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第22話 手作りチョコ

 二月十四日。絵神原えじんばら町に冷たい空気が張り詰める、バレンタインデーの午後。

 三店舗のランチ営業が落ち着いた休憩時間、手打ちうどん「みなと亭」の裏手にある休憩スペースには、結城ゆうきみなと伊乃草いのくさがいうら涼真りょうまの三人が集まっていた。


「……遅いな、穂波ほなみのやつ。俺たちを呼んでおいて遅刻か?」

 凱が、無意識のうちに貧乏揺すりをしながらぼやく。

「仕方ないさ。今日は千蔵屋も小麦の納品で忙しいって言ってたからね」

 湊は温厚なタレ目でなだめつつも、テーブルの上を無駄に布巾で拭き続けている。

「ふっ、君たち落ち着き給え。もっと余裕のある大人になるんだ」

 涼真も涼しい顔をしているが、銀縁眼鏡を押し上げる指先が微かに急かされていた。


 普段はそれぞれの厨房で絶対的な自信を放つ和洋中の最強職人たちだが、今日ばかりは「一人の男」としてソワソワしていた。

 そこへ、「お待たせ!」という明るい声と共に、少し頬を赤らめた千蔵屋穂波が駆け込んできた。その手には、可愛らしくラッピングされた大きな箱が抱えられている。


「いつも私を助けてくれて、本当にありがとう。みんなに、バレンタインのプレゼントだよ!」


 穂波が箱をテーブルに置いた瞬間、三人の男たちの間に、バチバチッ!と目に見えない激しい火花が散った。


(俺のチョコが一番手が込んでいるはずだ)

(僕へのチョコが一番大きいに決まってる)

(私のチョコこそが本命という数式が成り立つはずだ)


 静かなるマウント合戦が幕を開ける中、箱が開かれた。

 中に入っていたのは、市販のチョコレートではない。千蔵屋の最高級小麦と、極上のカカオを見事にブレンドして作られた、三種類の全く異なる手作りスイーツだった。


「私の『絶対味覚』をフル活用して、みんなの料理のスタイルに合わせて特別に調合してみたの。さあ、食べてみて!」

 天才ブレンダーとしての誇りを胸に、穂波が満面の笑みを浮かべる。


 まずは湊が、自分用に用意された和風の小箱を開けた。

「これは……『和三盆と抹茶のテリーヌショコラ』だね」

「うん! 湊のうどんみたいに、優しくて芯のある味をイメージしたの。小麦粉を極限まで細かく挽いて、口どけを究極まで滑らかにしてるよ」

 湊が一口食べると、その温厚な顔がパァッと輝いた。

「……美味しい。上品な和三盆の甘みと抹茶のほろ苦さが、小麦の優しい風味と完全に溶け合ってる。穂波ん……僕の心を、ここまで理解してくれているんだね。うれしいよ」


「次は俺だな!」

 凱が待ちきれない様子で箱を開けると、そこにはゴツゴツとした無骨な黒い塊が入っていた。

「凱のは『スパイスと岩塩を効かせた濃厚ザッハトルテ』よ! 極濃の豚骨スープにも負けないように、カカオ分80%のビターチョコに、ブラックペッパーとチリパウダーを微かに隠し味にしてるの」

 凱が豪快に噛み付くと、ヤンチャな瞳が大きく見開かれた。

「うまっ……! なんだこのパンチ力! 小麦の香ばしさとカカオの暴力的なコクが、スパイスでガツンと引き締まってる。へっ、お前、俺の好みを完全に把握してやがるな」


「君たちは単細胞だね。チョコレートという芸術の真髄は、温度管理と構造計算にある」

 涼真が優雅に箱を開けると、そこには層の美しさが際立つケーキが入っていた。

「涼真には『三層構造のプラリネ・オペラ』だよ。千蔵屋の粉で焼いたサクサクのビスキュイ生地と、完璧な温度で乳化させたガナッシュ、そしてプラリネクリームをミリ単位で重ねたの」

 涼真がフォークで一口切り分け、口に含む。その瞬間、彼の冷徹なエリートの顔が、とろけるように崩れた。

「……素晴らしい。各層の食感のコントラストと、口の中で溶け合うタイミングが完璧な数式として成立している。私への愛が、この層の数だけ重なっているということだな」


 三者三様の極上スイーツ。彼らはそれぞれの味に感動しながらも、同時に「俺のチョコが一番手間がかかっている」と確信し、互いを牽制する視線を交わした。


「穂波。俺のザッハトルテのスパイス調合、かなり時間かかっただろ。やっぱり俺への気持ちが一番強いってことだよな」

 凱がニヤリと笑う。


「何を言ってるんだ凱。このテリーヌショコラの滑らかさを出すための粉の微細な調整こそ、穂波んの愛情の深さの証明だよ」

 湊がタレ目を鋭くして言い返す。


「次元が低いな。このオペラの緻密な層構造を構築する労力に比べれば、君たちのはただの塊だ。彼女の本命が誰か、火を見るより明らかだろう」

 涼真が眼鏡を押し上げ、冷笑する。


 三人が本気で「俺が一番愛されている」と火花を散らしているのを見て、穂波はきょとんと首を傾げた。


「え? 何言ってるの? みんな同じくらい大好きなんだから、愛情も労力も、三人とも全く同じ分だけかけてるよ!」


 その純粋無垢で、一点の曇りもない笑顔での平等宣言。

 「みんな同じくらい大好きだから、全部特別」


 ピシリ、と三人の男たちの動きが完全に止まった。

 嫉妬も牽制もすべて無力化する、彼女の強烈すぎる「全方位への平等な愛」。恋愛の駆け引きなど一切存在しない、真っ直ぐな言葉だった。


「……っ」


 限界を突破した三人の男たちは、無言のまま阿吽の呼吸で立ち上がり、テーブルを囲むようにして穂波へとじりじりと歩み寄った。


「え、あれ? みんな、どうしたの……?」

 危険を察知した穂波が後ずさりしようとするが、背中は冷たい壁にぶつかってしまう。


「お前なぁ……そういうこと無自覚に言うから、俺らがどんだけ我慢してるか分かってねぇだろ」

 ドンッ、と凱の太い腕が壁に突き立てられる。


「そうだね。僕たちにこんなに甘いものを食べさせておいて、そのまま帰れると思ってるのか君は」

 逆側の壁に、湊の大きな手が添えられる。


「ホワイトデーまで待つという論理的思考は、先ほどの君の言葉で完全に崩壊した。今すぐ、チョコよりも甘いお返しをさせて貰おうか」

 正面から、涼真が逃げ場を塞ぐように顔を近づけてくる。


「ち、近っ……! お返しなんて気にしなくていいから……っ!」

 顔を熟れたカカオのように真っ赤にしてパニックになった穂波は、わずかなスキを見つけて、逃げるようにその場を去って、配達へ戻った。


 バレンタインデーの午後。

 手作りの極上スイーツが生み出したのは、和洋中の最強職人たちによる、カカオの何倍も濃厚な愛情表現の時間だった。

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