第14話 神罰の真実
東屋から少し離れた回廊で、その一部始終を侯爵令嬢エリザベスが眺めていた。
手にした紅茶はとうに冷めていたが、気づく余裕もなかった。オルグレン家の令嬢が下がっていくのを見届け、ほっと息をつく。けれど、すぐにまた別の令嬢が扇を揺らしながら近づいていくのが見えてその安堵は一瞬で消えた。
「また、増えたわ…」
レオンハルトが婚約者を亡くしてから五年。彼が独り身だと知られるたびに群がる令嬢の数は増えていく。エリザベスは、その一人一人の顔と家名をいつの間にか覚えるようになっていた。
「大丈夫。誰にも、響いてない…」
そう、自分に言い聞かせた。だからこそ苦しかった。
誰にも振り向かない代わりに、彼は自分にも振り向いてくれない。十五年前、まだ子供だった頃からずっとその状態のまま止まっている。
彼が荒れていた時期、そばにいることを許されたのは自分だけだった。いつかこの献身が実を結ぶとそう信じて支え続けてきた。気づけば社交界で「行き遅れ」と陰口を叩かれる歳になっていた。それでも、待つことをやめられなかった。
「…別に、いいの。あの人さえ、振り向いてくれるなら」
けれど、その言葉をどれだけ自分に言い聞かせても噴水の前で次の令嬢に困り顔を見せるレオンハルトを見るたび、胸の奥がちりちりと焼けるように痛んだ。エリザベスは、扇をきつく握りしめ、何事もなかったかのように、また冷めた紅茶に口をつけた。
ーーー
王都に来て数日、クリスは少しずつ街に慣れてきていた。朝はドイルさんの「ティー!!」で起こされ、昼はじぃじの古い本を読み、夕方には薬草店を覗きに行く。そんな日々だった。
ただ、ひとつだけ気になることがあった。
「じぃじ」
「なんじゃ」
「私、これからどうすればいいんでしょう」
じぃじは、紅茶を飲みながら答える。
「好きにすればよい。お主は今まで誰かに決められた道ばかり歩いてきた。これからは、自分で選べ」
その日、クリスは薬草店を探すために街へ出た。そして大通りの掲示板の前で足を止める。大きな紙にこう書かれていた。王国騎士団 魔獣討伐隊員募集 剣士。魔法師。治癒師。薬師。各種技能者歓迎。
「……魔獣討伐」
危険な仕事だということは、分かっていた。命を落とす人間も、少なくないのだろう。別に…私が死んでも、誰も、悲しまない…
クリスは、ふとそう思った。
家族はいない。血の繋がりはあっても家族と呼べる人はもういない。じぃじがいる。それでも、自分一人がいなくなったくらいであの人は困らない…と思い込もうとした。それなら危ない仕事でも別にいい。そんな投げやりな気持ちが少し胸の奥にあった。
けれど、その下に書かれていた一文に少しだけ目が止まった。
「特殊技能歓迎、戦闘能力だけでなく知識・魔法技術を評価する」
クリスは、少し笑う。
「……私にも、できることがあるかもしれない」
死んでもいいという気持ちと、何かできるかもしれないという気持ちの二つが同じ胸の中にあった。
ーこのときのクリスティーナは、まだ気づいていない。この選択が、自分を「死んでもいい人間」から「守りたいものがある人間」に変えていくことに。
その夜、家へ戻るとクリスティーナの顔を見たじぃじがすぐに気付いた。
「何か、決めた顔をしておるな」
「じぃじ。私、騎士団を、受けてみたいです」
少しの沈黙が流れた。普通なら危険だとたしなめるところだろう。しかし、じぃじは笑った。
「そうか」
「怖くないですか?」
「怖いぞ。大切な弟子が、危険な場所へ行くんじゃからな」
「じゃあ……反対、ですか?」
と尋ねたが、じぃじは首を振った。
「……リリティーネ、今まで、お主に話しておらんことがある」
クリスは、不思議そうに顔を上げた。
「お主が家で疎まれていた理由じゃ。お主は、恐れられておった」
クリスの肩が、小さく震えた。
「お主の祖父は、お主の力を見て恐れた。お主の白い魔力を見て、古い禁書を思い出された。そこには、『白き魔力を持つ者。あらゆる理を受け入れる器。神に近づきすぎた者』と記されておった。公爵様は、その言葉を……神罰を招く存在という意味だと信じてしまわれた」
「……神罰?」
「そうじゃ。だから、お主を遠ざければ、公爵家は守られると思われた。嫌いだったからではない。恐れたのじゃ」
クリスは、静かに俯いた。
「……そう、だったんですね」
じぃじは、ゆっくりと言う。
「家に災いを招く子だと、思うたのじゃろう」
部屋に静かな沈黙が落ちる。やがて、じぃじは穏やかに笑った。
「じゃがの。ワシは、一度たりとも、お主を神罰の子だと思ったことはない。お主は、お主じゃ。それ以上でも、それ以下でもない。ワシにとっては可愛い孫じゃ」
クリスの瞳が、大きく揺れた。
「家の者が何を信じようと、ワシには関係ない。神が何を考えておるかなど、誰にも分からん。じゃが、ワシはこの目で見てきた。お主は、人を助けるためにしか、その力を使わん。そんな子を、恐れる理由など、一つもない」
クリスは唇をかみしめた。目から一粒、涙がこぼれる。
「……ありがとうございます」
やがて、じぃじは優しく笑った。
「行ってこい。リリティーネ。お主の世界を広げてこい」




