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握られた手を握り返す。通学路は朝早くから人も多く、画面を見ながら空いた手をポケットに入れて歩く人や男女がくっ付いて少し強くなってきた寒さを和らげたり様々だった。夏休みが終わってゆのの初めての登校日、丁度文化祭の一週間前ほどで、騒がしくなり始めた頃。ゆのの家族が丁度仕事の佳境で送迎が出来ないと、翔に送迎を頼まれた。なにかを話そうにもそんな気の利いたことは出来ない。翔に引っ張られるように繋がって歩くゆのは、通る人の視線に怯えるように身を細めていた。
思い出の道の風景を見ることもなく、ただひたすらに前へ進む。校門が見えると、ゆのが手を強く握った。
「いこっか」
こくりと頷くのを見て、翔はゆのにもう一度確認するように手を握り返した。恐怖や不安が募るその表情が、変わり果てたゆのだった。ただ着ただけのような制服や伸びきった髪。雰囲気も明るかった翔の知る彼女とはどこか違うような、一緒にいてもやもやするような、そんな。
報告へ行った職員室を出ると、すぐにゆのの行くべき教室へ向かった。あまり知っている人に見られたくない、そんな気持ちで彼女を引っ張る。
「翔、強いよ。速いよ」
今はゆのの勉強する部屋、空き教室へ辿り着くと少し早歩きで息を早めていたゆのは不満を漏らした。ごめん、と謝った翔がすぐに出て行こうとするのを、ゆのは止める。
「まってよ。まって」
「なんだ?飲み物とか、買ってきてほしいとか?」
ゆのは首を横に振る。握られた手はまだ離されていなかった。
「やっぱり、私と一緒にいるの嫌なの?ごめんね」
「それは、ちが──」
途中まで言葉に出たが、詰まる。違わなくはなかった。いつも、ゆのを見るたび心の奥が悲鳴を上げてしまうのが、翔は苦しかった。そんな言葉を詰まらせた翔を見て、ゆのは精一杯の笑顔を作った。
「辛かったら、もういいんだよ?私に会わなくたって。受け入れるから」
「そんなの俺が出来るわけないだろ……」
あの頃とは違う、苦しそうな笑顔を見せられて。翔は、腹が立ち、それだけを言って手を振りほどいて教室を出る。
ゆのは、握っていた手を見つめる。翔とはずっと一緒にいたから、今がどういう気持ちなのかもわかるはずなのに。今の、閉ざした自分が少し憎かった。顔が思い浮かばない。
また逃げた、と翔は自分を責めるしかない。必ず向き合わなければ、翔も、ゆのも、なにも変わらないことはわかる。それでも、辛いものは辛い。苦痛から逃げることがどれほど楽か、ここ1年ほどでわかっているはずだった。それでも人は楽な方へ逃げる。本能が逃げろと悪魔のように囁く。翔はその現実に、歯を食いしばった。
教室へ入ると、授業の始まる前からもうすでに多くの生徒が作業をしていた。潮時なのだろう、資材チェックやパターンのチェックなどを、翔を抜きにして着々と行われている様子だった。
「なにか手伝おうか?」
「別に、大丈夫だよ」
気を利かせたが、もうすでに枠には収まっていない。クラスの女子にこう言われた時点で自分にはもう出来ることはないのだろうと翔は思った。そうか、とだけ言い鞄だけを自分の席に置くともはや居づらい教室から抜ける。いく宛もなく、ただひとつの場所を避けて適当に歩いても、どこもかしこもがお祭りを楽しみに騒ぐ人間で溢れかえっていた。
「あ!木崎せんぱーい!」
作業に没頭する教室を横目で見ていると、遠くで翔を呼ぶ可愛らしい声が聞こえた。大振りに手を振って居場所を知らせる茜は、荷物を足で支えるように置いていた。
「持とうか?」
「おや気の利く言葉!ありがとうございまーす!」
近くに寄ってそう言うと遠慮なく翔に2/3ほどの段ボールを渡す。まあ、いいかと翔はなにも言わず受け取り、軽そうにスキップする茜の背中についていく。2人が教室へつくと、茜の友達が寄ってくる。その友達が翔をちらっと見て、茜を引っ張り話を始めた。
「彼氏?」
「そんなわけないじゃん、茜があんな冴えない男と付き合うとかないない!」
「だよねー」
翔はうっすらと聞こえて苦笑いをした。こっそりと抱えた大量の段ボールを置いて教室から出ようとすると、茜が背中をつんつんと指で押してくる。
「先輩、そういえば聞きました。今日ゆのちゃん来てるんですか?」
「まあ、な」
茜には隠す必要がないと、少し口籠りはしたが伝えた。茜はそれを聞くと、翔の手を引っ張って一緒に教室の外へ出る。
「なんだよ」
「そんなの。木崎先輩はアホですか。茜に教えてくださいよそのこと」
「会う気かよ……」
「別にそういうつもりではありませんけど、なんというか、来てるって安心感がですね」
あわあわと茜は手を振って否定する。茜はずっと会いたいと思っている、それは翔にもわかることだったが、誰かとゆのをこの学校で会わせることに翔は少し消極的だった。
「会いたいなら先生に言ってくれ。俺にはそこを決めれる力はないし」
「ですよね。あ、戻らないと。ごめんなさい先輩、そろそろ授業始まるんではやく戻ってくださいね」
茜の友達の声が後ろから聞こえ、茜が申し訳なさそうに翔に手を振って教室へ入っていく。翔はそれを見届けた後、時間を確認して、渋々自分のクラスへと戻ることにする。
○○○○○
「いい部屋ありそう?」
昼休みの保健室で、保健委員長である佳恋は今日も忙しなく働く。週末は足りないものを買い足す必要があるためリストにチェックを付ける佳恋は、長椅子に座っている翔と文化祭当日の企画会議をしていた。
「いえ、やっぱりほとんどの部屋は空いてませんし……」
「だよね。仕方ないか。……あっ」
ガチャン、と肘で押してしまったペン立てを落としてしまい、ペンが転がっていくのを佳恋は慌てて拾う。翔も足元に転がってきたボールペンを拾い、床に置かれたペン立てに入れた。
「ごめん、わたしが不注意だった」
「大丈夫ですよ、あやまらなくても」
ペン同士のぶつかる音が鳴り響く。そのペン立てを持ち上げようと見上げた佳恋と目線が合わさった翔は、その目の前の綺麗な顔立ちから目を逸らして会話しようとする。
「忙しいならそっち優先でも」
「ダメだよー、もうあと1週間なのに、まだ場所取り出来てないなんて慌てるに決まってる。ここは保健室として使うし、ちゃんとしたところがないと……」
佳恋は立ち上がり、また棚を整理し始める。翔はもう一度座り直して考えていると、そういえば、と向いた。
「木崎くん、クラスの出し物とか本当に大丈夫?少し心配」
あははと翔は笑って誤魔化すしかなかった。そんなから笑いを聞いて佳恋は頬を膨らます。
「ちゃんと少しくらいは手伝ったりしないとダメだよ?」
「でも、手伝わなくてもいいって言われ」
「そんなの嘘に決まってるからね!…まあもう、遅いかもだけど…」
途中までは説教の如く声をあげたが、最終的に尻すぼみになる。佳恋もそこそこ、翔の立場を察してしまった。少し沈黙がかかると、そこに女子生徒が入ってくる。
「あー、あのー……」
「はーい、待ってねー」
すぐさま佳恋が対応を始めるのを、翔は渡されたチェックシートを見回して暇を潰す。来週末の文化祭では少し多めにと、追加分としての数字が多く書かれており、几帳面さが伝わってきた。
佳恋が担当の日は特に人の出入りが多い。佳恋はそれほど信頼されているのだと思っているのだが、真実は綺麗な女性に会えるのを良しとした人の欲望なのだろう、と翔は動き回る彼女の手伝いをしながら考えて少し複雑な気持ちになる。それもゆのの顛末を考えれば、当たり前のことであった。
「木崎くん、そこの体温計取って」
椅子の上にある拭き布と共に置き去りにされた体温計を掴み佳恋の差し出す手に置くと、ありがとうと何気ない返事がくる。それを聞いて、翔は彼女の離れていく手に虚しさを覚える。桃色の喧騒の響く室内は先生が入ってくるまでは止まないままだった。
ガチャリ。職員室の扉をひとりで開いたゆのは、視線の多くなることに対して耳を塞ぎ、目が霞む情報遮断をしてしまう。緊張と相まって、伝えなければならないことを伝えられない口が、ゆのの心臓を深く刻むように呼吸を早める。胸を押さえてうずくまるゆのの後ろから、いつも聞いていたあの声が、また微かに入ってきた。
「ゆの!どうしたんだよ!」
伸ばされた手が触れようとして手を引く。ゆのは誰かに触れられることさえ嫌っていることを、翔は知っている。そんな翔に掛けられた声を逃さず、ゆのは苦しそうに声を漏らした。
「大丈夫、先生に伝えに来ただけだから……」
「そんなんで大丈夫なわけないだろ!」
すぐにゆのの担任が駆け寄り、掠れた声で終わりました、とだけ伝えた。たったそれだけのことですら、人々の視線、思惑、声に触れて口を塞いでしまうのが、ゆのにも、翔にも辛いことでしかなかった。ふらつき立ち上がるゆのが、ゆっくりと職員室から出るのを、翔は少しの間見つめるだけだった。
扉が閉まるとふっと意識が戻る。自分の中のなにかが囃し立て、すぐさま翔は扉を開き、ゆのの手を掴む。びくりと身体が震え、ゆのが恐怖感を纏った瞳で翔を見た。
「翔。ごめん。帰ろ」
無理して笑った顔が翔の心を刺す。
「なんでひとりで行ったんだよ」
「だって、ほんとは翔はもう私と会わないと」
翔は頭を抱えた。そして無理矢理引っ張り、朝のように早い足取りで連れて行く。
何度かノブを捻ったが、まだ開いていなかった。保健室の扉には鍵がかかっており、人がいないことをわからせてしまう。
「速いよ、翔。もっと私のことも考えて」
「ごめん。次からはもっと優しくする」
こくり、ゆのは一度だけ頭を縦に振る。鍵がかかっているなら仕方がない、と玄関の方へ向かおうと振り返ると、佳恋がそこに立っていた。
「どうしたの?なにかあった?」
不安そうな顔で暗い顔をした翔とゆのを見つめる。その心配をしている目が、2人には少し気まずかった。
「とりあえず、中に入れませんか?」
「あ、そうだった。すぐ開けるね」
開いた扉を潜り、翔は真っ先にゆのを椅子に腰掛けさせた。佳恋はそれを見て、少し状況を察知した。
「少し休んでいっていいよ、八重山さん。ここはそういうところだから」
変に作りもしない、優しい言葉だった。ゆのもそれに少し安心して、握っていた手を緩め離す。その手を見てゆのを見ると、ふと、翔は足りないものを感じた。
「あ、ゆの、鞄は?」
ゆのは少しはっとした。職員室には持ち込んでいなかったのを思い出し、ある場所を指した。
「あの教室かな……後で取りに行くよ」
「いや、俺が取ってくるよ。すぐ帰ってくるから休んでて」
少しの間が空いてうん、と返事が聞こえるのを確認し、部屋を出る。
少し奥にある空き教室は、校舎のほぼ最奥にあり時々人が通るほどであまり目立つところではない。そのため静かになにかをするにはうってつけらしく、さっきも手を繋いで密着するカップルの横を通り過ぎたところだった。教室に入ると学生鞄がひとつ、机の上に置かれていた。その鞄の横には、直すのを躊躇ったのか文化祭の注意事項の紙や受けなかった夏課題テストが纏められていた。
「文化祭か……あっそうだ」
ふと、佳恋から翔に渡された課題を思い出す。いい部屋を見つけてほしいと、そう言っていたのを蘇らせると、鞄と用紙を別に持って早足で歩いた。
保健室の扉を開くと保健先生と、あと1人がいた。
「あ、木崎先輩、どうも。」
素っ気ない挨拶で送られた。茜はゆのの隣に座り、なにやら他愛もない話をしているようだった。茜が先生に話があったらしく、偶然にも集まったことになる。戻ってきた翔の息が少し荒く、急いで帰ってきたことに佳恋は気付き、持った鞄を受け取ってゆのの隣の空きスペースに置いた時話を切り出した。
「なにに急いだの?」
「あ、そうだ、川島先輩。ゆのがいつも使ってる教室なら、用意されてるものもなかったです、もしかすると空いてるかもしれません」
「どこだっけ?あの、奥まったところの?あまり人が来ない方が、雰囲気あっていいかもしれない」
佳恋はすぐに先生へ相談を持ちかけ始める。その近くで翔の方を気にしてこちらをじっと見る茜の姿があった。
「あれえ?こんな美人さんと、なにこそこそやってるんですか?木崎先輩、もしかしてこういうおっぱいの大きい人が好みなんですか?」
少し大きい声で、佳恋に聞こえるように翔に話しかける。翔と佳恋が顔を赤くして茜を見て、ゆのも少し可愛く咳き込んだ。
「あ!図星って顔してますね。こんなアホに好かれた先輩もなんというか、気の毒です」
「そそ、そんな、木崎くんは魅力的だよ!?」
「それは素直に受け取っていいのか反応に困ります…別にそういうんじゃなくてだな」
佳恋は必死に弁護するが少し的外れな内容に翔は苦笑いして、文化祭で2人ですることを茜とゆのに話すことにした。聞いた茜はなにやらにやけ顔で翔を見て話す。
「なるほど。暇人の木崎先輩を使って、なにやら面白いことしようとしてるわけですか……それ、茜も入れてもらっていいですか!」
「は?なに言ってんだよ」
翔が言ったが、それよりも佳恋が嬉しそうにで茜の手を握った。
「本当!?人は多いほうが嬉しい!あ!そうだ、八重山さんも入るだけ入らない?」
佳恋がゆのの方を見ると、ゆのは少し羨ましそうな顔をしていた。その顔を自分自身で気付いて、恥ずかしがるように自分の顔を手で覆う。
「ゆのちゃん、書くだけでもいいんだよ。先生たちに見せたらどんな顔するか見ものでしょ」
「お、おい、ゆのは……」
心配そうに翔がゆのを見ると、見るからに嬉しそうな彼女がいた。手を顔から離して、久しぶりにちゃんと見るその端正な顔が、翔の目に映った。
「私が、この私が入っていいのかな…」
「ゆのちゃん、やっぱり人生、楽しんだもん勝ちなんだよ!だからそんな落ち込んだ気分なんて吹き飛ばしちゃお!」
「来るかはわからないけど、じゃあ……」
そうやってゆのが、自分から、ボードに名前を書き始めた。それに驚いていた翔を余所目に茜は2人に笑顔を向けた。
「あはは、なんか、一年間自分がやってきたことってなんなんだろうな」
その無邪気な笑顔をする茜を見て、そのボードへ写される文字を嬉しそうに見る佳恋を見て、そして感情を強く出せていないなりの嬉しさを見せているゆのも見て、翔は気が抜けた。悔やんで、悩んで、そうやって積み重なった悪いものがスッと頭が抜けた感覚がした。
翔にずっと残っていたゆのが、薄れる。辛いことが頭から離れないとしても、周りと触れることは、ゆのにとってよかったのだと思った。
そして翔は、自分はゆのをなんだと思っていたのか、と自己嫌悪した。気持ちの晴れた自己嫌悪だった。
「それじゃあ、新生グループで、頑張っていきましょう!」
茜が取り仕切りえいえいおー!と言うのを、佳恋はノリ良く両手を上に掲げ、ゆのも小さく腕を上に挙げた。その状態が続いてすぐ、翔の方に茜の視線が当たった。
「ほら、木崎先輩も、おー!って」
「お、おー」
「もう、やる気ないですね。そんなんじゃ置いていきますよ?」
半ば自棄的に返事をするので、茜がジト目をして見つめる。その近くでバンザイをしていた佳恋も便乗して翔に怒ったフリをし、崩して柔らかく微笑んで翔に言う。
「木崎くん、あなたも一員なんだから新人のことちゃんと教育してあげてね」
「ちょっと待ってください!木崎先輩に教育されることなんてありません!ね、ゆのちゃん!」
「あはは……少しくらいはあるよ。……あるよね?多分……」
茜の容赦ない皮肉をゆのがどうにか擁護しようとして、続くにつれて声が弱まる。そんな和気藹々とした彼女たちを見て、翔は小さく呟いた。
「ありがとう」
○○○○○
晴れた空の下でも、登校には見ることも叶わなかった緩い下り坂、握られたゆのの手のひらの熱が指の先も伝わってくる。前を見ると、夕陽が見える景色を赤く染めていた。ふと、ゆのが手を引いて立ち止まり、足を止められた翔が振り返る。
あの日、あの時に別れたあの場所で、翔とゆのはまた、顔を合わせていた。
「ここは、私と、翔が喧嘩したところだよね。今でも鮮明に覚えてるよ」
目が合わさってすぐ、ゆのは目線を斜めに逸らした。翔はそれを見ても、ゆのの言葉を懸命に手繰った。
「ああ、そうだな」
これ以上は、翔からは踏み出せない。あの日があって今があるのが、心の奥を握りしめる。
ゆのは息を吸った。深く深く、吸い、大きく吐いた。その深呼吸が終わると、ゆのは翔の瞳を強く捉える。夕陽に照らされたゆのの顔、そして伸びた髪の奥から見える瞳は恐怖を隠そうと必死で、涙が零れそうにきらめいた。真剣に、目に焼き付けるように。
「ゆの……」
忘れもしなかった、ゆのの綺麗な顔立ち。瞬きすらをも忘れるほど、翔はその中の瞳に捕らわれていた。もう逃げられないんだと、ゆのを見て感じた。
「めちゃくちゃ怖い。人と目を合わせると、人間のなにかに触れたみたいで恐怖心が止まらなくて、涙が出てしまうの」
「じゃあ、なんで」
「もう、1年だよ。あの日から、何回も何回も逃げ出したい、消えたいって思ってた。でもやっぱり、自分から変わらなきゃ、多分私はずっとこのままだと思ったから」
涙が溢れて、地面にぽたぽたと落ち始めた。ゆのはそれを拭うこともなく、ひたすらに恐怖を殺すよう手に力を込め、目の前にいる翔を見つめている。
「別にそんな無理しなくて」
「するよ。あんなことがあったって、翔に心配されるのは嫌だ」
少し皮肉めいた言い方だった。耳にしたことのあるその言葉遣いに翔は懐かしさを覚え、抱え込んだ涙が溢れそうになる。ゆのは、そんな情けのない顔を見て、でも……、と話を続けた。
「でもね、まだ勇気が足りないから、私、自分勝手だけど。この手は離さないで……私を救って」
1年かけて、離れていた距離がまた一歩近付いた。なによりも、ゆののひとつひとつ紡いだ助け、翔はその言葉が嬉しくて、悔しくて深く頷く。ゆっくりと、言葉を繋ぐ。
「なにも出来ないかもしれなくても、俺は、ゆのの手を離すつもりはないよ」
「去年突き放した分、返済してね」
「わかってるよ」
この場所、この景色が、次は離したくないと、翔は強く思わせた。手探りで求めていた答えはわからないまま、
「帰ろっか」
ゆのは照れ臭そうに言う。翔の手は、ゆのと繋がった手と、それを離さないように置かれた彼女の震えた手に包まれていた。
長い時間が経ったと思っていた。冷たい秋風が2人を曝す。ゆのが濡れた頬を手で拭い、2人で帰り道を歩く。いつもの嫌な気持ちはすでに薄まった翔は、今更に繋がった手を意識して胸がドキドキしはじめた。ゆのにバレないように、平然と歩こうと必死に歩みを進めた。しかし思ったよりも早く進まないのは、今日一日でたくさんのことがあって疲れたからか歩くのが遅いゆのに合わせていたためだった。
家が見えてもまだ陽は落ちていない。自分の家の隣の、ゆのの家。車はまだ戻ってきていない。
「翔。1週間後、よろしくね」
1週間後。1年越しの文化祭。しんどいことを思い出しても意味がない、と翔は頭に浮かべたことに首を振り、ああ、と返事をした。
ゆのの家の玄関で、靴を脱ぐ前にすっ、と手が離れる。翔は少し寂しく、そして安心した。
「じゃあまた、家族帰ってきたらちゃんと言っとけよ?」
「さすがに言わなきゃ、心配させちゃうよ」
翔が2人ともわかるいらない心配をかけ、ガチャリと扉が閉まるのをゆのが確認すると、胸に手を置いた。鳴り止まない鼓動が気恥ずかしくなり、閉まったドアにゆっくりと凭れかかる。
すっ、と手を離した時、ゆのは、自分の胸の奥の高鳴りを聞かれる心配がなくなり安心していた。それはまた──。




