第19話 誰かの隣にいた時間
それは、ある日の夜会でのこと。
会場では、シャンデリアの光の下、着飾った人々が談笑していた。クリスは騎士団の礼服に身を包み、少し居心地悪そうに壁際に立っていた。突然「あなた」と声をかけられて振り返ると、美しく着飾った令嬢がまっすぐにこちらを見ていた。
「最近、騎士団に入られた方よね」
「はい」
「初めまして。私、ロックウェル侯爵家のエリザベスよ。レオンハルト様の、幼馴染なの」
その名前に、クリスは少しだけ表情を変えた。
「クリス、と申します」
「知っているわ」
エリザベスは扇を軽く広げながら微笑んだ。けれど、その目は笑っていない。
「討伐の噂、聞いているもの。団長直轄の、新人さんでしょう。しかも…あのレオンハルト様が、わざわざご自身で面接されたとか。一体どこの家の出身なのかしら」
「…平民です」
「あら」
エリザベスの眉が、わずかに動いた。ふと、クリスの顔を見つめる。白い肌に整った目元。男にしては、どこか線が細い。
「随分と綺麗な顔立ちなのね」
「…そうでしょうか」
エリザベスは一瞬だけ首をかしげたが、すぐに笑みを浮かべた。
「そう、平民が団長直轄。随分と優遇されているのね。驚いたわ。あの人がそんな風に誰かに時間を使うなんて」
エリザベスは扇の奥で、クリスをじっと見つめた。
(…なんだか不思議な子ね)
「あの人が、他人に興味を示すなんて。初めて見たわ」
その声には、戸惑いと、わずかな寂しさが混じっていた。
「実力を認めていただいただけです」
「実力、ねぇ」
エリザベスは小さく笑った。
「私は、十五年よ」
「…え?」
「十五年、あの人のそばにいたの。病んでいた時も、立ち直れなかった時も、ずっと」
その声が、少しだけ震えた。
「あ、その…病んでいた、とは?」
クリスは思わず尋ねた。
「あら」
エリザベスは少し意外そうな顔をした。
「知らないの?」
エリザベスは、扇で口元を隠しながら静かに語り始めた。
「あの人には、婚約者がいたの。もう、五年前になるかしら。政略でね。でも、義務でもちゃんと向き合おうとしていたわ。討伐で家を空けている間に、彼女は病気で亡くなってしまったのよ」
「あの人、彼女の最期に間に合わなかった。戻った時には、もうお墓の中だったのよ。それからしばらく、あの人はまともに話もできない状態だったの」
エリザベスの声に、初めて素の感情がにじむ。そこには、わずかな寂しさが混じっていた。
「私が、ずっとあの人のそばにいたのよ。何年もかけて、少しずつ笑えるようになるまでね。…だから、少し驚いているの。あの人が、また誰かを気にかけるようになったことに」
クリスは何も言えなかった。そんな過去があったことを知らなかった。
十五年…その年月の長さに、クリスはただ驚いた。
誰かのために過ごした時間。誰かに必要とされていた時間。
そんなものを、自分は知らない。離れで過ごした年月も、同じように長かった。けれど、そこには誰かと寄り添った記憶はなかった。ただ、自分だけが輪の外にいた。その感覚を、クリスはもう何年も知っていた。
その時だった。
「エリザベス」
レオンハルトの声が近づいてくる。
「探したぞ」
エリザベスの表情が、一瞬で優雅な笑みに切り替わった。
「クリスさんにご挨拶していましたのよ」
そう言って、エリザベスは当たり前のようにレオンハルトの腕に自分の腕を絡ませる。
「次のダンス、お願いしてもよろしくて?」
レオンハルトは、少しだけ、間を置いた。
「…悪いが、今日はやめておこう」
エリザベスは小さく笑った。
「相変わらずね」
レオンハルトが、少し戸惑ったようにクリスに顔を向ける。
「クリス、何を話してた」
「別に、何も」
クリスは、静かに目を伏せた。
「お先に、失礼します」
そう言って頭を下げ、その場を離れた。
会場を出る間際、もう一度だけ振り返る。レオンハルトの腕に、自然に寄り添うエリザベス。誰から見ても、お似合いの二人だった。
十五年、か…自分の知らない長い時間を、二人は時を重ねてきたのだ。レオンハルトの腕に自然に寄り添うエリザベス。その姿は、長い時間を共にしてきた二人にしか出せないものに見えた。その光景を見ていると、胸の奥が少しだけ痛んだ。(自分は、ここにいていいのだろうか?)そんな考えが、また静かに顔を出した。
「クリス!」
会場の外で、ドゥーガルが大きく手を振っていた。
「こっちだ!みんな、先に行ってるぞ」
「…ドゥーガルさん」
「お前、絶対一人で帰ると思ったから待ってたんだよ」
クリスは少しだけ目を伏せ、それから小さく笑った。
「…はい、ズボンストンさん。今行きます」




