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第32話 秘密の麦わら

 その夜。

 絵神原通りの路地裏にある、行きつけの居酒屋。店を閉めた結城湊、伊乃草凱、浦涼真の三人が、一つのテーブルを囲んで座っていた。

 ジョッキを打ち合わせる音は、いつもより少し重く、そして熱を帯びていた。


「……穂波のやつ、最高の粉を仕上げてきやがったな」

 凱がジョッキをドンとテーブルに置き、鋭い目つきで向かいの二人を睨み据えた。


「ああ。あの粉のポテンシャルを100パーセント引き出すのが、俺たちの使命だ」

 湊も温厚なタレ目の奥に、うどん職人としての静かで冷たい炎を宿している。


「彼女の絶対的な感覚に応えられるのは、私の緻密な計算と技術だけだ。君たち野蛮な料理人に後れを取るつもりはない」

 涼真が銀縁眼鏡の奥で、冷徹な光を瞬かせる。


 和洋中の最強職人たち。

 彼らは長年、穂波の隣を誰が歩くかで小競り合いを続けてきた。だが、黄金雪という至高の素材が完成した今、いよいよ彼らの戦いは最終局面を迎えようとしていた。


「そろそろ、白黒つけるか」

 凱が低い声で宣戦布告する。


「誰の麺が一番穂波んを笑顔にできるか。勝負だ」

 湊が力強く受けて立つ。


「そして、その勝者が穂波さんのパートナーとなる資格をもつ。逆にもし彼女を泣かせるような真似をした奴がいたら、退場させる」

 涼真の物騒な言葉に、凱と湊も「当たり前だ」と深く頷き合った。


 愛する女性をめぐる、バチバチのライバル関係。その場には、男たちの熱い火花が散り、ヒリヒリとした緊張感が漂っていた。


「……よし。前置きはこれくらいにして、本題に入るか」


 凱のその一言で、三人の顔つきが職人から「泥だらけの少年」へと一変した。

「おう、出せ」

 凱がテーブルの下から大きな紙袋を取り出し、ドサッと卓上に広げた。

 中から出てきたのは、数日前の手刈り収穫の際、三人がこっそりと持ち帰った大量の『麦わら』だった。よく乾燥させられ、青々とした色は抜けて綺麗なきつね色になっている。


「これより、穂波用の麦わら帽子作成プロジェクトを開始する」

 涼真がスマートフォンをテーブルの真ん中に置き、動画サイトの「初心者でもできる!麦わら細工の編み方」という動画を再生した。


 居酒屋のテーブルの上で、三人の大柄な男たちが身を乗り出し、小さな画面を険しい顔で睨みつける。

「えーっと、ここを三つ編みにして、交差させる……?おい、動画の奴、手際が良すぎて見えねえぞ!」

 凱が太い指で麦わらを掴み、力任せに曲げようとする。

 バキッ!

「ああっ!また折れた!くそっ、この麦わら、脆すぎんだろ!」

「君が野蛮すぎるからだ。麦わらの繊維方向と弾性限界を計算に入れ、フラクタル構造を意識して編み込んでいくんだ。……あ、また解けた」


 涼真が理論を語りながら優雅な手つきで編もうとするが、麦わらはツルツルと滑り、すぐに元のバラバラな状態に戻ってしまう。

「二人とも不器用だな。うどんの生地を折りたたむように、優しく、でもしっかりと……うーん、コシがないから難しいね。これ、うどんより強敵かもしれない」

 湊がオカンスマイルを消し去り、本気のうどん職人の顔で麦わらと格闘するが、やはり上手くいかない。


 普段は包丁をミリ単位で操り、完璧な麺を打ち上げる和洋中の天才職人たち。

 そんな彼らが、たかが麦わらを編むだけの作業に大苦戦し、居酒屋の片隅でああだこうだと文句を言いながら頭を突き合わせている。

「おい湊、そこ押さえてろ!俺がこっちを巻くから!」

「凱、引っ張りすぎ!ちぎれるって!」

「待て、動画を一時停止しろ。私の編み目と構造が違う」


 周囲の客から奇異な目で見られていることなど気にも留めず、三人は結託して一つの麦わら帽子を作り上げていく。

 形は少しいびつで、プロが作ったような洗練された美しさはない。ところどころ麦わらが飛び出し、不格好な部分もある。

 それでも、三人の男たちが「あいつを日差しから守りたい」というただ一つの想いで、不器用な指先を動かして編み上げた、世界に一つだけの帽子だ。


「……はぁ、なんとか形になったな」

 一時間後。テーブルの上に置かれた不格好な麦わら帽子を見て、凱が額の汗を拭った。

「完璧なシンメトリーとは言い難いが……まあ、我々の愛情の具現体である変数としては悪くない」

 涼真が眼鏡を押し上げ、満足げに微笑む。

「うん。あいつ、これ被って笑うかな」

 湊が優しく帽子を撫でながら、タレ目を細めた。

「当たり前だろ。あいつのために作ったんだからな」

「ああ、絶対にな」


 先ほどまでバチバチに火花を散らして宣戦布告をしていたことなど嘘のように、三人は一つの帽子を前にして、温かく、そして強固な同志としての絆を確かめ合っていた。

 彼らの不器用で泥臭い愛情は、完成した黄金雪の粉とともに、穂波を最高に輝かせる瞬間を静かに待っていたのだった。

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