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第34話 同時プロポーズ

 バンッ!という爆発音のような響きと共に、千蔵屋の引き戸が蹴り開けられた。


「穂波っ!!」


 怒声と共に飛び込んできたのは、息を切らした三人の男たちだった。黒いTシャツ姿の凱、藍色の作務衣を着た湊、そして純白のコックコートを羽織った涼真。それぞれの店を象徴する仕事着のまま、額に汗を浮かべた彼らの瞳は、凄まじい怒りと焦燥に燃えていた。


「み、みんな……どうして営業中に……」

 驚きに目を丸くする穂波をよそに、小田切は舌打ちを隠して愛想笑いを浮かべた。

「おや、職人の方々。今は千蔵屋さんの未来を決める、大事な商談中でしてね」

「黙れ」


 地を這うような低い声で遮ったのは、湊だった。

 彼は大股で穂波に歩み寄ると、ペンを握った彼女の震える手を、大きな両手でふわりと優しく包み込んだ。そのままペンを取り上げ、自分の広く分厚い背中の後ろに穂波をすっぽりと隠す。

「もう大丈夫だ、穂波ん。君には指一本触れさせない」

 絶対的な包容力を持つ背中に守られ、穂波はハッと息を呑んだ。


 その隙に、涼真が机の上の契約書を流れるような動作で奪い取った。

「返したまえ! それは彼女の同意を得る正式な……」

「滑稽だね」

 涼真は知的な銀縁の眼鏡を中指で冷ややかに押し上げ、氷のような視線を小田切に突き刺した。

「気象データと黄金雪の収穫率の相関も読めずに、こんな稚拙な罠を仕掛けたのか。規定量を下回れば数千万円の違約金と土地の譲渡? ……ふっ、これは契約ではなく、公序良俗違反や詐欺・脅迫に近い悪質な内容の取引だね。君たちの会社が過去に同じ手口で潰した農家のリストも、すでに私の手元にある」

 涼真は小田切の法的リスクを理路整然と、かつ完膚なきまでに論破し、一切の逃げ道を塞いだ。エリート料理人の計算された知能は、悪徳業者の浅知恵など容易く粉砕する。


「なっ……き、貴様ら、ただの料理人の分際で……っ!」

 本性を現し、顔を真っ赤にして逃げ出そうとした小田切の前に、黒い影が立ち塞がった。

「あぁ? 誰がただの料理人だって?」

 凱が、小田切の胸ぐらを片手でガシッと掴み上げ、空中に吊るし上げた。

「ひっ……!」

「俺たちの女神に、汚ぇ手ぇ触れてんじゃねえぞ!」

 全国をバイクで修行して回った圧倒的な腕力と、野生の獣のような強烈な殺気。至近距離で凄まれた小田切は完全に震え上がり、凱が手を離すなり、這うようにして千蔵屋から逃げ出していった。


 +++


 業者が逃げ帰り、土間に静寂が戻った。

「穂波、怪我はねぇか?」

 凱が振り返り、いつものヤンチャで優しい声をかける。

 しかし、湊の背中から顔を出した穂波は、その場にへたり込み、ボロボロと大粒の涙をこぼし始めた。


「ごめんなさい……ごめんなさい……っ!」

「穂波ん!? どうしたんだ、どこか痛むのか!?」

 慌ててしゃがみ込む湊に、穂波は首を横に振った。


「あれが詐欺だったなんて、知らなくて。私、みんなの才能を守りたかったの……! 黄金雪は天候で全滅するかもしれない。私一人の力じゃ、みんなに安定して粉を届けられないかもしれないって……っ」

 泣きじゃくる穂波の脳裏にあったのは、幼い頃のトラウマだった。小麦アレルギーで何も食べられず、ただ絶望して泣くことしかできなかった「何もできなかった自分」。

 大人になった今は、大好きな三人の才能を、自分が盾になって守りたかった。その焦りと自己犠牲の思いが、あんな見え透いた罠に彼女を追い込んでいたのだ。

「私、また……何もできなくて、みんなに迷惑かけて……っ」


 その告白を聞いた瞬間、三人の男たちは息を呑んだ。

 彼女が怪しい契約書にサインしようとした理由は、ただひたすらに「自分たちを守るため」だった。泥だらけの騎士たちを庇うため、プリンセスは自らを犠牲にして城を明け渡そうとしていたのだ。


 三人の間に、もはやマウントを取り合うようなライバル心は微塵もなかった。あるのは、この真っ直ぐで不器用な愛しい幼馴染への、海よりも深い愛おしさだけ。


 音を立てて、三人が同時に穂波の目の前にひざまずいた。


「え……? みんな……?」


 涙で視界を滲ませる穂波の手を、凱が力強く握った。

「お前が俺たちを守る必要なんてねえ。お前はただ、俺たちの真ん中で笑ってればいいんだ」


 涼真が、もう片方の手を優しく、だが逃さぬように包み込む。

「君のすべては、私たちが背負う。どんな嵐からも、どんな悪意からも、完璧に防壁を構築して見せよう」


 湊が、大きな手で彼女の涙をそっと拭い、極上のオカンスマイルを極限まで甘くして微笑んだ。

「僕たちが、一生穂波んの盾になる。だから、もう二度と一人で泣かないで」


 三人は、互いの顔を見合わせ、深く頷き合った。そして、ひざまずいたまま、これまでのどんな言葉よりも真剣で、重い熱を帯びた声で一斉に告げた。


「俺の人生を懸けてお前を守る。俺と結婚してくれ」

「私の人生を懸けて君を守る。私と結婚し給え」

「僕の人生を懸けて穂波んを守る。僕と結婚してほしい」


 夕暮れの千蔵屋の土間に響き渡った、和洋中の最強職人たちによる、完全なる同時プロポーズ。

 過保護で、重くて、甘すぎる三人の騎士たちからの逃げ場のない愛の包囲網の中心で、穂波はポカンと口を開けたまま、ただただ顔を真っ赤に染め上げるしかなかった。

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