08. 殴ってでも負かす
「死霊?」
充月がつぶやいた瞬間に、八重に死霊の手が巻き付き、空に引き上げる。
八重は特にあらがわない。
時間稼ぎは成功した。
死霊の手は八重を中でも巨大な死霊の上に下ろした。
「八重さん。あなた、これ全部調教したんですか?」
いつものうさんくさい笑みを浮かべて、充月が言う。
「そうですよ」
八重は寄り添って浮かぶ死霊を、慈しむようになでる。
「第一死霊拘束施設、そこに収容されている死霊全部です。禍津神が作り出した死霊の、およそ三分の一ですね」
「馬鹿な。一体の死霊を調教するのに、数十年、数百年かかると、他でもないあなたが言っていた。これだけの数の死霊、調教するのに何千年かかることか」
「私が幼い時分、偶然に一体の弱い死霊を確保したのです」
八重は語りだす。
「死霊の能力の抽出の練習台にするつもりだったんです。でも、捕えた瞬間その死霊になにか特別なものを感じまして。誰にも言わず、一人で研究しました。厄介でしたよ、その死霊の能力の抽出は。抽出方法の算出だけで七年、実際の抽出には三年かかりました」
八重は顔いっぱいに笑みを浮かべる。
「ビギナーズラックってやつでしょうね。その死霊は奇跡の死霊でした。とらえた死霊を、自動的に調教する能力です。それも、恐ろしく早く」
「それを使ったのですね?」
「抽出された物質を調べつくした後で。第一拘束施設は最も拘束力の高い施設ですから、総じてここに閉じ込められた死霊は、えげつなく強力です。すでに拘束施設は満杯でした。これ以上その物質を使うのに適した場所はありません」
八重は小さく笑い声をあげた。
「これ、禍津神を倒すあなたを、助けるために使ったんですよ。実際には、調教が完全に終わる前に、あなたが禍津神を祓い終えてしまったのですがね」
そうとも、八重は準備が終わったら、すぐにでも充月を援護するつもりでいたのだ。
充月が禍津神を倒すと決意した時に、そうと言ってくれればもっと早く準備できた。
そもそも行方をくらます前に八重に教えてくれれば、八重はいくらでも助言したし、何なら一緒に行方不明になることだって辞さなかった。
それくらいには充月のことを大切に思っていた。
だというのに、こいつは八重に一言もなしに失踪した。
充月は八重のことなど心底どうでもよかったのだ。
友人だと思っていたのは、八重だけだった。
「それを今解き放って、何をする気です?」
「当初はこれで海外に飛ぶ予定でしたけど。頓挫してしまったので、今は何もしません」
「なるほど」
充月は顎に手を添える。
「これだけの死霊は、恐ろしい武力です。それを一個人が持っているとなれば、国はうまく持ち主を制御しなければならない。この国に縛り付けて、これ以上力を持たないよう、監視しなければ」
充月の笑みが深まる。
「例えば禍津神を祓うほどの霊力を持つ、僕との婚姻などもってのほかです」
「話が速いですね。分かりますか? 形勢逆転です」
「困りますねぇ」
充月は笑顔のまま、あごに沿えた手を胸元に差し出した。
手の上で小さなつむじ風が起きる。
八重は感嘆した。
神々の力を借りるには、普通は舞や祝詞などを捧げねばならない。
やはりこいつの神官としての素養は恐ろしい。
「何をする気ですか?」
「もちろん全部祓いますよ。神官ですから」
「正気ですか? ここにいるのは全部、死霊の中でも悪質なもの。それも、ただむやみに襲い掛かる普通の死霊じゃない。私がここにいる死霊全部を知り尽くしたうえで、指揮を執り、連携させます。あなた一人で祓う気ですか? 事前情報なし、ノータイムで」
「祓いますよ。禍津神だって祓いました」
充月の背後で巨大なつむじ風が起きる。
ただの風じゃない、清涼な風だ。
浄化能力と神々の力を合わせるなんて芸当、こいつにしかできない。
八重は笑いながら片手を上げる。
すぐに死霊たちは臨戦態勢になった。
――出会ってから十五年、これが二人の初めてのガチンコ対決であった。
***
ようやく静かになったころには、廃工場はほぼ全壊していた。
二人とも工場から投げ出され、大河の土手に倒れ込まねばならなかった。
大河の水流は落ち着き、今は穏やかな水音を立てている。
土手の草むらは風に合わせてそよそよと揺れる。
二人は力尽きていた。
文字通り霊力も体力も使い果たしていた。
さらに言うなら死霊はすべて姿を消しており、時間はとうに深夜を過ぎて、空は白み始めていた。
充月の持つ婚姻届はところどころ汚れや燃えた後が付き、――八重のサインが書いてあった。
充月が倒れ込んだ八重の手を取り、最後の力を振り絞って書かせたのだ。
先に口を開いたのは充月だった。
「聞いていませんよ、あなたが兵法を学んでいたなんて。死霊研究に外国語、さらに兵法って。何なんですか、あなた。暇なんですか」
「暇じゃないです、誇るべき全力投球です。充月さんこそ何ですか。あれを全部一晩で祓うとか。バケモノか」
「あなたが畳みかけるように猛攻してくるからでしょうが。初っ端から一気にドカドカ攻めて来て。様子見とか持久戦とかご存じですか」
「人の攻撃方針にケチ付けないでください。先手必勝、攻撃は最大の防御、これが私のモットーです」
はぁーと二人はため息をついた。
もはや立ち上がる気力もない。
大河は相変わらず静かに流れ続け、草むらは穏やかに葉擦れの音を立てる。
空からは日が昇ってくる気配がする。
八重が口を開く。
「お互い新しいことを知りましたね。殴り合いで友情は確かめ合えるって、本当でした」
「何で友情の確認がそんなやんちゃなんですか。あなた仮にも名門令嬢でしょう」
「それなんですけれどね……」
八重は息を吐いた。
「思いつく限り、あらゆる手段を使いました。全部だめでした。私の負けです。完敗です。すっぱり諦めたので言いますね。残念、あなたは須見家の当主になれません。私は妾の子供です」
「……」
「その妾は、須見家の小間使いで、普通に家庭もあったんですけれどね。妊娠してから、母は須見家で働くのをやめました。事情が判明した後、私と母は須見家に引き取られました。たしか二つの時です。妹がまだ生まれていなかったので、私は次期当主として。母は私のついでみたいな感じで、また小間使いに……何でだったんだろう。多分当主の性欲処理とかのためでしょうね」
八重は、ははと笑い声をあげた。
「母の両親は、それはもう大喜びでしたよ。口止め料に大量の金子が下りてきたもんだから。まぁ、要は私も母も売られたんですね」
しばらく沈黙が続いたのち、八重は続ける。
「正妻の子供はあっさりと生まれました。私は不用になったわけですね。死霊について精一杯研究して、家の役に立てれば可愛がってもらえるかと思ったんですけれど、駄目でした。残る私の役割は、適当なお家に嫁いで、家同士のつながりをつくることぐらいで」
八重は目を細めて、朝の空を眺める。
「国王にすり寄るため、英雄に売っぱらわれるとは思っていませんでした。別にそこはいいんですけれど」
八重はまた少し笑った。
「私は訳あり商品。お得な商品にふさわしく、須見家に利益をもたらすのが私の仕事。それ以外には何にもない。私は何一つ持っていない」
充月は黙っている。
だから八重は話し続ける。
「だから私、嬉しかったんですよ。私にもたった一人だけど、損得なしで付き合ってくれる友人がいた。私をただの商品として使わない人がいた」
八重は泣き笑いをしながら言った。
「一応公家の者なんで、わかりますよ、この社会で家格がどれほど重要か。でも買うの、商品にしてしまうの、どうしても私じゃなくちゃ駄目でしたか。なんで唯一、私を私として扱ってくれる友人のままで、いてくれなかったんですか」
もし負ければ、残念八重には継承権がない、ざまあみろとでも言ってさっさと離縁してもらう予定だった。
もしもこいつが八重の今後について心配を見せれば、自分は商品として生まれてきた、今更欠陥品として捨てられるなんて屁でもないと言って、笑ってやる予定だった。
八重は自分が弱かったことが、何より衝撃だった。
鼻をすする。
全部こいつのせいだ。
「あなたじゃないとだめでした」
充月の言葉に、八重は肩をすくめて、もう一度、ははと笑った。
正直者め。
「そんなに須見家が欲しいかコノヤロウ」
「いりません」
充月の言葉に、怪訝に思って八重は首だけ動かして、隣に寝ている相方を見る。
充月もこちらを向いていたので、目が合う。
「もともと苗字をもらってから、自分の家にあなたを迎え入れるつもりでした」
「……何を言っているんですか? それに何の得があるんですか」
「あなたじゃないとだめだからです」
充月は泣きそうな顔をしていた。
そんな顔は初めて見た。
「お慕いしています、八重さん」
「……はぁ?」
「好きです」
「はぁ!?」
「僕はあなたをもの扱いしてしまいます。何が何でも僕のものにしたいです。ずっと前から僕はあなたのものですので、どうかここはひとつ」
「はぁぁぁぁ!?」
ガバッと起き上がりたい八重だが、体が重すぎて動かない。
仕方がないので、代わりに眉間を揉みしだく。
「君は何を言っているんだ?」
「僕はあなたのものですので、ここはひとつ」
「いや本当に何を言っているんだ?」
「愛しています」
「初耳だ」
「初めて言ったので」
八重は途方に暮れて首を上に向けた。
頭上には風に乗って淡い色をした雲が流れている。
「何故私は、婚姻届に記入してから口説かれている?」
「口説き落とすのは最後の手段だったので」
「最初の手段にしろよ!」
「勝算のない勝負はしないことが、僕のモットーなんです。ご存じかと」
「知ってたけども!」
八重は首を動かして、また相方を見る。
「まさか、それだけのために、禍津神祓ったのか?」
「そうですね」
「何考えてんだ、ふざけんな!」
「ふざけてません。あと僕の念願をそれだけっていうのやめてくれません? 努力を否定された気分です」
「否定されたのはこっちの方だよ! 何だったんだよ私の徒労は!」
「ですからあの時、速やかにサインしてくれれば」
「ふざけんな! 断る! こんなのは破談だ破談!」
「残念ですね、この婚姻届は渡しません!」
「いいだろう、じゃあ離婚だ」
「何を言っているんですか。あなたもう他に行き先なんてないでしょう。観念しなさい」
八重は疲れ切った顔で充月の目を見つめる。
「妹に毎日会えるか? あと研究発表会に出たい」
「いやです囲い込みます」
「嫁の要望くらい聞けよ! お前、私のこと愛してるんだろうが!」
「愛ゆえです。 これだけは譲れません!」
「ふざけんな! 破談あるいは離婚だ!」
「残念ですね、この国は男尊女卑社会なので、僕が結婚っていったらもう結婚です。ぴっぴろぴー」
「ぴっぴろぴーじゃねえよおおお!」
土手の草むらに寝ころんだまま、二人は虹梅たちが駆け付けるまで、ずっと喧嘩をしていた。
殴り合いでも解決できないことはある。
――桃色の百日紅は幹ごと砕け散っていた。




