第2話 三歳で閉ざされた扉
そんな彼に、待望の孫が生まれた。
クリスティーナ・グランヴァルトと名付けられたその娘に、誰もがグランヴァルト家の血を受け継ぐ者としての期待を寄せた。どれほどの魔力を持つのか、どれほどの才能を見せるのか——皆がそれを楽しみにしていた。
クリスティーナが三歳の誕生日を迎える少し前、事件は起きた。
「おかあさま……」
幼いクリスティーナは泣いていた。お母様の姿がどこにも見当たらず、父の姿もない。ちょうどその頃、公爵夫人は第二子を懐妊しており、クリスティーナは乳母の手で育てられていたが、それでも母が恋しくてたまらなかったのだ。
「おかあさま……」
その声が響いた瞬間、世界が震えた。
魔力が爆発し、屋敷中の魔道具が一斉に反応する。窓が震え、使用人たちは悲鳴を上げた。
「姫様から離れろ!!」
その混乱の中で乳母が負傷し、クリスティーナはその場に倒れ込んだ。そして、そのまま目を覚まさなかった。
一日が過ぎ、一週間が過ぎても、幼い少女の熱は下がらなかった。上がっては下がり、下がってはまた上がることを繰り返し、二週間、三週間と時が過ぎていく。集められた医師団は、誰もが首を横に振るばかりだった。
「……こればかりは、我々にはどうにも。とても言い難いことではあるのですが、もしかしたら助からないかもしれません」
前公爵は、書斎に積まれた古文書を見つめていた。炎を操った歴代当主、大地と契約した魔法使い、生命を癒やす聖なる術者——グランヴァルト家には千年以上に渡る魔法の記録が残されているが、どれほどページをめくっても、同じ記述は見つからなかった。一人の人間が、すべての魔法に適性を持ったという記録など、どこにも存在しなかったのだ。
「……ありえん」
前公爵の指が震える。魔法とは本来、魂が選んだ一つの道を極めるものであり、すべてを扱う者など歴史上存在しない、いや、存在してはならないとされていた。それでも、古い禁書の片隅には、わずかにこのような記述が残されていた。
『白き魔力を持つ者・あらゆる理を受け入れる器・神に近づきすぎた者』
だが、その先を読もうとしても、次のページはすでに破れていた。
「まさか……これは祝福ではなく……禁忌なのか……神の領域に近づきすぎた者は、神の怒りを買う。神は、この子を罰するだろう。いや……この子をこのまま置けば、公爵家そのものに災いが降る」
「…クリスティーナを離れへ移せ」
前公爵の声が、静かな執務室に響いた。
「……父上?」
現公爵は耳を疑い、思わず問い返した。
「今、何と……」
「聞こえなかったのか。あの子を本邸から離せと言ったのだ」
「父上、お待ちください!」
珍しく、息子の声が震えた。
「クリスティーナはまだ三歳です! 母親からも離れ、今度は家族からも離すというのですか!」
前公爵は表情を変えないまま答えた。
「必要な処置だ」
「必要などではありません!」
「魔力を制御できぬ者を、屋敷の中心に置くわけにはいかん」
「……あの子は、ただ母を求めて泣いただけです!まだ三歳なのです!」
一瞬、前公爵の目が揺れたが、その揺らぎはすぐに消え去った。
「お前は魔法を理解していない」
「…」
「年齢など関係ない。問題は、あの子の持つ力だ。グランヴァルトの歴史に、あれほど異質な魔力を持つ者は存在しない。一つの属性に選ばれる。それが我ら一族の魔法の在り方だ。だが、あの子は違う炎、水、風、大地……あらゆる魔力が、あの子に呼応した」
前公爵は静かに言い放つ。
「そんなものは祝福などではない」
「……」
「古い禁書に、こんな一節がある。『白き魔力を持つ者。あらゆる理を受け入れる器。神に近づきすぎた者』神に近づきすぎた者…それは、人でありながら、人であることを逸脱した存在ということだ。人の器に収まるべきものなのか、私には判断できん」
前公爵は、苦しげに目を閉じた。
「今回は乳母だった。だが、次はお前かもしれん。妻かもしれん。これから生まれてくる子かもしれん。もし、この力が神の禁忌に触れるものなら。公爵家そのものに災いを呼ぶ。…これは祝福ではない。神が人に与えてはならぬ力を持ってしまった、その報い、神罰なのかもしれん」
「そんな…!だからと言って…!父上、それでもクリスティーナは私の娘です!」
前公爵は首を横に振った。
「だからこそ隔離するのだ」
現公爵は唇を噛んだ。
「父上……」
「お前には理解できまい。理解できるほどの力を持たなかったのだからな。忘れるな。お前はグランヴァルトの名を継いだだけだ」
「……」
「その血に相応しい力を持たぬ者が、私に意見するな」
沈黙が落ち、現公爵は拳を握りしめる。だが、父には逆らえなかった。かつて一度も認められることのなかった息子は、今もまた、父の前では無力だった。
三歳のクリスティーナは、この日を境に、本邸で暮らすことは二度となかった。




