第43話 初めての舞踏会
国王は、小さく頷き、少しだけ口元を緩めた。
「今宵、祝賀の夜会を催す。女公爵クリスティーナ・グランヴァルトの、初舞台である」
聖堂内では静かに拍手が広がっていくが、一方クリスは心の中で小さくため息をついた。
(…帰りたい)
拍手が収まりかけた頃、父が静かに前へ出て口を開いた。
「陛下、夜会でのエスコートは私が務めさせていただきたく存じます」
クリスは、信じられないとばかりに僅かに目を見開いた。その表情に複雑な色が浮かんだ時、前公爵が同じように前へ出た。
「いや、ここはわしが」
父が、驚いたように振り返った。
「わしにも詫びる機会が欲しい」
前公爵は、譲らなかった。
父と前公爵はお互い一歩も譲らないという表情のもと、聖堂の中央で静かに睨み合った。周囲は、その光景をどう扱ったものか分からず黙って見守っている。
国王が、そこで片手を上げた。
「いや、夜会の入場は父親が務めよ。そしてその後の最初の舞踏は本人に選ばせよう」
最初の舞踏の相手を選ばねばならない?クリスは、困ったように視線を巡らせた。父を見、前公爵を見た。それから、列席の端に立つレオンハルトを見た。ドゥーガルとも目が合った。
ドゥーガルが思わず自分を指差した。
「お、俺!?」
クリスは、それを無意識にスルーして少しだけ考えてから静かに口を開いた。
「…団長」
レオンハルトは、一瞬、固まった。
「…俺か」
国王が興味深そうに目を細め、宰相が小さく咳払いをした。
「これはまた…」
列席の貴族たちの間に、小さなざわめきが広がっていく。
「団長が…?」
「聖女様と、騎士団長が…」
クリスは、そのざわめきに少し戸惑ったように付け加えた。(じぃじがいなかったら、そうよね…)
「…一番、安心できるので」
それだけだった。恋の話ではない。ただそう感じたから、そう言った。
レオンハルトも、いつも通りの調子で答えた。
「…承知した」
その素っ気ない受け答えに、周囲だけが勝手に盛り上がっていく。クリスとレオンハルトの二人だけは、その温度差に気づいていなかった。
夜になり、王城の大広間には灯りが煌々と灯されていた。
クリスがまとうドレスは、急な話にもかかわらず、公爵家が威信をかけて用意したものだった。グランヴァルトの紋章を控えめに織り込んだ、深い藍色の一着。仕立てを聞いたドイルさんは、「一晩でこれを…!?」と絶句していた。
夜会の入場は、王の裁定通り、父の手を取って行われた。クリスは見慣れないドレス姿のまま、父の隣で静かに歩みを進めた。大広間の中央まで来たところで、父はふと足を止めた。
「クリス」
「…はい」
「ここから先は、お前自身の人生だ」
父はそう言って、そっとクリスの手を離した。
その一言に、クリスはしばらく何も言えなかった。長い間、繋がれることのなかった手だった。ようやく繋がったその手が、今、自らの意思で離される。それが、償いの終わりでもなく、始まりでもなく、ただ、次の一歩を委ねる合図だということが、伝わってきた。
「…はい」
クリスは、それだけ静かに答えた。
そこへ、国王の声が響いた。
「騎士団長、彼女を、頼む」
レオンハルトが、静かに歩み出て、一礼した。
レオンハルトは、クリスの前に立ち、静かに手を差し出した。
「クリス」
クリスはその手を見て、ほんの少しだけいつもの調子に戻った。
「…私、大丈夫でしょうか…」
「正直に言えば、俺も自信はない」
冗談なのか本気なのかわからないその一言に、クリスは小さく笑ってその手を取った。
楽団が静かに音を奏で始める。大広間の視線が二人に集まった。
レオンハルトが姿勢を正し、クリスの腰へそっと手を添えた。
「…いいか」
クリスは、しばらく固まっていた。
「…あの、団長、私全く踊れません」




