計画
翌朝。
「ひまわり保育園」の駐輪場。
結衣は、幽霊のような足取りで自転車を停めた。
目の下には隠しようのないクマが刻まれ、肌は土色にくすんでいる。結衣が斗真の手を引いて園内に入ろうとした時、健斗がその前に立ち塞がった。
「結衣さん」
健斗の声には、隠しきれない動揺が混じっていた。
彼は結衣の顔を覗き込み、その異様な疲弊ぶりに言葉を失う。
「……昨夜、聴いたんですね」
結衣は答える代わりに、ただ力なく首を垂れた。
その細い肩が、陽光の下で激しく震えている。
「……僕が甘かったです。あんな地獄、一人で聴かせるべきじゃなかった」
健斗は周囲に人がいないことを確認すると、結衣の震える手を、両手で包み込むように握りしめた。
その温かさに、結衣の瞳から再び、堰を切ったように涙が溢れ出した。
「健斗、先生……。私、もう……生きていける気が、しません……。あいつら、あんなに……っ」
「生きてください。あいつらのために死ぬなんて、一番損なことです」
健斗は、結衣を真っ直ぐに見つめた。その瞳には、保育士としての優しさではなく、一人の男としての、静かで烈火のような怒りが宿っていた。
「結衣さん、提案があります。次の金曜日……またあいつらは『残業』だと言って会うはずです。今度は録音だけじゃない。僕も一緒に行きます。僕がカメラを回します。逃げ場のない、言い訳もできない『現場』を、僕たちの手で直接押さえましょう」
結衣は、涙に濡れた目で健斗を見上げた。
「……現場を?」
「そうです。あいつらが一番幸せだと思っている絶頂の瞬間に、その扉をこじ開けてやりましょう。あいつらを、あのアルファードから引きずり出して、社会的に終わらせるんです。……一人で行かせません。僕が隣にいますから」
結衣は、健斗の手の熱を必死に吸い込むように、その手を握り返した。
壊れた結衣の心に、復讐という名の、たった一つの鋭利な芯が通った瞬間だった。
「……お願いします。……あいつらを、地獄に叩き落としてください」
その日の深夜
結衣は金曜日には救われるのだという安心感から、
どうしても気になり、またあの録音データの続きを再生してしまっていた。
『最高……っ! 超エロい……っ。……あぁっ、大輝くん、いい……っ、もっと……奥まで、汚して……っ!』
イヤホン越しに、肉と肉がぶつかり合う湿った音が、執拗に、絶え間なく繰り返される。
大輝の「莉奈、莉奈……っ」という、結衣の名前など一度も呼んだことがないような熱烈な連呼。
そして、結衣が斗真のために買い渋った高い芳香剤を、これでもかと振り撒いた車内で、二人は獣のように睦み合っている。
『……はぁ、はぁ。……ねえ、莉奈。ぶっちゃけ、あんな「味もしないパンの耳」みたいな女、もう抱く気にもなんねーんだわ。生活感丸出しで、指先はガサガサだし、夜は子供の横で死んだみたいに寝てるしよ。……莉奈みたいな、若くてピチピチした子じゃなきゃ、男として終わっちまう』
『ふふ、嬉しい。……じゃあ、もっと莉奈のこと可愛がって? ……奥さんの知らないところで、このアルファードを、莉奈たちの「愛の巣」にしちゃおうよ。……あ、また硬くなってきた……大輝くん、大好き……っ』
結衣は、スマートフォンの画面を握りつぶさんばかりの力で凝視していた。
二人の絶頂に向かう荒い息遣い。
莉奈が上げる、勝利を確信したような傲慢な悲鳴。
そして、大輝の、家族をゴミ屑のように捨て去る冷酷な笑い。
「……っ……あああぁっ……!!」
結衣は、イヤホンを叩きつけるように外した。
この2人は狂っている。
金曜日にはこいつらを抹殺してやる。




