葵の巫女
「お母さん、お父さんのこと知ってるの……?」
実の娘でさえ、あまり知らない両親のことを見ず知らずの人間が知っている。
そのことに来縁は淡い期待を抱いた。もしかしたら、この人から両親のことが聞けるかもしれない。
それと同時に、何か底知れぬ闇がひたひたと忍び寄ってくる。自分は何も知らない、と言う恐怖。足元から冷えていく感覚が来縁に襲いかかって来た。
けれど。
思い浮かぶのは、優しい母と父の顔だった。もう、戻らない温かな家族団らんの時間。
無条件に、愛してくれたその二人のことを、知れるなら。
「私は、知りたい」
来縁は不吉を呼び寄せそうな手紙を握りしめて、心を決めた。
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都心から電車をいくつも乗り継いだ。体のあちこちに痛みを抱えながらバスに揺られること数十分。
柊花村は谷底に沈むようにしてあった。
緑が深く、山の神様の息が聞こえそうなバス停に降り立って、両手を思いっきり伸ばした。
バス停と言ってもベンチがぽつんと置いてあるだけで、目印となるようなバスの案内板は雨風で錆びついている。どうやら昔は文字が書いてあったようだが、すでに読めない。
それだけ利用者は少ない、ということなのだろう。帰りの時間を確かめるのは諦めて、来縁はまっすぐ伸びる道に目を向ける。
「ここでいいんだよね……?」
土が剥き出しの舗装されていない道に足を取れそうになる。
転ばないように、冷や汗をかきながら手紙に封入されていた地図に目を落とした。簡素な手書きだったがほぼ迷わないほど村の中は閑散としている。
左右には田んぼが広がり、平屋が疎らに建っている。人の気配はかすかに感じられる程度だった、が。来縁の心細さを止めてくれる気がした。
あぜ道をひたすら歩いていると、農作業をする一人の老人と目があった。
あまりにじっと見られ、来縁もその場に固まって動けなくなった。
(なにか……悪いことしたかな)
何を言われるのかと身構えてしまう。
しかし、深い皺を湛えた、老人の目が大きく開かれた。
「あぁ……葵の巫女様…………!」
「な、何、葵? 巫女様?」
予想外の言葉に、来縁はぎょっとして後ろに後ずさる。
老人は作業していた手を止めて、念仏を唱え始め、どうしたらいいのか分からなかった。
来縁は視線を彷徨わせ、誰かに助けを求めた。
しかし、人っ子一人いない。
(ど、どうしたらいいの……!)
理由も分からず、慌てて来縁はその場から駆け出した。
忍び寄る得体の知れないものから、後ろを振り返らずに逃げ出す。
離れても離れても、その老人の声が来縁の背中を追いかけてくるようで。
震える自分の体を抱きしめながら、ひたすら前へと進んだ。




