第27話 その気持ちに、まだ名前はない
その光景を、少し離れた場所から見ていたクリスはなぜか木剣を握る手に力がこもるのを感じていた。
「筋はいい」—それは、以前、自分が言われた言葉とよく似ていた。だけどあの時とは何かが違う気がした。
「クリス?」
ドゥーガルに声をかけられて我に返る。
「……別に、何も」
いつものように返事をした。しかし、今日はその言葉が自分の胸の中にすんなりと収まってくれなかった。視線の先ではヴァレリーがまだレオンハルトに何か話しかけていた。楽しそうに当たり前のように、隣に並んで二人は会話を続けていた。
(…なんで)
なぜかその二人の様子を見ていると心がぎゅっとした。
しかし、クリスにはまだその答えが分からなかった。
その日の訓練を終え、クリスが王都の小さな家へ戻ったのはすっかり日が暮れてからだった。
「おかえりなさ……あら」
出迎えたドイルさんが、すぐに眉をひそめた。
「クリスさん、顔色が優れませんね」
その日の夕飯は、クリスの大好きなドイルさんお手製のクリームシチューだった。
「やっぱりどこか具合が悪いんじゃないの?手が止まっているわよ?」
ミセス・ドイルは不安げにクリスに話しかけた。
いつもなら器を空にするまで食べる。しかし今日ばかりは、スプーンを持つ手が途中で止まったままだった。
「あ、うん…なんでもないです…」
ドイルさんはその様子に益々首をかしげた。そんな様子に気がついたクリスは、ミセス・ドイルを安心させるように言った。
「明日はドイルさん特製のバブルアンドスクイークが食べたいです」
「あら、あれは残り物でつくるのよ、そんなのでいいの?」
「はい」
クリスは小さく笑った。
「明日、食べたいです」
居間では、じぃじが暖炉のそばで古い魔導書を膝に広げていた。相変わらず膝の上には丸くなったルゥがいる。
「…じぃじ」
「どうしたんじゃ?おぬし、今日はちょいといつもと違うの?」
クリスは、しばらく黙ってじぃじの向かいの椅子に腰を下ろした。何から話せばいいのか自分でも分からないのだ。
「今日、模擬戦を見たんです」
「ほう」
「団長と、新しく来た人の…」
じぃじは、本から顔を上げず静かに相槌を打った。
「それで?」
「その人、私と同じ女だし年齢も同じくらいなのに…あんなに強くて。団長にも、すぐに認められていて、それにそこにいるだけで周囲まで明るくしてしまうような人だったんです」
「ふむ」
「…なんでか、ずっとこのあたりがモヤモヤと変な感じで。それになんというか…」
クリスは、自分の胸のあたりを、ぎゅっと押さえた。
ヴァレリーさんは初対面でも自然に人の輪の中に入っていく。相手の目を見て、迷いなく言葉を交わし、和気藹々と一瞬で馴染んでしまった。自分にはどうしてもできないことだった。
「私は…彼女のようにできません。それに、苦しいような、悔しいような。なんだかそれだけでもなくて」
じぃじは、そこでようやく本を閉じた。膝の上のルゥが「きゅ」と小さく鳴いて身じろぎする。
「リリティーネ」
「ん?」
「おぬし、彼女の強さだけじゃなく別のものもみておるようじゃな」
「その気持ちを、おぬしはどう思っておる」
「わかりません」
「そうか。では、まだ名前をつけられるほど近くには来ておらんのじゃな」
じぃじは、しばらく黙って暖炉の火を見つめていた。それから、ふっと目を細める。
「…ワシにも、覚えがあるのう」
「え?」
「大昔の話じゃ」
それ以上は、語らなかった。ただ、懐かしむように少しだけ笑っただけだった。
「じぃじ?教えてくれないんですか」
じぃじは、ゆっくりと首を振った。
「今、それに名前をつけてやるのは簡単じゃ」
「じゃが、その名前はお主が自分で見つけるべきものじゃ。他人に教えられた答えは、いずれお主自身のものにはならん。人生というものは、なかなか面白いものじゃよ。ほっほ」
クリスは、少し不満げに、じぃじを見た。
「…ずるいです」
「ずるくて結構」
じぃじは、穏やかに笑った。
「ただ、一つだけ言えるのはな。その気持ちは悪いものではないぞ」




