06. 巻き込んでやれ留学生
八重が語り終えると同時に、アーベルは小さな声で言った。
〈にわかには信じがたいな〉
〈それが、本当なんだな〉
〈そんなら、先輩は今すぐ俺がほしい。何をしてでも〉
〈交渉成立でいいのかな?〉
〈……うちが先輩を取ったと、ばれないか?〉
〈大丈夫、痕跡を隠すことに特化した仔がいる。ただ死霊が暴走して、消えたようにしか見えないよ〉
〈うまくいけば先輩は、俺たち一族の信仰対象になる。先輩が俺を裏切らない保証が欲しい〉
〈ああ、そうか。うーん、何ならいい?〉
〈うちの家系は血縁を大事にするから、俺と結婚してほしい〉
〈あ、よかった。それならできる〉
〈……無理やり結婚させられるのが嫌で逃げるのに、この結婚はいいのか〉
〈うん。むしろ、そんなもんでいいのか〉
しばらく考え込んでいたアーベルは、すぐ顔を上げた。
〈親戚に説明する必要があるから、俺も一緒に行かねばならない。こっちもすぐに帰ったら怪しまれるので、隠ぺい工作をする。夜までには何とか終わらせる〉
〈こっちの準備も夕方までかかるから、ちょうどいい。どこで落ち合わせる?〉
〈郊外の川辺に廃工場がある。あそこはいつも人がいないし、目につかないと思う〉
〈あー、地図見せて〉
〈なぁ、本当に裏切らないか?〉
〈裏切るメリットがない〉
〈……こっちじゃそういう行為を、「契る」と言うと聞いた。それをするのが条件だ〉
八重は一瞬黙った。
(何かの術かな? そういうものを経由する死霊術は聞いたこと無いが、呪術という観点からなら、むしろありふれている)
長く考えれば思考がバレる。
八重は迅速に頭を転がす。
(呪いの研究なら、おそらくこの国が勝つ。いや、相手もそんなことは分かっている。分かったうえで切り込んできた)
八重は困ったような顔をして、両手を開いて見せる。
〈私は処女だよ、処女。技術がないので、寝たって何も面白いことは無い〉
〈そんな言い方しなくても、高位貴族なら、うちの国でもほぼ同じ貞操観念だ〉
すぐ言い返すアーベルが、「経験がない」と聞いて一瞬ほっとしたような顔をしたのを、八重は見逃さなかった。
確実に術の類がある。
だが、あっちもこちらを舐めている。
だからこそ好機がある。
時間は夜まで。
対策は間に合うか。
いや、間に合わせてみせる。
〈取り急ぎ終わらせたい、手続きもろもろがある。今夜に落ち合い、全部終わらせて母国へ帰ろう〉
〈よし、じゃあ夜に、廃工場でな〉
***
茶をすすりながら、虹梅はぼそりと聞いた。
「先輩は、なんで正攻法を使わなかったんですか?」
「正攻法?」
充月はきょとんと首を傾げる。
茶は出していない。
そもそも招いた客じゃない。
「使っていますよね」
「は?」
「ちゃんと法に触れずに、ご両親にも了承をいただいて、正当な婚姻手続きを踏もうとしているんですよ」
充月は少し笑った。
「やはり八重さんは正攻法で頂きたかったんですよ。誘拐なんかは、最初はよくても生活の維持が面倒だし。そもそも八重さんに不要な負担をかけたくなかったので」
「……もろもろのツッコミは控えて言いますが、現在あなたが姉さんの一番の負担ですからね?」
「まぁ、自覚はしていますよ」
茶を一口含んでから、虹梅は宣言する。
「正直、もう面倒くさいです。次に通信があったら、姉さんに先輩の気持ちを伝えますよ。私が先輩と内通しているってことは伏せて。そもそも、きっとお二人には何か大きな誤解があります」
「多分、無駄ですよ」
「何故? 先輩と姉さんは幼馴染で、毎日一緒に勉強する仲で、共同論文書く程度には親密じゃないですか。姉さんだって少しは絆されてくれるかも」
「彼女は、僕に勉強友達以上の関心を持っていませんよ」
「……言い切るってことは、なにか確証があるんでしょうね?」
「虹梅さんは僕のこと好きですか?」
「全然。全く。可能な限り近づきたくないし、姉さんの結婚相手であることは非常に不本意です」
「そうでしょうとも」
充月は柔和な笑みを浮かべたまま、頬に手を当てて、はぁーとため息をついた。
「正直に言ってしまうと、僕はどちらかといえば、性格良い方ではないじゃないですか」
「その程度の認識だったんですか!?」
「それに、僕は忌み子です」
「……忌み子?」
おや、と充月は柔和な笑みを浮かべたまま、顎に手を当てる。
「失言でした。忘れてください」
「いや、待ってください。気になりますよ」
「そうなりますよねぇ。うーん、面白い話じゃないですよ」
充月は語りだした。
「僕は幼い頃から時々、神の声が聞こえたり、姿が見えたりしました。僕自身はそのことを普通のことだと思っていたので、どうも周囲と食い違いがちで。当然、気味悪がられました。家族からは家を追い出されました。要は僕、捨て子なんです」
充月は柔和な笑みを浮かべたままである。
「別に親にも受け入れられないことを、他人に受け入れてもらおうなんて思っていませんよ」
充月は手元を見つめる。
「身分が違う。気立てもよくない。おまけにこんな力を持て余している。八重さんが僕を嫌うことは、当たり前なんです。当たり前なんですけれど……」
いつも、それこそ当たり前な顔をして側にいてくれるから。
ちょっと気が緩んでいましたかね。
その時、自分と充月の間に置いてある通信機が鳴った。
虹梅は即座につかみ取り、ボタンを押して耳にあてる。
「無事、話ついたよ。姉さん国外逃亡することになった」
「何でよ!」
虹梅は叫んだ。
待ち望んだ姉からの第一声がこれである。
そして部屋の温度が十度くらい下がった気がして怖い。
神々の力がいっさい関係なさそうなところがますます怖い。
虹梅は目の前の冷気の発生源から目をそらすため、背後に向き直る。
「死霊信仰のある、留学生の子に引き取ってもらうことになったんだよね。処女差し出せば信用してくれるって」
「最悪だよ!」
虹梅は泣きそうになった。
「それ対等な取引じゃないわよね。完全に支配下に置こうとしてるわよね」
「いや、いろいろあって、ちょっと姉さん強すぎるから。仕方ない仕方ない」
「そもそも死霊信仰って、やばいじゃないの」
「やばくないよ、宗教は様々」
「そういう意味じゃない!」
虹梅は通信機を両手でつかんだ。
「死霊信仰ってことは、死霊を使役する姉さんこそ異端じゃない。あっちの宗教の極端さは聞いているわ。姉さん最悪、殺されるわよ!」
八重が黙り込む気配がした。
同時に窓の外で晴れ渡った空に黒い雷が走る。
充月が何やら衝撃を受けているらしいが、何故衝撃を受けたから天候に影響するのか、虹梅には分からない。
もう分からなくていい。
考えただけ理屈の無駄だ。
「そうだった、虹梅は賢い子だった」
「……知ってて行く気ね?」
「一族の人間と婚姻関係結んでおけば、分からない。駄目だったらトンズラこく」
「そのトンズラの詳細は?」
「まぁ、臨機応変に」
「ノープランじゃないの!」
虹梅は搾り取るような声を出した。
「須見家次期当主、虹梅が命じる。八重、すみやかに須見家本邸へ帰還せよ!」
聞いてくれ。頼むから。頼むから。
しかし返ってきた答えは無慈悲だった。
「不肖八重、これより御前を退出することをお許しください。ことが首尾よく運んだ暁には、死霊に詳しい一族とのぶっといパイプを作り上げることをお約束いたします。虹梅様にご健勝を、須見家にさらなる繁栄を。失礼」
通話は一方的に切られた。
何度ボタンを押してもつながらない。
通信機を破壊したか、放置して逃げたか。
虹梅は気づいた。
結局、八重に充月の気持ちを伝えられなかった。
「先輩!」
虹梅は勢いよく振り返る。
充月は柔和な笑みのまま頷く。
「今すぐ八重さんを確保します」
「情報少ないですけれど、何とかなりますか?」
「何とかします」
ぶわりと風が吹き、水滴が顔に当たったかと思うと、充月の姿は掻き消えていた。
今更だが、本当に規格外だ。
「何とかして、頼むから何とか……」
虹梅は顔を手で覆う。
「姉さんには、姉さんを愛している人が側にいなくちゃ駄目なのよ」
ずっと前、小間使いの女の死に際に立ったことがあった。
その女は、八重に手を伸ばしてこう言った。
『ねえ、お母さんって、呼んでくれない』
八重はびくりと肩を震わすと、恐る恐る振り返る。
目線の先には虹梅の母――本妻がいた。
彼女は冷たい目をしたまま黙っている。
やがて小間使いの女は笑った。
『血迷ったことを申し上げました。八重さま、奥さま、どうぞお許しくださいませ』
八重は、小間使いの女が息を引き取るまで、髪を撫でていた。
――もうああいうのは、ご勘弁願いたい。
八重のそばには、八重を愛してくれる人がいないと駄目なのだ。
ずっと祈っていた。
いつか八重をこの家から連れ出してくれる誰かが現れるのを。
非常に、非常に不本意だが、きっと誰より八重を守れるのは奴しかいないのだ。
「神様……!」




