1人目 制裁完了
静まり返ったスイートルーム。空調の微かな音さえ、断頭台へ向かう足音のように響く。
真治は、開いた口が塞がらないまま、目の前の「真紅のドレスを纏った怪物」を見つめていた。
「み、美咲……? なんで、ここに……。接待だって言っただろ、仕事なんだ」
「仕事? 泊まりがけの大きなプロジェクトの打ち上げって、この女性とベッドに転がることだったのね。真治さん」
美咲の声は、驚くほど低く、平坦だった。怒りさえ通り越したその無機質な響きに、真治は本能的な恐怖を感じて後退りする。
美咲が短く指を鳴らすと、開いたままのドアから、ビデオカメラを構えた陸が入ってきた。
「な、なんだお前は! やめろ、撮るな!」
真治が顔を伏せようとするが、美咲は冷たく言い放つ。
「陸くん、逃がさないで。……その無様な姿こそが、最高のエンディングなんだから」
美咲は、バッグから小型のポータブルスピーカーを取り出し、シャンパンがこぼれたテーブルの中央に置いた。
「お誕生日のBGMよ。あなたたちが私の人生をどう思っていたのか、ちゃんと思い出させてあげる」
美咲が手元のスマートフォンを操作すると、スピーカーから、あの日バッグに仕掛けたレコーダーの音が、部屋中に響き渡った。
『……あんな味も素っ気もない精巧な人形、抱く気にもなれないよ。家事だけやってりゃいいんだ、あんなのは』
『……健気すぎて笑っちゃうわよね、あの奥さん』
スピーカーから流れる、自分たちの醜い嘲笑。
真治は自分の過去の言葉に刺されたように、顔を土色に変色させて立ち尽くし、ベッドの上の凛は「あぁ……っ」と短く悲鳴を上げて顔を覆った。
「陸くん、今の顔。しっかり撮っておいて」
陸のカメラのレンズが、過去の自分に裁かれる真治の絶望を克明に記録していく。
「やめろ……消せ! 美咲、頼む、消してくれ!」
真治が床に膝をつき、必死に手を伸ばす。だが、美咲はその手を、汚いゴミでも見るような冷淡な目で見下ろした。
「この映像と、今流した音声。すべてをセットにして、明日の朝一番であなたたちの会社の人事部、役員、そしてお互いの親族全員に一斉送信するよう手配してあるわ」
「な……っ、待ってくれ! そんなことをしたら、俺のキャリアはどうなるんだ!」
「終わるのよ。あなたが私の献身を『ボランティア』だと蔑んだ、その瞬間に決まっていたことよ」
真治は床に額を擦り付け、美咲のドレスの裾に縋り付こうとした。
「み、美咲……お願いだ。離婚ならする、慰謝料も払う! だから、会社にだけは……親父たちにだけは、黙っていてくれ……っ!」
「許しを乞う相手を間違えているわ。私はもう、あなたの『優しい妻』じゃない」
美咲は、震える手でシーツを握りしめる凛を一瞥した。
「凛さん。あなたもこれからの人生を後悔して過ごしなさい。もう誰も、あなたを助けないわ」
美咲は陸に合図を送り、一度も振り返ることなく部屋を後にした。
背後で、真治が絶叫に近い声を上げ、凛が泣き崩れる音が響いていたが、それはもう、美咲にとってはただの雑音に過ぎなかった。
次の週。
美咲は、真治のいない、広すぎるほどに整頓されたリビングで、独り、丁寧に淹れたコーヒーを飲んでいた。
テーブルの上には、真治の署名が入った離婚届と、すべてを譲渡するという念書。そして、送信完了を告げる陸からの報告。
真治の会社では今頃、全社員に一斉送信された「接待の真実」で、未曾有のパニックが起きているだろう。
美咲は、窓を開け、爽やかな朝の空気を吸い込んだ。
指先は、もう荒れていない。
「完璧な妻」という呪縛を自ら焼き切り、自らの手を汚して復讐を遂げた。
そこにあるのは、自らの足で地獄を歩き抜き、自由を手に入れた、一人の残酷で美しい女の姿だった。




