第五話
無力な市民目線の戦争を描いた物語って少ない気がする。
侵攻から一週間。町はまだ燃えていた。
いや、正確には違う。
火そのものは三日前には消えていた。
けれど焼け焦げた木材の匂いは未だに風に残り、黒く煤けた壁はそのままで、崩れた建物も誰も片付けることができずに放置されている。
だから町全体が、今も燃え続けているように見えた。
朝だというのに静かだった。
以前ならこの時間には聞こえていたパン屋の窯の音も、自転車で駆け抜ける学生たちの笑い声もない。
代わりに響くのは重たい軍用車両のエンジン音と、規則正しい軍靴の足音だけだった。
――カツン。
――カツン。
――カツン。
その音は町のどこにいても聞こえた。
まるでこの町の心臓が、帝国のものに入れ替えられてしまったみたいだった。
誠は制服の襟を整えながら歩いていた。
隣には千春がいる。
一週間前までと同じ通学路。
同じ制服。
同じ朝。
なのに何もかもが違った。
交差点に差しかかる。
そこにあったはずのパン屋は半分だけになっていた。
壁は崩れ、窓は砕け、焼け残った看板だけが斜めにぶら下がっている。
『ベーカリー矢野』
煤だらけの文字が風に揺れていた。
誠は思わず視線を逸らした。
千春も何も言わない。
あの日のことを口にするには、まだ傷が新しすぎた。
しばらく歩く。
やがて広場が見えてきた。
そこには以前まで噴水があった。
子供たちが遊び、休日には露店が並び、祭りの日には人で埋め尽くされた場所。
今は違う。
噴水は土嚢で囲まれ、中央には見慣れない旗が掲げられていた。
黒と赤の帝国旗。
その下で帝国兵たちが立っている。
灰色の軍服。
無表情な顔。
肩に下げられた小銃。
誠は無意識に拳を握った。
千春が小さく袖を引く。
「だめ」
誠は視線だけを向けた。
千春は首を振る。
「見ない方がいい」
そう言った。
けれど誠は見てしまった。
広場の隅に男たちが並ばされている。
腕章を付けた帝国軍人が何かを読み上げていた。
反抗行為。
武器の隠匿。
夜間外出。
処罰。
そんな単語だけが風に乗って聞こえてくる。
男たちはうつむいたままだった。
誠は唇を噛む。
千春は何も言わない。
二人とも、ただ歩いた。
学校へ向かって。
学校だけは残っていた。
校舎も。
校庭も。
教室も。
だが、それだけだった。
正門の前には帝国兵が立っている。
校門の脇には新しい看板が立てられていた。
『帝国統治地区 第七教育施設』
その文字を見た瞬間。
誠は胸の奥で何かが音を立てて壊れるのを感じた。
「……学校じゃなくなったみたいだな」
思わず呟く。
千春はしばらく黙っていた。
そして小さく言った。
「違うよ」
誠が振り向く。
千春は校舎を見上げていた。
朝日を浴びた窓ガラスが白く光っている。
「学校は学校だよ」
その声は弱かった。
まるで自分自身に言い聞かせるみたいに。
「……まだ」
誠は返事ができなかった。
校庭の隅では帝国兵が機関銃を整備している。
体育倉庫の横には軍用トラックが停まっている。
校舎の屋上には見張りの兵士が立っていた。
それでも千春は学校だと言った。
きっとそう思わなければやっていけなかったのだ。
二人は無言のまま昇降口へ向かう。
そのとき。
校舎の上空を輸送ヘリが通過した。
ローターが空気を叩き、周りに低く音を響かせる。
誠は思わず空を見上げた。
青空の中を飛んでいく機体。
その姿は一週間前の爆撃機よりずっと大きかった。
どこかへ兵士を運んでいるのだろう。
あるいは戦争そのものを。
ローターの音が遠ざかっていく。
誠はふと思った。
一週間前まで。
この空はただの空だった。
今は違う。
空を見るたびに、何かが来る気がする。
何かが奪われる気がする。
戦争は爆発音ではなかった。
戦争は銃声でもなかった。
戦争とは――
当たり前だったものが、少しずつ当たり前でなくなっていくことなのかもしれない。
そんなことを考えながら、誠は校舎の扉を押し開けた。
感想、評価をしていただくと作者は飛び上がって喜ぶ気がします。




