第35話 クリスの選択
国王はそれ以上声を荒げず、ただ、静かに続けた。
「禁書を調べたことは責めぬ。だが、目の前におった孫より書物を信じたことがお主の過ちだ」
その一言が謁見の間に、しんと染み渡っていった。
ーーー
レオンハルトは、騎士団本部に届いた召喚状をしばらく見つめていた。
ガレスは静かに尋ねた。
「クリスにはどこまで伝えますか」
「すべてだ。隠したままにする方があの子を傷つけるだろう」
レオンハルトは迷わず答えた。
執務室に呼ばれたクリスは差し出された召喚状に目を通すなり表情を強張らせた。
「え…国王陛下が私を?」
レオンハルトは、クリスの反応を注意深く見ていた。
「お前の力のことだ。神殿から報告が上がったんだ」
クリスの指先が微かに震えた。
「…また、勝手に決められるんですか…」
その一言に、レオンハルトの胸が鈍く痛んだ。
…三歳の頃からこの子はいつもそうだったんだろうな。
誰かに運命を決められどこかへ送られた。そして、再び彼女の道は誰かに決められる。
レオンハルトは、はっきりと言った。
「いや、今回は違う。国王陛下はまずお前の意思を聞きたいと仰っている」
クリスは、疑うような目で、レオンハルトを見た。
「…本当ですか?」
王城にある謁見の間にて、クリスは、レオンハルトの一歩後ろに立って緊張に肩を強張らせていた。
「面を上げよ」
国王アルベリック・アルドビー三世の声は思っていたよりも穏やかだった。
クリスは、恐る恐る顔を上げて国王の顔を見た。国王はしばらく黙って、クリスの顔を見つめていた。
「…あの銀の髪も、すっかり色が変わったのだな」国王は、ぽつりと呟いた。
「昔、そなたが生まれた頃の話を聞いたことがある」
クリスは、何も答えられなかった。
「単刀直入に聞こう。そなたは、これから、どうしたい」
国王は、肘掛けに腕を乗せ、両手を組んだ。
クリスは、一瞬言葉に詰まった。
「…どういうことでしょうか?」
「そなたの力は、もはや隠しておける規模のものではない。いずれ、聖女として、あるいはグランヴァルトの娘として、公にせねばならぬ日が来る。だが、それを、いつ、どのような形で行うかは、そなた自身の決定に委ねよう」
クリスは、驚いたように顔を上げた。
「…私が、自分で決めていいんですか」
「そうだ。そなたの人生は、これまであまりに多くの者に勝手に決められすぎた。これ以上、余までもがそれを繰り返すつもりはない」
クリスは、しばらく俯いたまま黙っていたが、静かに口を開いた。
「…私は、今のまま騎士団にいたいです。聖女とか、公爵令嬢とか、そういう肩書きよりクリスとして、団のみんなと一緒にいたいです…」
国王は、その言葉を静かに受け止めた。
「それだけか」
「はい。それだけです」
クリスは、少し驚いたように、自分の言葉を確かめるように頷いた。
国王はしばらく目を閉じ、それから静かに笑った。
「よかろう」
「公にする時期は、追って沙汰する。だが、それまでは、これまで通り、騎士団のクリスでいるがよい。無理に、何かを背負わせるつもりはない。」
クリスの目に、みるみる涙が浮かんだ。
「…ありがとうございます」
国王は、続けた。
「もう一つ、伝えておかねばならぬことがある。爵位の継承についてだ」
クリスの肩が僅かに強張った。
「そなたが、グランヴァルト家の長女であり、本来の嫡子であることは記録上動かしようがない。だが、余はフローラ嬢の後継者としての地位を覆すつもりはない」
クリスは、ほっとしたように息をついた。
「…よかったです。フローラは、ちゃんと公爵家で育てられて、継ぐための教育も受けています。私は……継ぎたいとも、思いません」
はっきりとした声だった。
「あの家の名前を、背負いたいとは思いません。」
国王は、その答えを、静かに受け止めた。
「分かった。では、こうしよう」
「グランヴァルトの家督は、このままフローラ嬢に。そなたには、聖女としての功績をもって新たに女公爵位を授ける。グランヴァルトの名とは、関わりのない、そなただけの爵位だ」
クリスは、目を丸くした。
「…女公爵、ですか。私、そういうのは…正直、面倒だと思います」
国王は、思わず小さく笑った。
「そう言うと思っていた。だが、これは、そなたのためだけではない」
「そなたを、長年見捨ててきた者たちに対して。王国がそなたをどう見ているかを示すための爵位だ」
クリスは、しばらく黙っていた。それから、小さく頷いた。
「…分かりました。面倒ですけど受けます」
その素っ気ない返事に、国王は、声を立てて笑った。
「うむ。それでいい」




