2人目と3人目の制裁
大輝との泥沼の離婚劇から、二年。
結衣の隣には、あの日、地獄の底から手を差し伸べてくれた健斗がいた。
二人の結婚生活は、まさに理想そのものだった。健斗は斗真を実の息子以上に可愛がり、休日は三人で公園へ出かけ、手作りの弁当を囲む。かつての大輝が「家族をATM」だと思っていたのに対し、健斗は結衣の荒れた指先に、毎日丁寧にハンドクリームを塗り込んでくれるような男だった。
「結衣、無理しないで。これからは僕が、君と斗真を一生支えるから」
結衣のお腹には、健斗との間に授かった新しい命が宿っていた。
幸せの絶頂。若くして地獄を見た彼女が、ようやく辿り着いた安住の地。
……その「はずだった」。
ある日、結衣はふと思い立ち、健斗の車の助手席の下を探った。
大輝の件以来、彼女の心には消えない「澱」があった。どんなに優しい言葉をかけられても、無意識に「確認」せずにはいられない――病的なまでの警戒心が、彼女に超小型の盗聴器を仕掛けさせていた。
「……まさかね。健斗さんに限って」
自分を軽蔑しながら再生した音声データ。
しかし、そこから流れてきたのは、結衣の期待を無残に切り裂く、あの「音」だった。
『……んっ、あぁっ! 健斗さん、奥さん妊娠中なのに、こんなことしていいの?』
『いいんだよ。……今はあいつ、母親の顔しかしてないし。……お前の方が、ずっと刺激的だ』
耳を劈く、聞き覚えのある湿った接触音。
そして、健斗の、あの優しかったはずの声が、獣のような欲望を剥き出しにして、知らない女の名を呼んでいる。
「……ぁ、……っ、げほっ!」
結衣はスマートフォンの画面を投げ捨て、トイレへ駆け込んだ。
胃の底からせり上がる、焼けるような酸。
二年前、あのスーパーのバックヤードで味わった「死の味」が、再び彼女の喉を蹂躙する。
(なんで……? なんで私なの? なんでまた、車なの!?)
結衣は涙も出ないまま、震える手で車の鍵を握りしめた。
今度は、誰の力も借りない。自分一人で、この「再放送」を終わらせる。
深夜。GPSが指し示したのは、人通りのない河川敷だった。
健斗の乗る国産のSUVが、月明かりの下で激しく揺れている。
結衣は無言で歩み寄り、ドアを力任せに開けた。
「……健斗さん。お楽しみのところ、失礼するわ」
「――っ! 結衣!?」
車内には、若く見知らぬ女と絡み合う、最愛の夫の姿があった。
健斗は一瞬で顔を蒼白にし、結衣の氷のような瞳を見て、すべてを悟った。
彼は慌てて体を離すと、迷うことなく、結衣が仕掛けたであろう助手席の下に手を伸ばし、盗聴器を剥ぎ取った。
「……見つけたんだね。これ」
健斗は、剥き出しの体のまま、深く溜息をついた。
そこには大輝のような見苦しい言い訳も、莉奈のような逆ギレもなかった。ただ、すべてを諦めたような、冷徹なまでの「理解」があった。
「……ごめん、結衣。……あの日、君を救いたいと思った気持ちに嘘はなかった。でも、一度『共犯者』として君の壊れる姿を見てしまった時から、僕の中で何かが歪んでしまったんだと思う」
健斗は、結衣から視線を逸らし、静かに服を整えた。
「……裁判でも何でも、君の望む通りに応じるよ。……僕は、君を救ったヒーローのままでは、いられなかったみたいだ」
結衣は、何も答えなかった。
夜風に吹かれながら、彼女はただ、自分のお腹にそっと手を当てた。
かつて大輝を追い詰めた時のような「復讐の快感」すら、もう湧いてこない。
あるのは、ただ繰り返される「音」への、救いようのない絶望だけだった。




