第42話 聖女、そして女公爵へ
アイラが、震える声で呟いた。
「…白き魔力」
大司祭はしばらくその光景を見つめ、それから深く頷いた。
「間違いない」
聖堂の中に静かなざわめきが広がっていく。誰の目にも疑う余地のない光景だった。大司祭は、視線を祭壇の脇に座るルゥへと移した。
「神獣よ、契約を示せ」
ルゥは大きな瞳で大司祭を見上げた。
「きゅ!」
人々は一言も発さず、聖堂内は沈黙に包まれていた。その時、丸窓から差し込んでいた光が不意に強さを増した。一筋の光がまるで導かれるように、ルゥの小さな体へと降り注いでいく。ルゥの毛並みが光を受けて輝きを帯びていく。やがて、小さな体がふわりと浮き上がった。
その瞬間
ファサッ——!!!
白銀の毛並みが大きく膨らんだ。小さな体は、瞬く間に人の背丈をゆうに超える大きさへと変わっていった。艶やかな毛並み、澄んだ金色の瞳、そして、背に一対の光をまとった翼。
聖堂に集まった誰もが、言葉を失った。
前公爵は両手で口元を覆い、その場に立ち尽くしていた。生涯をかけて追い続けてきた伝説が、今、目の前に、実物として現れていた。声を出すことすらできなかった。その手が反射的に老眼鏡へと伸びかける。何かを目にした瞬間、記録し、観察し、解き明かそうとする—それが、前公爵という人間だった。
だが、指先が老眼鏡に触れる直前に前公爵は、その手を止めた。
「…いや、今は記録する時ではない」
老眼鏡から静かに手を離す。その視線は、巨大化したルゥではなくその傍らに立つ孫の姿へと向けられていた。前公爵の目には、みるみる涙が浮かんだ。声もなくただ肩を震わせている。
キャスバートもいつの間にか涙を拭っていた。
「…まさか、生きているうちにこの目で…」
騎士団の列からは呆然とした声が漏れた。ドゥーガルが、思わず叫んだ。
「す、すげぇぇぇぇ!!」
隣で、ガレスが無言でその肩を小突く。
「静かに」
「…あ、はい」
レオンハルトだけは少し違う場所を見ていた。巨大化した神獣ではなく、その神獣にいつもと変わらぬ調子で話しかけているクリスの方を。
「…ルゥ?」
クリスは、見上げるように、大きくなったルゥへ声をかけていた。
ルゥは、大きな体には似合わないいつも通りの声で鳴いた。
「きゅう!」
そのまま、大きな鼻先をそっとクリスの頬に押し付ける。仕草だけは手のひらサイズだった頃と何も変わっていなかった。
レオンハルトは、思わず小さく笑った。
「…ああ…やっぱり、あいつは変わらないな」
大司祭は、深く一礼した。
「…疑いの余地はない。クリスティーナ・グランヴァルトは、白き魔力を持つ者。神獣に契約を認められし、真の聖女である」
その宣言が、聖堂の中に静かに広がっていく。列席の誰も、それに異を唱えなかった。
国王が静かに口を開いた。
「大儀であった。随分と、大きくなったものだな」
クリスは、巨大なルゥの肩にぽんと手を置いた。
「…私も、驚いています」
その素っ気ない返事に、国王は小さく笑う。聖堂に集まった者たちの間にも静かな笑いが広がっていく。重々しい儀式の空気が、その一言でようやく人間らしいものに戻っていった。
聖女認定の宣言が響いた、その同じ聖堂で国王アルベリック・アルドビー三世は静かに立ち上がった。
「クリスティーナ・グランヴァルト。」
その声に、聖堂が、再び静まり返る。
「そなたに、王国の名において新たな爵位を授ける。」
宰相が、恭しく一枚の勅書を掲げた。国王は、それを受け取ることなく、自らの言葉で続けた。
「本日をもって、そなたを女公爵と叙する。グランヴァルトの家名とは関わりのないそなただけの爵位として」
クリスは、深く頭を下げた。
「…ありがたく、拝命いたします」




