第四話 贈り物は願いの皮を被る
アンネリーゼの指は、わたしの書いた紙を、ぴたりと揃えて持っていた。
「ミアレット、これを、殿下にお渡しになるの」
声はやさしかった。昔、転んだわたしの膝に、そっと包帯を巻いてくれた時と同じ声だ。けれど、今のその声の裏側に、薄い刃の気配がある。
「……はい、姉さま」
「そう。……頑張っていらっしゃるのね」
殿下が、わたしの隣に立っていた。アンネリーゼは殿下に深く礼をし、紙の束を殿下に差し出した。
「殿下、妹の作業が遅く、申し訳ありません。わたくしが代わりにお届けに上がりました」
殿下は紙を受け取り、黙って表紙をめくった。
わたしは、殿下の指が止まる場所を見ていた。
三枚目。殿下の目が、ほんの一瞬、狭くなった。筆跡が違う頁を、すでに見つけている。
「姉さま。その束の中に、わたしが書いていない頁は、ございませんでしたか」
「まあ、何のこと。お前の字は、お前が一番、よく知っているでしょう」
「はい。だからこそ、伺っております」
殿下が、静かに紙を閉じた。
「アンネリーゼ嬢。束を届けてくださったこと、感謝する。ただ、妹君の仕事は、妹君自身の手で運ばせるのが、道理だ」
殿下の声は穏やかだったが、有無を言わせなかった。アンネリーゼは頬を強ばらせ、一礼して去った。
アンネリーゼは頬を強ばらせ、一礼して去った。
殿下が退出したあと、わたしは紙の束を確かめた。一枚、筆跡の異なる頁が混ざっていた。
それは、医務室の薬草の並びを旧い配置に戻すべし、と書かれた提案書だった。アンネリーゼの筆跡によく似ている。
(――姉さまは、わたしの名前で、派閥に有利な提案を殿下に届けようとした。)
わたしは、その一枚を、別の封筒に仕舞った。証拠として。
「ミアレット、ひとつだけ忠告しておくわ」
部屋を出る前、アンネリーゼは扇を広げて言った。
「お前のような娘が王宮で目立つと、お前だけでなく、ストラウドの家そのものが、危うくなる」
アンネリーゼの目は、いつもの優しい色をしていた。それが、かえって、背筋を冷たくした。
翌朝から、わたしの部屋に、贈り物が届きはじめた。最初は白い薔薇の花束。差出人の札には、バルトと書かれていた。バルト・ラインヴェルト商会の跡取りだ。
二日後、象牙の櫛。三日後、香油。四日後、磨かれた硝子の瓶に入った南国の蜜。
侍女のキエラは、目を吊り上げた。
「お嬢さま、いちどお会いになって、きっぱりとお断りしたほうが」
「……そうね、そうします」
王宮の庭に、バルトを呼んだ。年齢は二十代後半。仕立てのいい紺の上衣を着て、頬だけが赤かった。
「ミアレット様、ようやくお目にかかれました」
「ラインヴェルト殿、贈り物は、すべてお返しいたします」
「どうか、一つだけでも。私の誠意の証として」
「誠意は、贈り物で量るものではないと、わたしは教わりました」
「では、商会を、あなたのために大きくいたします」
「ラインヴェルト殿。商会は、あなた一人のものではないはずです。お父上、使用人、お得意先。その人たちの暮らしがかかっています」
「あなたのためなら、すべてが軽い」
「わたしのために、何かを失わないでください。それが、わたしの唯一のお願いです」
わたしは、丁寧に一礼し、踵を返した。
一週間後、ラインヴェルト商会が仕入れ先を乱したという噂が立った。バルトが独断で大量の南国の品を買い付け、返済の目処が立たなくなっていた。商会は縮小され、バルトは跡取りから外された。
◇
医務室で、わたしはドルガン卿と向き合っていた。ドルガン卿は、白髪を短く刈った老騎士だ。殿下の兄、王太子ライオネルの側近を長く務めている。
「ストラウド嬢、殿下から、あなたをお守りするよう仰せつかった。が、同時に、王太子殿下からも命を受けている」
「……王太子殿下からも、ですか」
「王太子殿下は、あなたを警戒しておいでだ。急に現れた令嬢が、第二王子のお心をつかんだ。これを、危うく思われるのは、当然だろう」
「ドルガン卿。王太子殿下は、第二王子殿下のことを、どうお思いですか」
ドルガン卿は、一瞬、目を伏せた。
「……兄として、案じておいでだ」
それは短いけれど、重い答えだった。
「ストラウド嬢、私は王太子殿下のお人柄を半世紀見てきた。あの方は冷たい方ではない。冷たく振る舞わねばならぬ場所に、長く立ちすぎた方だ」
「……心に留めておきます」
午後、医務室にサランの店の奉公人が訪ねてきた。十五歳ほどの少年が、紙の包みを差し出した。
「サランおばさんが、もしもの時は、この包みをストラウドのお嬢さまに渡せと」
包みの中には、半分に割った蠟の封印と、短い手紙があった。蠟には渦巻きの印。手紙にはこう書かれていた。
『ヴァルクト商会の帳場に勤める者の中に、宮廷から給金をもらう者が三人います。名は、アンネリーゼ嬢から聞きました』
(――姉さま。)
わたしは、封印の欠片を、胸にしまった。震えを止めることはできなかった。けれど、涙は、こらえた。
その夜、殿下は医務室の扉を開けた時、わたしが机に顔を伏せているのを見た。
「ミアレット」
「……殿下。姉が、わたしが思っていた姉では、ないかもしれません」
「話せる範囲で、話してほしい」
わたしは、サランの手紙のことを、かいつまんで伝えた。殿下は、わたしの顔を見てから、小さくうなずいた。
「あなたの姉君が敵であるならば、それは確かに痛みだ。ただ、敵の正体が見えれば、次の手が打てる」
「……はい」
「痛みを、持ったまま歩いていい。ただ、一人では歩かせない」
殿下の手が、わたしの手の甲に、ほんの少しだけ、重なった。指先から、温かさが伝わる。
ふと、窓の外に人影が見えた。
筋骨たくましい男が、医務室の窓から中を覗いている。傭兵団の印がついた革の胸当てを身に着けていた。
目が合った瞬間、男は慌てて身を翻し、走り去った。
キエラが窓を閉めながら呟いた。
「傭兵団のヴォルス団長です。先日、殿下の護衛で王宮に出入りしている方ですが……お嬢さまのことをやたら気にしておいでで」
わたしは小さく首を振った。
(……また、一人。)
(……また、一人。)
扉の外で、誰かが足を止めた気配がした。殿下は、すっと、わたしの手から手を離した。
開いた扉の向こうには、若い子爵のレゼル卿が立っていた。顔を紅潮させ、腰には、普段の宮廷では抜くことのない、長剣を下げていた。




