第24話 お守りの終わりと新しい出会い
その様子を、回廊の陰からエリザベスはじっと見ていた。彼が誰かのために、あんなに強い声を出すのを見たことがなかった。自分のために怒ってくれたことは、何度もあった。でもあの顔は違った。まるで、失いたくないものを守ろうとしている人の顔だった。
エリザベスは、その場に立ち尽くした。指先からすっと冷えて行くのを感じた。そして心のどこかで恐れていたことが静かに形になっていった。悲しいはずなのに不思議なくらい涙は出なかった。きっとずっと前から気づいていたのだ。気づかないふりをしていただけで。
その日、エリザベスはレオンハルトに会わずにそのままその場を去った。
ーーー
討伐から戻って、しばらく経っていた。
クリスが女性だと分かってからも、所属部隊の空気はほとんど変わらなかった。クリスの実力も立場も何一つ変わらない。女だからと批判してきた他部隊の騎士たちは相応の処分を受け、それ以降、面と向かってクリスに食ってかかる者はいなくなった。
ただ一つ変わったことがあるとすれば、レオンハルトの視線が以前より少しだけ長くクリスに留まるようになったことだった。
夜会の日、レオンハルトはいつものように、エリザベスをエスコートしていた。
会場の令嬢達はレオンハルトの登場に目を輝かせる。
「麗しのライオンハート様のおでましだわ〜」
「相変わらずエリザベス様ともお似合い」
「大人の余裕と色気が最高だわ〜!あこがれる〜!」
黄色い声があちこちから湧き上がる。
会場の隅には談笑の輪の中にクリスの姿があった。騎士団の同僚たちに囲まれ、少し照れくさそうに笑っている。その様子に、レオンハルトの視線が自然と流れていった。
「…レオンハルト様」エリザベスが、静かに呼ぶ。
「……なんだ」
「今、どこを、見ていらっしゃいましたの?」
「…別に、何も」
その答え方に、エリザベスはふっと小さく笑った。
「昔から、そうですわね。嘘をつく時、いつも同じ間があります」
「…」
レオンハルトは、何も言えなかった。
夜会が終わったあと、庭園の一角で二人きりになった。
「エリザベス」
「はい」
「…すまない」レオンハルトは、静かに続けた。
「今まで、お前の気持ちに、応えられなかった」
エリザベスは、首を振った。
「謝ることでは、ありません。私、なんとなくわかっておりました」
レオンハルトが、驚いた顔をする。
「…いつから」
「さあ」エリザベスは、夜空を見上げた。
「あなたが、あの子の話をする時、声の温度が少し変わることに気づいてからかしら。私は、あなたに恋愛感情を返してもらったことは、一度もありませんでした」
その言葉に、レオンハルトの表情が苦しげに歪んだ。
「エリザベス、俺は―」
「いいのです」
エリザベスは、静かにそれを遮った。
「私は、あなたのそばにいられることが幸せでしたから。それだけで十分でした……そう言えたら、もっと格好良かったのでしょうけれど」
「本当は、違いました。いつか、ほんの少しでも、私だけを見てくださる日が来るのではないかと…そんな期待を、ずっと捨てきれませんでした」
エリザベスは、レオンハルトをまっすぐに見た。
「あなたが、誰かにあんな目を向けるのを、私は初めて見ました」
彼女は、静かに、けれどはっきりと告げた。
「レオンハルト様のお守りも本日までですわ」
そう言うと、くるりと身を翻す。レオンハルトの顔が見えなくなった瞬間、エリザベスの片方の目から宝石のような涙が一粒だけこぼれ落ちた。
けれど、ここまで…と、淑女としてそれ以上は流さなかった。涙を拭い、背筋を伸ばすと、静かに歩き出した。
「エリザベス!」
レオンハルトの声が、背中越しに聞こえた。けれど、振り返らなかった。
「今日まで、ありがとう。本当に…」
その声は、エリザベスの耳に届くかどうかというほど小さかった。彼女は振り返らずに馬車へと向かった。
レオンハルトは、しばらく、その後ろ姿を見つめていた。
(……もう、誰かと、そうなることはないと思っていた)
その思い込みを崩したのが、誰なのか、今ははっきりと分かっていた。
ーーー
侯爵邸へ向かう馬車の中、エリザベスは窓の外に流れる街灯りを眺めていた。これまでのレオンハルトとの記憶が脳裏をよぎる。
「はぁ…ばかみたい」
悲しくないと言ったら嘘になる。いつか振り向いてくれるかもしれない。そんな淡い期待を抱いて親にも婚約者を見つけないでほしいとずっとわがままを言ってきた。そうしているうちに25歳になってしまったが、それでも、エリザベスの心に後悔はなかった。むしろあの状態の彼のそばにいなかったほうが後悔していただろう。
「困った兄だわ」
エリザベスは、そう呟いてみる。
昔から手のかかる幼馴染で、大切な家族のような存在。
そう思えば、この胸の痛みもいつか薄れるのかもしれない。
その時、「―止まれ!」という御者の声とともに馬車が大きく揺れて止まった。
「どうしたの」
「申し訳ございません、お嬢様。前方に馬車が立ち往生しております。様子を確認して参ります。危険ですから決して外へは出られませんよう」
エリザベスが窓の外を見ると、道の脇にもう一台、貴族の紋章がついた馬車が止まっていた。その傍らで、青年が当家の御者と何やら困った様子でしゃがみながら話し込んでいるのが見えた。




