7人目のクズ夫
どんよりとした湿り気を帯びた夜気が、郊外の幹線道路沿いに建つ築古アパートの薄い壁を抜けて入り込んでくる。
**綾香(25)**は、蛍光灯が不規則な瞬きを繰り返すリビングで、一枚の振込用紙を見つめていた。ガス代の督促状。赤い印字が、まるで彼女の喉元を締め上げる刃のように見えた。
「ねえ、これ……明日までに払わなきゃ止まるよ」
掠れた声で告げた視線の先、夫の**隼人(25)**は、毛玉だらけのスウェット姿でソファに深く沈み込んでいた。彼の指先は、画面にひびの入ったスマートフォンの上で忙しなく動き、ソーシャルゲームの派手な電子音が狭い部屋に空虚に響いている。
「無理。金ねーわ。今月、車のパーツとスロットで全部溶けた」
隼人は、綾香と目を合わせようともせずに鼻を鳴らした。視界の端には、かつては輝いていたであろう、ドン・キホーテで買った金縁の安っぽいインテリアが埃を被っている。床には食べ散らかしたカップ麺の容器と、隼人が脱ぎ捨てた脂ぎった靴下が転がり、鼻を突く不快な生活臭を放っていた。
「車のパーツって……あのボロボロの軽に、また無駄遣いしたの? 陽太の保育園代だって、私が夜のパートで頭下げて稼いだお金なのに……」
「うるせーな! あの車は俺の唯一の『城』なんだよ。お前こそ、25なんだからもっと指名取って稼いでこいよ。夜の仕事してるなら、それくらい当たり前だろ?」
隼人の冷酷な言葉が、綾香の胸を鋭く抉る。
ふと、視界の隅にある古い写真立てが目に入った。そこには、まだ幼さが残る制服姿の二人が、地方都市の寂れたゲームセンターの前で笑っている。
二人は同じ中学校の同級生だった。
放課後、隼人のカブに二人乗りして、あぜ道をどこまでも走った。当時の隼人は、今のような卑屈な男ではなかった。マフラーを改造しただけの、塗装の剥げかけたピンクの軽自動車を手に入れた日、「いつかこれで、海まで連れてってやるからな」と照れ臭そうに笑った、あの真っ直ぐな瞳。
「隼人と一緒なら、どこまでも行ける」
そう信じていた18歳の夏。貯金を切り崩して買った中古の軽自動車は、二人にとって希望の塊だった。
だが、現実は残酷だった。
できちゃった結婚、低賃金の工場勤務、重なる借金。いつしか隼人の夢はパチンコの液晶画面に吸い込まれ、かつての輝きは、今のボロボロの軽自動車と同じように、見るに堪えない錆に覆われてしまった。
「……あの頃の隼人なら、こんなこと言わなかったのに」
「あ? 何か言ったか?」
隼人はスマホの画面をタップする指を止めずに、苛立ちを露わにする。
三歳になる息子の陽太は、奥の和室で、すり減った安物の毛布にくるまって眠っている。あの子にだけは、この底辺に這いつくばるような生活の音を聞かせたくなかった。
「もう……限界だよ……」
綾香が絞り出すように呟いた言葉さえ、隼人のスマホから流れる爆音にかき消されていく。
窓の外では、大型トラックが激しい風圧とともに通り過ぎ、アパートの床を不気味に揺らした。綾香は、手に持ったガス代の用紙を無意識に握りつぶした。クシャリという乾いた音が、彼女の心の中で何かが死んだ音のように聞こえた。




