話29話 ヴァレリーの帰還
―それは、幾日かが過ぎた頃。騎士団の食堂でのことだった。
「…というわけで、来月には辺境へ戻ることになったわ」
食堂に集まった面々を前に、ヴァレリーはあっさりと告げた。途端に、周囲が大いにざわついた。
「本来の研修期間は、まだ残ってたんだけどね。昨日、父上から正式に呼び戻しが来たのよ」
「何かあったのか?」
ドゥーガルが尋ねると、ヴァレリーは少しだけ表情を引き締めた。
「ここしばらく、辺境で魔獣の活動が増えてるらしいの。小規模な襲撃が続いていて、防衛体制を見直すことになったみたい。あたしももう、ただの研修生じゃないからね。エルギンの次期当主として、戻ってこいってことよ」
ヴァレリーは肩をすくめた。
「もう帰っちゃうのか。せっかく模擬戦の相手になってもらえるようになったのに…」
ドゥーガルは寂しそうに口を開いた。
「泣きごと言わないの」
ヴァレリーは、ドゥーガルの頭を軽く小突いた。
「帰ってしっかり魔獣退治しないとね」
ガレスが、眼鏡を押し上げながら淡々と付け加える。
「辺境伯領の防衛体制は、王都のそれとは比較になりません。彼女が抜ければ、向こうの負担も増えるでしょうね」
「そういうこと。だから、帰らないわけにはいかないのよ」ヴァレリーは肩をすくめた。
ーーー
出立の朝。門の前まで見送りに出たのは、クリスだけだった。
「見送り、あんただけ?」
ヴァレリーは、少しおかしそうに笑った。
「他のみんなは?」
「昨日の夜、たくさん飲んで見送ったので」
「ああ、なるほどね」
荷を背負い直しながら、ヴァレリーは、しばらくクリスの顔を眺めていた。
「……あんた、変わったわね」
「え?」
「初めて会った時、団長の隣にいるのにいつも怯えた顔してたじゃない。誰かに見つかったら叱られるみたいな、そういう顔。」
クリスは、思わず俯いた。
「…そう、見えてました?」
「見えてたわよ。でも今は違う。ちゃんと、騎士の顔して自分の場所に立ってる顔をしているわよ」
その言葉に、クリスの胸の奥が、じんわりと温かくなった。
「……ありがとうございます」
「礼を言われるようなことじゃないわ」
ヴァレリーは、にっと笑った。
「あんたが、自分でそうなったのよ」
そこへ、レオンハルトが姿を見せた。
「ヴァレリー。世話になったな」
「団長!」
ヴァレリーは、いつもの調子で笑いかけた。それから、ふと真顔になって、こう続けた。
「一つだけ、言っておくわね。あなたが守るべきものは、ちゃんと近くにありますよ」
レオンハルトは、怪訝そうに眉を寄せた。
「…防衛計画の話か?」
「そういう意味じゃないんだけどな」
ヴァレリーは、肩をすくめてそれ以上は説明しなかった。分からないなら分からないままでいい、というような顔だった。
最後に、ヴァレリーはふと視線を落とし、クリスの足元にちょこんと座っていたルゥを見つめた。じっと、しばらくの間。
「……ねぇ、クリス」
「はい?」
「この子、本当にただの魔獣?」
クリスの心臓が、小さく跳ねた。
「……なんで、そう思うんですか」
「勘よ」
ヴァレリーは、そう言って笑ったが、その目はまだ、ルゥから離れていなかった。
「魔獣の目つきにしては、なんとなく違う気がするのよね。目の奥が、澄みすぎてるのよね」
それ以上は、深追いしなかった。
「まあ、いいわ。今はまだ、あんたの秘密にしておいてあげる」
「じゃ、行くわね」
ヴァレリーは、荷を鞍に括り付け、馬に跨ると、堂々とした足取りで進み出した。
「手紙、書くから!ちゃんと食べてるかとか、団長を困らせてないかとか、色々聞くから、覚悟なさい」
「…はい」
振り返らないまま、最後にもう一言。
「今度は、辺境が危なくなったら、あんたたちを頼るかもしれないわ。その時は、貸し借りなしよ!」
その背中が、門の向こうへ少しずつ小さくなっていく。
クリスは、その背中が見えなくなるまで、ずっとその場に立っていた。




