第23話 彼女が見たもの
「エリザベス」
「なあに」
「お前がいてくれて、本当に助かってるよ」
その言葉に、エリザベスの手が一瞬止まった。
「…知ってるわ」
エリザベスは静かに微笑み、紅茶の湯気へ視線を落とした。その表情は穏やかだったが、指先だけがカップの取っ手を少し強く握っていた。分かってる。分かってるのよ、それが「助かってる」であって、それ以上ではないってこと。でも、この人はきっと、私の気持ちになんて少しも気づいていない。
ーーー
クリスが騎士団に出かけたあとの王都の小さな家では、ブレイバーンは居間の椅子に腰掛けて古い魔導書を広げていた。膝の上には、気持ちよさそうにルゥが丸くなっている。
「…ふむ。この術式、三百年前のものにしては、随分と粗い」
「きゅ」
「お主も、そう思うか」
誰も見ていないのをいいことに、ブレイバーンは膝の上で丸くなった小さなルゥを相手に、延々と魔法理論を語っていた。ミセス・ドイルは魔法が使えない、かといってクリスは騎士団で忙しい。結果的に話し相手がルゥしかいないのだ。
そこへ、ドイルさんが洗濯物を抱えて入ってきた。
「あら、また、ルゥちゃんに講義してるんですか」
「講義ではない」
「独り言に付き合わせてるんですね?」
ブレイバーンは、少し気まずそうに咳払いをした。
「……聞き手が、必要なんじゃ」
ブレイバーンは魔導書を閉じかけて、また開いた。誰かに話したい知識ほど一人で抱えていると落ち着かないものだ。ドイルさんは、洗濯物を畳みながらくすりと笑った。
「本当は、クリスさんに遠慮してるんでしょう。せっかく、外の世界に慣れてきたのに年寄りの相手ばかりさせるのは悪いと思って」
ブレイバーンは答えなかったが、図星という顔をしていた。
夕方、玄関の扉が開いた。騎士団からクリスが帰ってきたのだ。
「ただいま」
その声を聞いた瞬間、ルゥがじぃじの膝から降りてタタタッと駆け出した。
「きゅーっ!」
まっすぐ、クリスの足元へ走り寄る。
「ただいま、ルゥ」
クリスがしゃがんで抱き上げると、ルゥは嬉しそうに頬にすり寄った。その光景を見ながらじぃじは椅子の上で小さく呟いた。
「…別に。嫉妬なぞ、しておらんぞ」
クリスにはその言葉が届いていなかったが、ドイルさんだけがその独り言を聞いて台所で肩を震わせて笑っていた。
ーーー
その日、エリザベスはレオンハルトに会うため、騎士団本部を訪れていた。「レオンハルト様は、訓練場に」と受付の騎士にそう言われ、そちらへ向かう。見慣れた石造りの回廊には、夕日が斜めに差し込んで長い影を床へ落としていた。その静かな空間に、嘲るような笑い声だけが不自然に響いていた。
「―だから、女のくせに、討伐隊にいるのがおかしいんだよ」
見ると、他部隊の騎士が数人、クリスを取り囲んで何やら騒いでいるようだった。
「男のふりまでして、団長に気に入られて。実力じゃなくて、色仕掛けじゃないのか」
クリスは、何も言い返さずにただじっとその場に立っていた。
エリザベスは、衝撃で足を止めた。
夜会で感じた違和感が、すべて繋がった。
白い肌。整いすぎた顔立ち。男にしては細すぎる手足。やっぱりあの子は女の子だったのだ。
その時、突然廊下には低く鋭い声が響き渡り、騎士たちが一斉に振り返った。
「何をしている!」
「団長…!」
レオンハルトが大股で歩いてきていた。その表情は、エリザベスが今まで見たことのないほど冷たかった。
「今の言葉、もう一度言ってみろ」
「い、いえ、その…」
「色仕掛け、と言ったな」
騎士たちの顔が、青くなる。
「クリスの実力は、俺が保証している。討伐での働きも、記録に残っている。それを、そんな言葉で片付けるということは」レオンハルトの声が、さらに低くなった。「俺の判断力まで、疑うということだな」
「そ、そんなつもりでは!」
「二週間、謹慎処分だ。詳細は、後日、正式に通達する」
騎士たちは、言い訳をすることもできずに青ざめた表情のまま、その場を走り去っていった。
レオンハルトは、その背中を見送ったあとでクリスの方を向いた。クリスは張りつめたまま、肩に力を入れて立っていた。
「大丈夫か」
その声は、さっきまでの冷たさが嘘のように、静かで優しかった。
「…はい」
「気にすることはない。お前の実力は、俺が一番よく知っているからな」
クリスは、少し驚いた顔をして、それから体の力を抜いて口をひらいた。
「…ありがとうございます」




