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2人目のクズ夫

「お、それ俺の分もあんの?」


寝室から、着替えを終えた大輝(24)がひょっこりと顔を出した。鏡の前で入念にワックスで髪を立て、手首には身の丈に合わない高級時計を光らせている。


「あ、これ、斗真の夜ご飯なんだけど……」


結衣(22)が答える間もなく、大輝は皿の上から焼きたてのパンの耳を数本ひったくり、口に放り込んだ。

二十二歳の結衣が、パート先のスーパーで安く譲ってもらった食パンの耳。それを丁寧にトースターで焼き、砂糖をまぶしてラスク風にするのが、今の彼女に許された精一杯の工夫であり、二歳の息子・斗真とのささやかな夕食だった。


「なんだよ、ケチ。俺、これから夕勤なんだぜ? ちょっとくらい力つくもん食わせろよな」


大輝は二十四歳になった今でも、地方の若者特有の「チャラさ」が抜けていない。父親という自覚よりも、地元の友人たちの中で「いい車に乗り、羽振りのいい先輩」として振る舞う虚栄心が勝っていた。


「……ねえ、大輝。今月の光熱費、まだ払えてないんだけど。あと、斗真のオムツももうすぐなくなるの。残業代、いつ入るかな?」


結衣が勇気を振り絞って尋ねると、大輝はあからさまに不快そうな顔をして、鼻で笑った。


「また金の話かよ。お前さ、俺が外でどんだけストレス溜めて働いてるか分かってんの? 先輩の付き合いとか、部下への面目とか、男には色々あんだよ。そんなんじゃアルファードの隣、乗せてやんねーぞ?」


「でも、私のパート代も全部ローンの支払いに回してるし……」


「あー、うるさいうるさい! 分かったよ、残業頑張って稼いでくりゃいいんだろ。あーあ、帰りにてっぺん越えるわ、これ」


大輝は苛立ったように靴を履き、ドアを乱暴に閉めて出ていった。

結衣はベランダへ出て、夜の帳が下りる住宅街に響く、アルファードの重厚なエンジン音を聞いた。

白く輝くその巨体は、この築三十年の木造アパートにはあまりに不釣り合いだ。大輝が、頭金ゼロ、ボーナス払い併用の「残価設定ローン」で無理やり手に入れた、我が家の唯一の「財産」であり、最大の「負債」。

ピカピカにワックスがけされたボディが街灯を反射して遠ざかっていく。あの車は、彼にとって自分を大きく見せてくれる魔法の鎧なのだ。

結衣は、大輝が食べ散らかしたパンの耳の屑を、震える指先で集めた。

ふと見ると、リビングのテーブルに大輝のタブレットが置き忘れられていた。充電器に繋がれたままの画面が、不意にピカりと光る。

普段は指紋認証で守られているが、通知のプレビュー設定だけは「オン」になったままだった。


『昨日のアルファード、マジ最高。後ろのシート、全倒しにしたらホテルよりヤバいじゃん(笑)大輝くん、超優しかったあ』


送り主の名前は、莉奈。


大輝が勤める工場の後輩で、まだ十九歳の、地元の成人式を終えたばかりのような派手な小娘だ。

結衣の指先が、凍りついたように動かなくなった。

パンの屑が、カサリと床に落ちる。


「……後ろの、シート?」


結衣の脳裏に、斗真が「おっきい車、乗りたい!」とはしゃぐ顔が浮かんだ。


大輝は、「子供が汚すから」「靴でシートを蹴るから」という理由で、息子を後ろのシートに乗せるのを極端に嫌がっていた。いつも、窮屈な助手席のジュニアシートに押し込め、自分は運転席で「いい車だろ」と自慢げにハンドルを握っていたのだ。


自分たちが爪に火を灯すような思いで支払い続け、結衣が食費を削って捻出したその場所で。

夫は、十九歳の小娘と、我が子の特等席を泥足で汚している。


「……ふざけないでよ」


結衣の瞳から、光が消えた。

震える手で、彼女は床に落ちたパンの耳を拾い上げ、口に押し込んだ。

味がしない。ただ、砂を噛んでいるような屈辱と、胃の底からせり上がるどす黒い熱が、彼女の細い喉を焼いた。


二十二歳の若妻は、初めて知った。

自分が信じていた「家族の幸せ」という幻は、最初から残クレという名の、他人から借りた偽物の城だったのだと。


「……全部、吐き出させるから。一円残らず」


暗いキッチンで、結衣の呟きが、カビの臭いがする壁に吸い込まれていった。

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