第16話 完璧な粉砕
穂波が粉の調合のために奥の蔵へと向かい、居間に三人だけが残された瞬間。
彼らが被っていた「優しい幼馴染」の仮面は、音を立てて剥がれ落ちた。
「……さて。どうやってあの話を木っ端微塵に粉砕するか、作戦会議といこうか」
涼真が冷ややかな声で切り出す。
「あんな得体の知れない男に、穂波へ指一本触れさせてたまるか。まずはあの男の素性を徹底的に洗え、涼真。埃の一つや二つ、必ずあるはずだ」
凱がギリッと歯を鳴らし、拳を強く握りしめる。
「もちろんだ。そして、会長の逃げ道を完全に塞ぎ、二度と穂波んにこんな話を近づけさせないようにする」
湊が、普段の温厚さからは想像もつかない冷酷な目で静かに宣言した。
町を守る三人の最強職人たちは、自分たちのテリトリーに侵入しようとする外敵を排除するため、かつてないほど完璧な連携作戦を始動させようとしていた。
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翌日の午後。手打ちうどん「みなと亭」の裏手にある休憩スペースに、三人の男たちが再び顔を揃えていた。
「私の情報網と調査能力の全てをかけた結果は黒、いや、漆黒だ」
純白のコックコートを着た浦涼真が、冷ややかな笑みを浮かべながらタブレット端末をテーブルに滑らせた。
画面には、昨日の「お見合い相手」である名士の息子が、夜の繁華街で複数の派手な女性たちと遊び歩いている写真や、素行の悪さを裏付けるSNSの裏アカウントのやり取りが克明に表示されていた。
「本場イタリアの諜報機関も顔負けの素行調査の結果さ。彼は表向きこそ好青年を演じているが、裏では女遊びが激しいことで有名な放蕩息子だ。毎週のように違う女性を連れ歩き、トラブルも絶えないらしい。あんな男に、千蔵屋の小麦を愛する純粋な彼女の隣を歩かせるわけにはいかない」
涼真の報告を聞いた瞬間、湊のタレ目がスッと細められ、静かな怒りが底知れぬ暗さとなって瞳に宿った。
そして、誰よりも早く激昂したのは、やはり凱だった。
「……あの、クソ野郎がっ!!」
凱はテーブルの上に置かれていた名士の息子のお見合い写真を鷲掴みにすると、凄まじい力で真っ二つに引き裂いた。ビリッ、ビリビリッという鈍い音が響き、育ちの良さそうな青年の笑顔は無惨な紙くずへと変わっていく。
「穂波の純粋な夢を利用しようとするどころか、ただの遊び相手を探してただと!? ふざけんな、そんなゴミクズ、寸胴に沈めてくれるわ! 俺が今すぐ殴り込みに行って……!」
怒りに任せて飛び出そうとする凱の肩を、湊の分厚く大きな手がガシッと掴んで引き止めた。
「待てよ、凱。君が手を出せば、穂波んの顔に泥を塗ることになる。……交渉は、僕の担当だ」
湊はそう言うと、涼真から調査結果のプリントアウトを受け取り、極上の、そして身の毛もよだつような冷たい微笑を浮かべた。
「会長には、僕から丁寧にお断りと今後、同じことが起こらないように教育してくるよ。彼女の健康と未来を守るのが、僕の役目だからね」
その一時間後。商店街の八百屋の店先で、会長はガタガタと震え上がっていた。
「会長さん。いつも絵神原通りを取りまとめていただき、感謝しています。ただ……」
温厚な笑顔を貼り付けた湊が、店先で大根を握りしめながら、低い声で会長に詰め寄っていた。その手元にある分厚い調査資料を見せられた会長は、顔面を蒼白にしている。
「この方、少々『女性関係』に問題があるようでして。穂波さんは今、大切な黄金雪の復活に向けて命を削っているんです。そんな彼女に、このような不誠実な男性を近づけるのは……商店街の未来を潰すことになりかねませんよね?」
「ひっ……! わ、わしはそんな男だとは知らんで……!」
「分かっていただければいいんです。彼女には休息と仕事への集中が必要ですから。このお話は、会長さんの顔を立てて『千蔵屋の方から丁重にお断りした』ということで、よろしいですね?」
「は、はいっ! 二度と、穂波ちゃんに変な縁談は持ち込みませんっ!」
湊の絶対的な圧と隙のない論理に屈し、お見合い騒動は三人の完璧な連携によって、穂波が知らぬ間に完全に粉砕されたのだった。
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お見合い騒動から数日が過ぎた、十一月下旬の夕暮れ時。
冷たい木枯らしが吹く郊外の畑に、四人の姿があった。綺麗に耕された土の表面には、先月蒔いた幻の小麦「黄金雪」が、小さな黄緑色の芽を無数に吹かせていた。
「みんな、今日は忙しいのに集まってくれてありがとう! これから『麦踏み』を始めるわよ」
作業着とエプロン姿の穂波が、白い息を吐きながら明るい声で宣言した。
「麦踏み……? せっかく生えた芽を踏みつけるのか?」
凱が不思議そうに首を傾げる。
「そう。冬の寒さが本格的になる前に、こうして芽吹いたばかりの麦を優しく踏んであげるの。霜柱で根が浮くのを防ぐのと同時に、あえてストレスを与えることで、根を土の奥深くまで強く張らせるんだって」
穂波はそう言うと、長靴で畝に入り、小さな麦の芽をそっと踏みしめながら前へと進み始めた。
「なるほど。あえて試練を与え、生命力を引き出すというわけか。私の料理哲学にも通じるものがあるな」
涼真が感心したように頷き、黒いワークパンツの裾を汚さないように気をつけながら、穂波の隣の畝に入って麦を踏み始めた。
「よっしゃ! なら俺がいっちょ、最強の根っこになるように気合入れて踏んでやるぜ!」
凱がドスドスと野性的な足取りで土に足を踏み入れる。
「こら凱、力任せじゃ駄目だ。穂波んみたいに、優しく、でもしっかりと踏み込むんだよ」
湊が苦笑いしながら、大柄な体を揺らして丁寧に麦を踏んでいく。
オレンジ色の夕日が、広大な畑と四人の影を長く伸ばしていた。
ザクッ、ザクッと、土を踏みしめる音が静かな畑にリズミカルに響き渡る。
「ねえ、なんだか不思議ね」
穂波がふと足を止め、隣を歩く三人の幼馴染たちを見上げて微笑んだ。
「……みんなのおかげで黄金雪、きっと強い冬を越せる気がする」
彼女の屈託のない笑顔と、感謝の言葉。
それを受けた三人の男たちは、一瞬だけ動きを止め、そして互いの顔をチラリと見合わせた。
(どんな外敵が現れても、俺たちが何度でも踏み潰して排除してやる)
(彼女の隣という特等席には、誰一人として近づけさせない)
(僕らの絆は、もう誰にも切れないくらい深く根を張っているんだから)
言葉には出さずとも、三人の思いは完全に一つだった。見合いという思わぬ「試練」が外からやってきたことで、彼らの穂波を守り抜くという強固な意志と結束は、この麦のようにさらに深く、強く根を張ったのだ。
「当たり前だろ。お前は俺たちの女神なんだからな」
凱が照れ隠しのように鼻の頭を擦る。
「僕らがずっと、穂波んの足元を支えるよ」
湊が温厚なタレ目を優しく細める。
「春になれば、必ず私の計算通りの美しい黄金色が見られるはずさ」
涼真が知的な笑みを浮かべる。
冷たい冬の風の中、幼なじみ四人での泥臭くも温かい共同作業は、日が落ちるまで続いた。彼らの足元で踏みしめられた小さな緑の命は、春の奇跡に向けて、着実にその根を張っていた。




