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すき焼き

美咲の生活は、分刻みの「狂気」で構成されるようになった。


午前六時に真治のシャツにアイロンをかけ、午前中はカフェのパートで陸に体を預け、午後は「パートの延長」と称して凛の身辺を洗う。そして深夜、真治が寝静まった後に、今日一日の「成果」をクラウド上の隠しフォルダへ整理していく。

フォルダ名は、すでに『ゴミの処理』から『処刑台』へと変わっていた。


美咲は、先日尾行したヴィンテージマンションの周辺を、ママチャリに乗り、どこにでもいる「近所の主婦」を装って徘徊した。

彼女が狙ったのは、凛の「生活の隙」だ。


(……見つけた)


マンションの裏手にある、住人専用のゴミ集積所。


美咲は深夜、防犯カメラの死角を突き、凛の部屋番号が記された指定ゴミ袋を回収した。

自宅に持ち帰り、バスルームでビニールシートを広げ、ゴム手袋をして中身をぶちまける。

真治が捨てたゴミとは違う。そこには、凛の「虚飾」の裏側が詰まっていた。

高価な化粧品の空き瓶、有名ブランドのタグ、そして——。


「……あら、これ」


美咲の指先が、一枚の処方箋の束を拾い上げる。

それは、ある有名な精神科クリニックから出された睡眠薬と、抗不安薬の空袋だった。


さらに、消費者金融からの督促状。


(インフルエンサー、セレクトショップ経営……。華やかな暮らしの裏側は、借金と薬漬けなのね、凛さん)


美咲の口角が、暗闇の中で歪に吊り上がる。


凛にとって、真治は「愛する男」などではない。ただの「金づる」だ。そして真治もまた、凛を「便利な人形」だと思っている。

互いに利用し合っているだけの空虚な関係。それを知った瞬間、美咲の中にあった「妻としての敗北感」は消え失せ、代わりに、滑稽な二人を地獄へ突き落とすための冷徹なプランが、完成へと近づいた。




その日の昼。美咲はパート先で、陸をストックルームへ誘った。


「……ねえ、陸くん。私、もう我慢できない」


狭い棚の間。段ボールの匂いに包まれながら、美咲は陸に激しく求めた。

真治が自分を「機能」と呼び、凛が自分を「ボランティア」と笑った。

その屈辱を、陸の若く、思慮のない情熱で焼き尽くしたかった。


「美咲さん、あんた……最近、エロすぎるよ。旦那、何してんだよ、こんな綺麗な奥さん放っておいて」


陸の言葉に、美咲は絶頂の最中で、真治の顔を思い浮かべて笑った。


(ええ、本当にね。真治さん、あなたの『機能』は、今こんなに壊れて、熱くなっているわよ……)


夕方。帰宅した美咲は、真治のために「最高級の夕食」を用意した。

今夜は、彼が一番好きな「すき焼き」だ。

最高級のA5ランクの肉を、最高級の割り下で煮込む。

帰宅した真治は、肉を口に運び、満足げに鼻を鳴らした。


「……お、今日のは美味いな。パートの給料で奮発したのか?」


「ええ。あなたが喜んでくれるのが、私の幸せだから」


美咲は、真治のグラスに酒を注ぎながら、その首筋をじっと見つめた。

そこには、昨夜、車の中で自分がつけたのとは違う、凛がつけたであろう薄い「痕」が残っていた。 



美咲は、その「痕」を指でなぞった。



「……真治さん、ここ、どうしたの?」


「あ……ああ、これか。仕事で、ちょっと資料の角にぶつけたんだよ。気にするな」


「そう。……お大事にね」


美咲は微笑み、真治の肩に優しく手を置いた。

その指先には、まだ陸の体温が残り、その瞳には、凛の「督促状」の残像が焼き付いている。


(真治さん、凛さん。あなたたちの『嘘』が積み重なるほど、私の『罠』は強固になるわ)


美咲は、キッチンの奥に隠したスマートフォンに、一通のメッセージを入力した。


宛先は、凛が経営するセレクトショップ。


『佐伯凛様。あなたの借金と、某氏との不倫の事実、すべて把握しております。お話ししたいことがございます』


送信ボタンを押す指に、迷いはなかった。


美咲の「作品」は、いよいよ第一幕の終わりを迎え、血塗られた第二幕へと突入しようとしていた。


泥を啜るたびに、美咲は救いようのないほど美しく、そして残酷な「蜘蛛」へと進化していく。

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