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家庭崩壊の音

数日後の夕暮れ時。瑞樹は自宅から遠く離れた、人影もまばらな郊外の公園のベンチに座っていた。西に沈む太陽が、血のような赤黒い光を投げかけ、瑞樹の青白く土気色の顔を無慈悲に照らし出している。


彼女の瞳はすでに、かつての瑞樹が持っていた輝きを完全に失い、ただ虚空の一点を見つめたまま動かない。その姿は、生きながらにして内側から腐敗していく果実のようだった。


「瑞樹さん。……あなたの魂は、もう限界を超えていますね」


背後からかけられた声は、驚くほど静かで、それでいて冷徹な外科医のような響きを持っていた。振り向くと、そこには動画配信者のレンが立っていた。画面越しに見ていた奔放な姿とは対照的に、間近で見る彼の瞳は、深い闇を湛えながらも、救いを求める者への奇妙な慈悲に満ちている。


「もう……息をするだけで、肺の奥が焼けるみたいに痛いんです……。あの家に戻るたびに、あのバニラの匂いが壁から、床から這い出してきて、私を絞め殺そうとするんです……」


瑞樹は、膝の上で固く握りしめた自分の手を見つめた。内職と、冷え切った家事を完璧にこなそうと努めてきた指先は、ひび割れ、血が滲んでいる。一方で、一階で笑う優奈は、瑞樹が必死に節約した生活費を掠め取り、その指先を毒々しいジェルネイルで着飾り、その手で瑞樹の夫を愛撫しているのだ。


「瑞樹さん、今あなたが感じているその吐き気は、あなたの心が『もうこれ以上、嘘の中に生きてはいけない』と叫んでいる証拠です。あの二人は、家族の顔をした吸血鬼だ。あなたの優しさと、思い出を少しずつ吸い取り、あなたが空っぽになるまでやめないでしょう」


レンは瑞樹の隣に腰を下ろし、冷え切った彼女の肩に、厚手のジャケットをそっとかけた。


「今夜、最後の『掃除』をしましょう。いいですか、彼らはもはやあなたの愛する人ではない。あなたの人生という庭を荒らす、ただの害獣です。慈悲や迷いは、あなた自身を殺す刃になる。彼らを人だと思うのを、今この瞬間にやめるんです。……あいつらを、あなたが見ているこの真っ暗な地獄まで、引きずり下ろしてやりましょう」


レンの瞳の奥に、瑞樹自身のドス黒い憎悪が、鋭い鏡のように反射していた。瑞樹は、ガタガタと震えながらも、ゆっくりと、しかし確実に頷いた。


「お願いします……。あいつらが、私と陽太(あ、陽太は別の話だったか……)私が積み上げてきた時間を笑い物にしたこと、一円の端数まで後悔させてやりたい」


「分かりました。その呪い、俺が預かりましょう。……さあ、葬儀の準備を始めましょうか」


レンが立ち上がり、夕闇の中に溶け込んでいく。瑞樹は、ベンチに一人残されながらも、もう以前のような孤独は感じていなかった。胸の奥で、復讐という名の黒い太陽が、静かに、そして激しく燃え始めていたからだ。




瑞樹が公園の冷たいベンチで絶望と向き合っていたその頃、一階の優奈の部屋では、窓の外の夕闇など拒絶するかのように、不健康な熱気が渦巻いていた。


「……ねえ、健一さん。お姉ちゃん、今日もまだ帰ってこないね」


ベッドの上で、優奈は健一の胸板にその細い指先を滑らせ、わざとらしく小首を傾げた。カーテンを閉め切った部屋には、瑞樹が嫌悪してやまないあのバニラの香水の匂いが、むせ返るほど濃厚に充満している。


「いいだろ、あんな可愛げのない女のことなんて。どうせスーパーの安売りをハシゴでもしてるんだろ。それより、優奈……お前、今日は一段といい匂いがするな」


健一は、瑞樹にはもう数年も見せていない、蕩けるような甘い眼差しで優奈を見つめ、その華奢な肩を引き寄せた。彼にとってのこの部屋は、瑞樹が必死に守っている「現実」から逃避するための、卑俗な楽園だった。


「だってお義兄さん、お姉ちゃんってば最近、顔を見るだけで『疲れた』ってオーラが出てるんだもん。せっかくお義兄さんがお仕事頑張ってるのに、あんな暗い顔で迎えられたら、男の人なら外に癒やしを求めるのが当たり前だよねぇ?」


優奈は健一の首に腕を回し、耳元で毒を吐くように囁いた。


「お姉ちゃん、昔からそうなの。自分が一番正しいと思ってて、周りの空気なんて読めないんだから。ねえ、本当は私みたいな女の方が、健一さんにはお似合いだと思わない……?」


「ああ……お前の言う通りだよ。あいつはただの『家政婦』だ。俺を男として見てるのは、お前だけだよ、優奈」


健一は優奈の唇を塞ぐように重ね、二人は再び、瑞樹という存在を嘲笑うかのように情欲の海へと沈んでいく。


彼らにとって、瑞樹の献身は当然享受すべき「サービス」に過ぎず、彼女の苦悩はその蜜月を際立たせるためのスパイスでしかなかった。



二人の下卑た喘ぎ声が、薄い壁を震わせる。



その部屋のクローゼットの奥には、瑞樹が優奈の離婚を不憫に思い、買い与えたばかりの新しいパジャマが、まだ一度も袖を通されないまま無残に放り出されていた。

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