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第11話 記憶と決意

 休日の午後。郊外の休耕地を開墾した広大な畑には、静かな風が吹き抜けていた。

 千蔵屋ちくらや穂波ほなみは、いつもの作業着とエプロン姿で土にしゃがみ込み、一人で種まきの作業を進めていた。三人の幼馴染たちはそれぞれの店でピークタイムを戦っている時間だ。彼女は土の柔らかさを指先で確かめながら、幻の小麦「黄金雪おうごんゆき」の種もみを等間隔で丁寧に蒔いていく。


「……お前たちには、本当に呆れさせられるわい」


 背後から突然響いたしわがれ声に、穂波は驚いて振り返った。そこには、祖父である千蔵屋ちくらや弦蔵げんぞうが杖をついて立っていた。

 弦蔵はかつて、黄金雪の復活に猛反対していた。幼い頃に重度の小麦アレルギーを発症し、呼吸困難に陥った孫娘の姿がトラウマとして深く刻まれていたからだ。しかし、彼が呆れたように見渡す視線の先には、数日前まで石だらけの荒れ地だったとは信じられないほど、見事に耕され、肥料がすき込まれたふかふかの土が広がっていた。


「自分の店があるというのに、あいつらも泥まみれになりおって……」

「おじいちゃん……ごめんなさい、勝手にこんなこと」

「謝ることはない。これほど完璧な土壌を作り上げるには、並大抵の努力じゃ無理じゃ。お前の粉への執念と、あいつら三人の覚悟を見せつけられては、わしも口出しできん」


 弦蔵は小さくため息をつき、しかしその目元にはどこか優しい光が宿っていた。


「……好きにするがいい。だが、絶対に一人で抱え込むなよ。お前には、立派な三人の同士がついているんじゃからな」

「うんっ……! ありがとう、おじいちゃん!」


 穂波は目にうっすらと涙を浮かべ、力強く頷いた。

 弦蔵がゆっくりと背を向けて去っていった後、穂波は再び土に向き直った。手のひらに残る、湿った土の青い匂い。それを深く吸い込んだ瞬間、彼女の意識はふわりと遠のき、十数年前のあの日の記憶へと引き戻されていった。


 +++


「いやだっ、食べたい……っ! お粉の匂い、かぎたいよぉ……!」


 十数年前の千蔵屋の奥の部屋。幼い穂波の悲痛な泣き声が、家の隅々にまで響き渡っていた。

 重度の小麦アレルギーの発症。それは、製粉所の跡取り娘として生まれ、誰よりも小麦を愛して育った少女にとって、世界の終わりを意味していた。大好きだったうどんも、ラーメンも、パンも、ケーキも、一口でも食べれば喉が腫れ上がり、呼吸ができなくなる。食べられない絶望と恐怖で、穂波は毎日泣きじゃくっていた。


 大人たちが成す術もなく胸を痛める中、そんな彼女を救おうと立ち上がったのは、いつも一緒に泥だらけになって遊んでいた三人の少年たちだった。


 結城ゆうきみなと伊乃草いのくさがいうら涼真りょうま

 三人は連れ立って千蔵屋の居間に乗り込むと、大人たちに向かって強く宣言したのだ。


「穂波がパンやうどんを食えねえなら、俺たちも一生小麦なんて食わねえ!」


 凱が真っ赤な顔で叫び、湊が横で力強く頷く。涼真も冷たい目で大人たちを睨みつけていた。

 彼らの決意は本気だった。給食のパンを突き返し、おやつのクッキーを拒絶し、夕飯にうどんが出れば食卓をひっくり返して絶食ストライキを起こした。大人たちを困り果てさせるほど、彼らは徹底的に抗議した。

 だが、彼らが共に小麦を絶ったところで、穂波の悲しみが癒えるわけではなかった。ベッドで膝を抱える穂波の笑顔は、一向に戻らなかった。


 +++


「穂波を笑わせるには、俺たちが作るしかねえ!」


 ある日の午後、大人たちが配達で留守にしている隙を狙って、三人の少年たちは千蔵屋の広いキッチンを占拠した。

 小麦が駄目なら、小麦を使わずに世界で一番美味い麺を作ってやる。それが彼らの導き出した答えだった。

 しかし、料理などしたこともない少年たちの挑戦は、当然のように大惨事へと発展した。


「湊、もっと力入れろ! 全然まとまってねえぞ!」

「言われなくてもやってるよ! でも、お米の粉ってパラパラしてて難しいんだ!」


 湊は顔中を真っ白な粉だらけにしながら、ボウルの中で米粉を必死にこねていた。しかし、グルテンのない米粉は水を入れても思うようにまとまらず、ボロボロと崩れてしまう。

 一方、凱は裏山から泥だらけの靴のまま駆け込んでくると、拾ってきた栗をすり鉢に放り込み、すりこぎで親の敵のように叩き潰し始めた。


「栗の甘みで美味くしてやるんだ! おりゃあああっ!」

「野蛮だな、君は。そんな力任せじゃ粉々になるだけだ。つなぎには片栗粉と卵の卵白が最適だと本に書いてある。私の指示通りに動き給え」


 涼真は分厚い料理本を片手に、当時から生意気な口調で指揮を執ろうとするが、熱くなっている二人には届かない。


「うるせえ! 涼真も手伝え!」

「やれやれ、仕方ないな」


 水がこぼれ、粉が宙を舞い、泥の足跡が床に無数に刻まれる。キッチンはさながら戦場だった。

 それでも、彼らの目は真剣そのものだった。どうすればあの泣いているプリンセスが笑ってくれるのか。それだけを考えて、小さな手を泥と粉にまみれさせて格闘した。

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