼らの喜びは、次の瞬間に訪れた予想外の出来事によって、完全にショートすることになる。


「いつも私を守ってくれて、本当にありがとう。みんなのこと……大好きだよ!」

 感動が胸に溢れた穂波は、背伸びをすると、まず最も近くにいた凱の頬に「チュッ」とキスをした。

「へっ!?」

 続いて、驚きで目を見開く涼真の頬に「チュッ」。

「なっ……!?」

 最後に、ポカンと口を開けている湊の頬に「チュッ」。


 いつもは強引に迫ってくる男たちへの、穂波からの不意打ちの『逆キス』。

 その破壊力は凄まじかった。

 絵神原通りを束ねる和洋中の最強職人たちは、顔を限界まで真っ赤に爆発させ、鍬を持ったまま見事に石像のようにフリーズしてしまったのだ。


「あ、あれ……? みんな、どうしたの?」

 きょとんと首を傾げる穂波の頭上で、太陽の光を浴びた手編みの麦わら帽子がキラキラと輝いている。互いを認め合い、すべてを懸けて愛し合う四人の絆が、確かな形となって結ばれた最高のハッピーな瞬間だった。


 土づくりを終えた日の夕方。

 千蔵屋製粉所のひんやりとした蔵の中では、今年の収穫から来年の栽培へ命を繋ぐための重要な作業が行われていた。

「一番良い種もみ」の選別である。

 穂波は特注のエプロンをきゅっと締め、絶対的な感覚を研ぎ澄ませながら、黄金雪の粒を一つ一つ丁寧に確認していた。その傍らでは、すっかりキスによるフリーズから立ち直った凱、涼真、湊の三人が、力仕事や袋詰めを手伝っている。


 静かな蔵の中に、突然、穂波のスマートフォンの通知音が響いた。


「あれ、メッセージだ。誰だろう……えっ!?」

 画面を見た穂波が、驚きの声を上げた。

「どうした、穂波ん?」

 湊が覗き込むと、そこには一枚の写真とメッセージが表示されていた。写真に写っていたのは、見事な黄金色に焼き上げられた幾層ものクロワッサンと、巨大なトロフィーを手にした洗練された青年の姿だった。

 送り主は、かつて千蔵屋に現れ、穂波をパリへと誘った天才パン職人、天城あまぎ慶太けいただった。


『約束通り、パリの国際コンクールで優勝して世界一のパン職人になったよ。君の粉を最高に活かせるパンを焼くために、近いうちに必ず絵神原へ君を迎えに行く。待っていて』


 そのメッセージを読み上げた瞬間、蔵の空気が一変した。

 先ほどまでの和やかな雰囲気は完全に消え去り、三人の男たちの目から業火のような闘志が噴き出したのだ。


「あのフニャパン野郎……! 俺たちの女神をまだ諦めてなかったのか!」

 凱がギリッと歯を鳴らし、拳をボキボキと鳴らす。

「ふっ、面白い。私の完璧な愛の数式に、再び『パン』というバグが干渉してくるとは。徹底的に排除するまでのことだ」

 涼真が銀縁の眼鏡を冷ややかに光らせ、タブレット端末で天城の店の情報を調べ始める。

「穂波んの胃袋は僕のうどんが一生守るって決まってるのに。……絶対に、パンには負けないからね」

 湊が温厚なタレ目を限界まで細め、オカンスマイルの奥に絶対零度の威圧感を漂わせる。


 再び訪れた「麺vsパン」という謎の構図。しかし、外部からの強敵の出現は、三人の職人としての結束と、穂波への溺愛をさらに強固なものにする最高のスパイスでしかなかった。

 彼らが三位一体となって結託し、自分を巡って闘志を燃やす姿を見て、穂波はたまらず「あははっ!」と声を出して笑った。


「みんな、天城さんに負けないように、来年も最高の黄金雪を育てなきゃね!」

 穂波は、手のひらに乗せた赤茶色の種もみを愛おしそうに見つめた。

 この特別な麦が発芽し、育ち、粉になる限り、四人の絆と、極上の麺を作る日々はずっと続いていく。


「誰か一人を選ぶ」という常識的な結末を今は保留し、いつか「たった一人」が選ばれるその日まで競い合いながら共に夢を追いかけるという、前代未聞の新しい形。それは、不器用で、泥臭くて、だけどこれ以上ないほど温かく強固な彼らだけの正解だった。


「お前が挽いた粉なら、俺が何度でも世界一の麺にしてやるよ」

「君の才能を守るための防壁は、私たちが一生構築し続ける」

「来年も再来年も、ずっと一緒に美味しいものを作ろうね」


 三人の騎士たちからの力強い言葉に、穂波は満面の笑みで頷いた。

 蔵の小さな窓から差し込む夕日が、彼女の手の中にある黄金雪の種もみと、三人の男たちの熱い瞳を、未来への希望に満ちた黄金色に照らし出していた。

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