第13話 視察旅行
十月上旬。秋の涼やかな風が絵神原通りを吹き抜ける朝。
千蔵屋製粉所の前に停められた一台のワンボックスカーを囲み、三人の男たちが火花を散らしていた。
「おい、運転は俺がする。穂波は助手席に乗れ」
黒いライダースジャケットを着た伊乃草凱が車のキーを指で回しながら言い放つ。
「君の荒っぽい運転で彼女を酔わせる気か。私が安全かつ最短ルートでエスコートする」
純白のコックコートを脱ぎ、体にフィットした上質なシャツ姿の浦涼真が、知的な銀縁眼鏡を押し上げて鼻で笑った。
「二人とも落ち着いて。長旅なんだから運転は交代でいいだろ? それより、穂波んは後部座席でゆっくり休んだ方がいい。僕が隣でクッションになるから」
結城湊が温厚なタレ目を細め、ちゃっかりと穂波の隣の席を確保しようとする。
「あぁ!? 抜け駆けすんな湊!」
祖父の日記に記されていた、かつて黄金雪を栽培していた遠方の老農家を訪ねる一泊二日の小旅行。土作りの極意を教わりに行くための重要な視察だが、出発前から車内の座席争奪戦が勃発し、一向に出発できる気配がない。
「もう、みんな早く乗ってよ! 私が運転するから!」
呆れ果てた穂波が運転席に乗り込もうとしたことで、ようやく男たちは渋々交代で運転することに同意した。
+++
高速道路のパーキングエリアでの休憩中。
トイレから戻り、自動販売機の前で待っていた穂波のもとに、三人が足早に戻ってきた。
「穂波ん、朝早かったから胃が冷えてるだろ。温かいほうじ茶だよ」
湊が優しい手つきでペットボトルを差し出す。
「バカ、これから頭使うんだからスタミナつけねぇと。ほら、特大の肉まんだ」
凱がホカホカと湯気を立てる肉まんを強引に押し付けてくる。
「二人とも下品だな。彼女の繊細な味覚には、このご当地限定の高級ジェラートこそがふさわしい」
涼真が優雅な手つきでカップを差し出した。
三方向から突き出された、胃袋と好みを一番理解しているという過保護なマウント合戦。穂波は困ったように眉を下げつつも、「全部嬉しい、ありがとう」と順番に少しずつ口をつけた。自分の差し入れを食べた瞬間の彼女の笑顔を見て、三人は互いに「俺の勝ちだ」と視線で火花を散らすのだった。
+++
車を走らせること数時間。一行は、山間に広がる老農家の家へと到着した。
案内されたのは、かつて黄金雪が栽培されていたという広大な麦畑の跡地だった。今はもう作物は植えられていないが、ふかふかとした黒い土が、丁寧な手入れの跡を物語っている。
「この土があの黄金色を生んだんだよ」
日に焼けた老農家が、土をすくい上げながら昔話を語り始める。
「黄金雪は気難しい。雨が続けば根腐れを起こすし、少しの嵐で茎が折れる。だが、水はけさえ完璧に保てば、あの美しい穂を見せてくれるんじゃ」
失敗しやすい気候条件や、水やりの秘訣。次々と語られる生きた知識に、穂波はメモ帳を片手に真剣な表情で聞き入っていた。
「なるほど……土の通気性と、排水のスピードが鍵なんですね」
その熱心な姿を、三人の男たちが背後から食い入るように見つめている。少しでも風が吹けば湊が穂波の肩に上着を掛けようとし、石があれば凱が足で蹴りのけ、涼真が日差しを遮るようにスッと立ち位置を変える。
その異常なまでの過保護ぶりに気づいた老農家は、ガハハと豪快に笑った。
「お嬢ちゃんは、優秀な三匹の番犬に守られてて安心だなあ」
「え? いえ、ただの幼馴染です。頼りになる同志ですから」
穂波が恋愛感情など微塵もない様子できょとんと首を傾げると、背後の三人は揃って盛大なため息をついた。
(番犬じゃない、俺はこいつの夫になる男だ)
三人は心の中で全く同じ突っ込みを入れながら、彼女の鈍感さに頭を抱えた。
+++
畑の奥へと進むうち、穂波の栗色の髪に、ひっつき虫のような枯れ草が絡まってしまった。
「あっ、ちょっとチクチクする……」
穂波が髪に手を伸ばすよりも早く、三人の男たちが動いた。
「俺が取る」
「僕がやるよ」
「君たちは不器用だ、私が」
三人が一斉に枯れ草を取ろうと手を伸ばし、穂波の顔の至近距離に男たちの顔が急接近する。三者三様の男の香りと、大きな手。逃げ場を失った穂波は、顔をカッと赤くして目を白黒させた。
「ちょ、ちょっとみんな、近すぎるってば……っ!」
彼女が慌てて後ずさろうとしたその瞬間。
「あっ!」
前日の雨でぬかるんでいた泥に足を取られ、穂波の体が大きく後ろに傾いた。
「危ねぇっ!」
「穂波さんっ!」
凱と涼真が反射的に飛び出した。二人は泥に足を取られた穂波を助けようとして空中で抱きとめ、そのまま勢いよく泥のぬかるみへとダイブした。
ドシャッ!
鈍い音と共に泥水が跳ね上がる。湊が咄嗟に穂波の腕を引いたこともあり、穂波自身は尻餅をついただけで済んだ。しかし、彼女のクッションになった二人は悲惨だった。
「ってぇ……おい涼真、お前顔面から泥に突っ込んでるぞ」
黒い服を泥だらけにした凱が、隣を見て吹き出した。
普段は完璧なコックコートを着こなし、汚れを極端に嫌う涼真が、髪も服も泥まみれになって呆然と座り込んでいたのだ。銀縁の眼鏡にも泥がべっとりと付着している。
「……最悪だ。が、しかし穂波さんが無事でなによりだ」
涼真は深い溜息をついたが、腹を抱えて大笑いする凱につられたのか、やがて「ふっ」と肩を揺らして笑い合った。
「お前ら、無茶しすぎだよ」
湊が苦笑いしながら、泥だらけの二人に手を差し伸べる。
昔、不格好なちぎれ雲麺を作ったあの日から、彼らは穂波のためなら何度でも泥だらけになる。その泥臭い絆は、大人になった今でも何一つ変わっていなかった。
「みんな、本当にごめんね……でも、ありがとう」
穂波が申し訳なさと嬉しさを入り交じらせて微笑むと、泥まみれの男たちは立ち上がり、目の前に広がる広大な跡地を見据えた。
「絶対に実らせてやる。俺たちの畑でも、この土と同じ最高の黄金雪をな」
凱の力強い言葉に、全員が深く頷く。自分たちの畑も必ず実らせると誓い合った四人の胸に、未来の黄金色の畑がはっきりと描かれた瞬間だった。




