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家族の犠牲で不倫

月曜日の朝。

宏美の現実は、けたたましいアラームの音とともに、まだ薄暗い午前5時半から動き出す。

自分の身支度はわずか5分。洗顔フォームを泡立てる時間さえ惜しみ、水で顔を洗って、使い古したオールインワンジェルを塗りたくるだけだ。それから、和馬の弁当と陽太の保育園用のおかずを同時に作る。


「食費は一月2万円」


それが、和馬から提示された、この家での絶対的なルールだった。

和馬は、宏美が用意した彩りのよい弁当を当たり前のようにカバンに詰め、ろくに会話もせずに出社していく。宏美に残されたのは、油で汚れたフライパンと、陽太の「行きたくない」という泣き声。そして、自分は朝食を摂る時間もなく、陽太の残したパンの耳を口に押し込みながら、再びあのママチャリに跨るのだ。

パート先のスーパーでは、常に「迅速さ」と「愛想」が求められる。


「遅いよ!」「ポイントカード持ってるって言ったでしょ!」


心無い客の罵倒を浴びながら、宏美はレジの数字を見つめる。

(あと3時間。これで、陽太の新しい靴が買える。あと10時間。これで、和馬さんの欲しがっていたブランドのビールが買える……)

自分を消して、数字のために、家族のために働く。

仕事が終われば、スーパーの裏口から飛び出し、再びペダルを漕ぐ。

坂道でチェーンが外れ、真っ黒な油が手にべっとりとついた時、宏美は誰もいない歩道でふと立ち止まった。


「……何してるんだろう、私」


黒くなった指先を、特売品のティッシュで拭いながら、涙がこぼれ落ちそうになる。だが、保育園のお迎えまであと7分。泣いている暇さえ、今の彼女には与えられていない。





その夜。


帰宅した和馬は、ソファでビールを飲みながらテレビを見て笑っていた。


「和馬さん、あの……。陽太の冬服がもう小さくて。少し、生活費の予備から出してもいいかな?」


宏美が意を決して尋ねると、和馬は面倒そうにこちらを向き、鼻で笑った。


「は? 2万でやりくりしろって言っただろ。お前の管理が甘いんじゃないの? 俺の小遣い、同僚の半分以下なんだぞ。少しは俺の苦労も考えてくれよ」


「……和馬さんの飲み代、一回分で済む話なんだけどな」


小さな声で漏らした言葉を、和馬は聞き逃さなかった。


「あ? なんか言ったか? 嫌なら働けよ。もっとシフト増やせばいいだろ。レジ打ちなんて誰でもできるんだからさ」


「誰でもできる」


その言葉が、一日中立ち続けて腫れ上がった宏美の足に、冷たく突き刺さる。

和馬はそのまま風呂に入り、リビングには彼が脱ぎ捨てたスーツと、乱雑に置かれたカバンだけが残された。

宏美は溜息をつき、散らかったカバンを片付けようと持ち上げた。その拍子に、カバンの外ポケットのファスナーが少し開いているのに気づく。整理するつもりで中を覗くと、奥の方に小さく折り畳まれた紙切れが挟まっていた。


「……え?」


それは、家から電車で三十分ほど離れた場所にある、お洒落なイタリアンレストランの領収書だった。

日付は先週の水曜日。和馬が「急な残業で遅くなる、飯はいらない」と言った日だ。



金額は、24,800円。


但し書きには「お食事代(2名様)」とはっきりと記されている。


宏美の指先が、ガタガタと震え始める。


2万4千円。それは、宏美が必死に守ろうとしていた一ヶ月の家族全員の食費を、たった一晩で超える金額だった。


自分が隣町まで走って削った10円、20円が、どこまでも虚しく、無意味なものに思えてくる。


宏美は無意識に、カバンの底に指を滑らせた。

そこで触れたのは、小さな、見たこともない高級ブランドの紙袋。中には、華奢なゴールドのネックレスが入っていた。


箱に添えられたカードには、和馬の筆跡でこう書かれていた。


『いつも癒やしてくれてありがとう。』


宏美は、その場に崩れ落ちた。

浴室から聞こえてくる和馬の鼻歌が、吐き気がするほどおぞましく、部屋に響き渡っていた。

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