表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/34

録音

「……タイミングを見て、車内にとりつけて下さい。」

保育園の閉園後。

誰もいない駐輪場の片隅で、健斗が結衣の手のひらに小さな黒い物体を載せた。


消しゴムほどのサイズのそれは、最新式の超小型GPSロガーと、振動に反応して録音を開始する高感度マイクだった。


「結衣さん、これをあの車の……できれば大輝さんの目が届かない、シートの隙間か足元に仕掛けてください。充電は一週間持ちます」


結衣は、その冷たい機械の感触を指先に感じながら、小さく頷いた。


「……ありがとうございます、健斗先生。私、やってみます」


その夜。大輝が風呂に入っている隙を突き、結衣は震える手でアルファードの鍵を手に取った。

深夜の駐車場。街灯に照らされ、不気味なほど白く輝く巨体。かつては家族の夢を乗せるはずだったその空間が、今はただの「巨大な証拠隠滅現場」に見える。

スライドドアを静かに開けると、車内には結衣の知らない、甘ったるい芳香剤の匂いが充満していた。

後部座席。大輝が「斗真を乗せるな」と頑なに拒んできたその場所は、贅沢な革張りのシートが深く倒され、シーツ代わりに使われたのか、見覚えのない薄汚れたタオルが丸めて置かれていた。


「……汚い」


結衣は吐き気を堪えながら、リアシートの足元、フロアマットの奥深くにあるレールの隙間に機材を押し込んだ。ここなら、念入りな洗車をしない限り大輝には見つからない。

翌日から、結衣のスマートフォンには「地獄の記録」が届き始めた。


『ねえ大輝くん、今日も奥さん、パンの耳とか食べてんの? マジ受けるんだけど』


仕事中の休憩時間に再生した音声。十九歳の情婦・莉奈の、鼻にかかった高い声が耳を刺す。


『あー、あいつ? ほっとけよ。あいつは家事やるだけのロボットだから。お前みたいに可愛げねーし、抱く気にもなんねーよ』


大輝の、聞き慣れたはずの低い笑い声。


結衣はスーパーのバックヤードで、握りしめた拳の爪が手のひらに食い込むのを感じた。


『マジ最高。この車、マジでエロいわ。残クレだっけ? 奥さんのパート代でこの部屋クルマ維持してるとか、大輝くん天才じゃん』


『だろ? あいつ、俺が「仕事で必要だ」って言えば、疑いもしねーで金出すからな。バカな女で助かるわ』


二人の下卑た笑い声が、スピーカー越しに結衣の鼓膜を蹂躙する。


斗真が欲しがっていたおもちゃも、自分が我慢してきた新しい服も、すべてはこの二人の「遊び場」の維持費に消えていたのだ。



涙と吐き気を堪え、休憩中にはここまでしか聴けなかった。




その日の夜、意を決して結衣は続きを再生した。



スマホから流れてくるのは、大輝が「仕事」だと嘘をついて家を出た一時間後の、アルファード車内の音声だ。


高感度マイクが拾うのは、かつて結衣が聞いたこともないような、大輝の獣じみた荒い息遣い。そして、十九歳の莉奈が上げる、鼓膜をなぞるような粘り気のある喘ぎ声。


『……莉奈、マジ最高……っ。結衣なんて、抱いてもマグロみたいで全然面白くねーんだよ』


『やだぁ、奥さんの悪口言っちゃダメだよぉ(笑)……あ、そこ、もっと……っ!』


車内の揺れに合わせて、高級な革シートが「ギュッ、ギュッ」と軋む音が、嫌なほど生々しく響く。



自分が斗真のために、一円、十円の安売りを求めてスーパーを走り回り、カビ臭い部屋で耐えてきた時間は、この二人の「娯楽」のための肥やしに過ぎなかった。


「……っ……う、……」


胃の底から、せり上がるものがあった。


結衣は必死に口を抑えたが、込み上げる拒絶反応は止まらない。彼女は昼に食べたわずかなパンの耳を、すべて吐き戻した。


「……ぉぇ……っ、はぁ、はぁ……」


胃液の苦さが喉を焼き、涙が止まらない。


情事の声が、頭の中でリフレップされる。あの大輝の、自分に向けることなど一度もなかった情熱的な声。莉奈の、自分を「家畜」か何かのように見下す笑い声。


(……汚い。汚い、汚い、汚い!)



二十二歳の若さで、必死に「母親」になろうとしていた。


自分を捨てて、家族のために尽くせば、いつか大輝も分かってくれると信じていた。


その純粋な祈りが、アルファードという名の檻の中で、最も汚らわしい方法で踏みにじられていた。



スマホは録音データの再生を残酷に続けていた。



『気持ちいい……あ、そこ、もっと……っ!あ、ああ、気持ちいい気持ちいい。イクイクイクイクイク〜。』






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ