4章「勇者の、ヒモの、おれの選択」1
今作品は、C90「よろづ屋本舗」にて販売した作品となります。
スローモーションで深雨の姿が視界からはみ出ていく。それは今まで目にしたどれよりも唐突に、それでいてアルベルトの心へ不安定な傷跡を残して。
「深雨さんっ! 深雨さんっっ!!」
アルベルトがこちらへ凭れる様に倒れた深雨を抱き止めた。色を無くした顔へ浮かぶ冷や汗はみるみるその量を増やし、見てるだけでアルベルトの心をめちゃくちゃに掻き混ぜては、より深い恐怖を感じさせる。
「あっ、え、えっと……ど、どうすれば。きゅ、救急車呼! いや、先に寝かせる方が先か? でも無理に動かすと……どうすれば……なにからやればいいんだ」
今まで頭痛を起こしても意識まで失うことはなかった。
どうしてこんなことに。
渇いた口内へ唾液をねじ込み、荒くなっていた呼吸を何とかして落ち着かせようと試みる。しかし急に降りかかった現実に身体が言うことを聞いてくれない。
「そうだ、これを見て」
足元の写真立てへ手を伸ばす。
このまま表へ返せば深雨が倒れた原因、そのきっかけがわかるかもしれない。
しかし、
「いいのかな……おれなんかが」
キチンと見たわけではないが何が写っているかの見当はついてしまう。
だからこそ躊躇ってしまう。
これを見たら最後、彼女の大切にしまいこんでいた何もかもを知ることになるのはまず間違いないだろう。。
品田アルトではなく、ただの他人に過ぎない人間。アルベルト・シュナイダーにそれが許されるのか?
アルベルトは感覚が短い呼吸を繰り返し、苦痛で眉間を歪ませる深雨と、沈黙したまま恐怖だけを振り撒く写真立てを交互に見やった。
「お、おれだって……。おれだって今は……」
品田アルトなんだ。
ごめん、あとで何度でも怒られるから――そう心の中で呟いて、薄く閉じていた目を持ち上げる。そしてはめ込まれた写真はやはり想像通り。
「……ここでもお前かよ」
雨宿りをバックに深雨と寄り添って幸せそうに笑う品田アルト。
年季が入った建物は雨宿りで間違いないが、店先の花壇やプランター、窓辺のテーブル席が確認できない。それに、二人が身につけているエプロンも店のロゴが入っていない黒くてシックなものだ。
「でもこれ……」
食い入るように手に持った写真を見つめていると、
ピンポーン。
集中を断ち切るベルが階下の店舗から遠く聞こえた。途端に我へ返りアルベルトの顔が上がる。その後も立て続けにインターフォンが鳴る。しかし膝上の深雨をどうすればいいかわからず立ち上がることもできない。
「ど、どうしよう……」
そうこうしている間に、鍵を開けたままだったらしい店舗の扉がカウベルを嫌というほど優雅に響かせて開閉。居住スペースへ通じる階段から足音がやってくる。
「ど、泥棒!?」
問答無用に入って来た何者かに、アルベルトはなんとも嫌な感覚を抱いた。慌てて深雨を壁へ寄りかからせ、正体不明の何者かへ拳を固めて備える。
「おれがなんとかしないと……」
ついさっきからの今、まさかクシャナが釘を刺しに来たのか? もしそうだとしたら、勝算は微塵もない。しかしクシャナとも限らない。どちらにしろ、
「まずいよな、この状況」
自嘲気味に笑ったアルベルトがカラカラに干上がった唇を舐め上げる。同時にドアノブが回った。
身長はどれくらいだ?
体型は?
装備は?
男、女?
相手は魔法を使えるのか?
一瞬のうちに駆け巡った思考をひとつひとつ確認。もし相手がクシャナや他の異世界人だとしても、開口一番メルクで切り払えば仕留められるはずだ。
唯一でいて、限りなく低い勝算を見出すと、緊張感が全身の筋肉を強ばらせた。景色が外と繋がった瞬間――メルクを抜刀の用意と共に扉へ駆ける。
「おーい、深雨ちゃん? 回覧板持ってきたぞ。いないのか?」
しかし野太い声と共に入って来た男に、アルベルトの警戒心は一瞬にして消滅。
「えっ!?」
駆け出した身体の勢いを抑えられず、中途半端に力が乗った拳が来訪者へ迫る。
「ん? なんだ、いるじゃねぇか。ん、なんだ?」
回覧板で拳を受け止めたのは八百屋のエプロンを結んだおっさん、嶋一郎だ。回覧板へ僅かな角度をつけて拳を受け流すや、
「なにやってんだ、お前?」
シューズケースへひっくり返ったアルベルトを横目に渋い顔で顎ヒゲを撫で回す。アルベルトの間抜け顔を回覧板の角で軽く殴ってから、
「深雨ちゃん……どうかしたのか?」
「いつつ……えっと」
「ん?」
頭を抑えて起き上がったアルベルトの曖昧な返答に何を悟ったのか、一郎は深雨の傍らへ転がった写真立てを手にする。
「……見ちまったか」
薄くなった頭をかき回して、写真立てを元の場所へ戻した。アルベルトは一連の動作へ息を沈め、一郎がエプロンからタバコのパッケージを取り出して、一本咥えるまでじっと閉口していた。
「おっと……悪い。不味かったか」
「い、いや。吸っていいっすよ」
「じゃあお言葉に甘えて」
ライターの小さな炎がフィルターを焦がした。紫煙がゆらゆら天井へ揺らめく。アルベルトはその煙を追いかけ、見えなくなってから一郎へ向き直した。
「何か知ってるんですよね」
吸殻を携帯灰皿へ落とした一郎が頷く。
「深雨ちゃんとは長い付き合いだしな。あのバカ野郎のことだってよく知ってるさ」
「……品田アルトと関係してるんですか」
「そりゃな。深雨ちゃんの中でアイツはまだ生きてるんだよ」
背中を向けていた一郎が振り返ると、アルベルトの心臓部を軽く拳で叩いた。
「深雨ちゃんの中でだけ生き続けていた品田アルトが今ここにいる」
「おれは……違いますよ」
「わかってるさ。酷なことを言ってるのもわかる。それでもお前は品田アルトなんだよ。だからだろうな」
煙をもう一息吸った一郎がどこへ焦点を当てているかわからない目をして、タバコを携帯灰皿へ押し付けた。
「どうして……お前を見て死んだアイツが生きてるって思ったかわかるか? 死人は生き返らねぇ、この世界の常識だ。それがどうしてか。わかるか?」
「……いえ」
アルベルトは一郎の言葉にずっと抱いていた彼女の秘密へ、とうとうしっかり触れた気がした。しかしそれを掴むのが怖く、沈黙してしまう。一郎の重深い吐息に目線だけで応じると、
「最近深雨ちゃん、よく頭痛起こすらしいじゃねぇか」
「それも知ってたんですね」
「世間話で軽く聞いただけだ。でも……俺は何となくその原因、わかったぜ」
口辺を僅かに攣り上げた一郎へ両目を見開く。
「ほ、本当ですか!! おれ、色々調べてみたけどわからなくて。原因ってなんですか!治るんですか!?」
口早にまくし立てるアルベルトを片手で制した一郎がもう一息タバコを吸う。
「落ち着け。完全じゃない、けど可能性はある。だが、それを話すには……お前さんは知らなきゃならねぇ。わかるか?」
「どういうことですか?」
「まぁいいから聞け。お前さんには知る義務がある。深雨ちゃんの過去を知る義務がな」
タバコの紫煙があの日――今から口にされるだろう遠い記憶を呼び起こすようにゆらゆら渦を巻いていた。アルベルトは閉口してそれを追いかけることしかできない。
今から語られる遠い記憶を果たして自分は受け止めることができるだろうか?
「お願いします……。おれも知らないとダメな気がするんです。おれは……おれは」
声が上擦る。声が震える。
いろんなものが溢れてしまいそうだ。
それでもアルベルトが先を続けようと呼吸を挟んで口を開いた。しかし、八百屋の吐き出した紫煙がそれを止める。
「その写真見てみろ。今より建物が古いだろ。ここは一度改装工事してんだ」
「気になってましたけど……だからですか」
「改装工事をしたのは……店を構えて次の年だったっけか。アイツが死んだ年。アイツが死んだ原因だ」
「死んだ……原因?」
「そうだ。品田アルトは……改装工事中の事故で死んだ」
泣くように吐き出された白いものが一郎の横顔を隠した。晴れるまでの間、口にした言葉を耳の奥に留め、顔が再び視界へ戻ると同時に口を開く。
「……深雨さんはそれを目の前で」
おそるおそる訪ねたが八百屋が肯定とも否定とも受け取れる曖昧な沈黙を挟む。見上げた横顔へは薄く影が差していた。深雨同様、彼の意識もあの日へ帰っているのだろう。
「どれくらいの事故だったんですか」
「……大した規模じゃねぇよ。ただ上から鉄骨やら色々降ってきた。ただそれだけ……それだけでアイツは死んじまった。幸い周りに被害は出なかったし、不幸中の幸いだったのかもしれないな」
はぁ、と長い溜息の後、三本目のタバコを手にとってから「いや、違うな」と呟く。アルベルトが耳を向け直すと、ライターの火がフィルターを焦がしているのが見える。
「深雨ちゃんにとっては周りの被害とかどうでもよかったんだろうさ。アイツが無事ならそれで……。あの日はバカみたいに晴れた日でな」
八百屋、嶋一郎は搾り出すような声で言った。




