あの日の約束2
熱が下がった少年は、当然のように魔女が育てる流れとなった。
落下した馬車の惨状から行く当てがないこともわかっていたし、本人も両親を埋葬したこの場所から離れがたかったようだ。混乱して暴れたのは最初だけで、その後は大人しく魔女の授業を受けている。
そう、授業。
魔女は子供を育てるにあたり、養育より教育に精を出した。
と言うのも、教えれば教えるだけ子供が知識を吸収していくのが楽しくなってしまったのだ。
語学から、数百年にわたる国の歴史。魔女と人の違い。魔が齎す動植物への影響。農作物のいろはから商談のいろはまで。
あれもこれもと、思いつくまま子供が望むままに大量の知恵を教え込んだ。
「もうそんな数式を覚えたの。いい子ね、流石は私の教え子だわ」
その中でも子供が熱心に取り組んだのは、魔法陣の解析だった。
緻密な計算式を読み解いて、構築する。
数年が経った頃には、大人でも難しい魔法の解析が出来るようになっていた。
魔女が当たり前のように行使する魔法。その中でも難易度の高い魔法を、魔法陣を使うことで行使できるほどに成長した。
その成長っぷりには教育者としてとても鼻が高く、魔女は満足そうに椅子に座る少年の額に口付けを落とした。
「どうしても魔法陣経由の発動は時間がかかるけれど、ここまで正確に書き込めるなら威力に問題はないわ。ここまでできれば若い魔女と同等の実力と誇ってもよくてよ」
「恐縮です。次は、この試験に臨んでみたいと思います」
「意欲的ね。良いことだわ」
幸いにして、少年は知識を取り込むことに意欲的だった。
魔女が教えられることが無くなる……とまではいかないが、魔女の知る全てを知ろうとする知識欲の深さがあった。
そんな少年が臨むのは、レベルとしては高名な学者が人生をかけて臨むレベルの魔法陣解析の試験だ。それだけ高度な試験だが、魔女はこの子なら数年で受かるだろうと確信していた。
何故なら、英知を誇るこの銀の魔女が育てたのだから。
誇らしげに教え子を撫でていると、少年がじっと魔女を見上げた。
「どうかして? 何か質問がおありかしら」
「質問ではなくて、お願いがあります」
「お願い?」
「はい。この試験に合格できたら、ご褒美をくださいませんか」
珍しい発言に、魔女は目を丸くした。
それはとても珍しいお願いだった。
少年は今まで、自発的に試験へ臨んでいた。魔女が勧めたのは最初だけで、それからは自ら次のステップを踏んでいた。なので、試験に合格したご褒美を強請られたことがなかった。
そう考えると、流石に薄情だった気がする。
「そうね。とても難しい試験だし……良くてよ。励みなさいな」
「はい。ありがとうございます」
「いいのよ。むしろ今まで何もお祝いをしていなかったなんて、悪かったわね。今日はちゃんとお祝いしましょうか」
「いいえ。この試験に合格したら、纏めてください」
少年の主張に、魔女は首を傾げた。
「あら……合格する意気込みは立派だけれど、この試験は本当に難しいわよ。数年越しのお祝いになるけれど、それでいいの?」
「はい。数年後の方が、きっと丁度いい」
少年は細い手首を握りしめ、そう言った。
魔女には意味が分からなかったが、少年がそう言うのならと頷いた。
「では、そうしましょう。この試験に受かったら、あなたの望むご褒美を上げるわ」
「ありがとうございます。――約束ですよ」
「ええ、約束ね」
言葉には、力がある。
だから魔女は名前を呼ばないし、呼ばせもしない。
同様に……言葉での契約にも、充分な力がある。
そう教えたのは魔女なのに、滅多にない教え子のお願いに、深く考えず頷いた。
念を押すような言葉が珍しい、そう感じたはずなのに。
魔女はあっさり、自ら言質を取らせていた。
少年のレンズ越しの目に、燻る熱があることに気付かぬまま。
そして時は過ぎ、少年は青年へと成長を遂げ。
猛勉強した彼は、魔女が思ったとおりその数年で試験を合格し。
約束の日が来た。
「ご褒美をくれる、約束でしたよね」
歴戦の魔女も躓く魔法の試験に合格した青年は、厚みを増した腕と壁の間に魔女を閉じ込めて、微笑みながらそう言った。
この数年で、筋肉は付かなかったが背の伸びた青年は、あっという間に魔女の身長を追い越していた。
勉強ばかりしてきたが、人間の男の成長は早い。素の力は魔女よりも強く、腕の太さも身体の厚みも全く違う。体格差は歴然だった。
身を屈めて魔女の耳元で囁く声も、高い少年の声から掠れた大人の声に成長している。
囁く声は、魔女の耳朶を擽った。
咄嗟に逃げようと身を捩った魔女は、壁に手を突いて横を見ており、そんな魔女の耳元に彼が囁くものだから、ぞわぞわと背筋が泡立って仕方がない。
今までこんな事なかったのに。
なんだこの状況は。
弟子ともいえる教え子の奇行に、師であり教育者であった魔女はすっかり混乱していた。
「い、いきなり何を」
「……魔女様は、わかっていなかったと思いますが」
魔女を閉じ込める腕が、魔女の銀髪を耳に掛けた。節くれた指が眼鏡のつると耳の隙間をなぞって、魔女の耳朶を柔らかくつまんだ。
「俺はずっと昔から、魔女様に助けられた時から、ずっとずっと、魔女様が恋しかった」
耳に触れた手が、指先が、魔女の頬を滑り、艶やかな唇をなぞる。
優しい手つきで誘導され、振り返る。
そこに居たのは、情欲の熱を持て余す目をした一人の男。
見慣れぬ男の姿に、唇が戦慄いた。
「知識だけなら魔女様に並びました。見た目だけなら魔女様を追い越しました。貴方に追いつけない、追い越せないものはたくさんありますが……それでも、追い抜いた部分もたくさんあります」
鼻先が触れ合うほどに近い。お互い眼鏡をかけている為、レンズ越しで視界が歪む。そのはずなのに、やけにはっきり相手の目が見えた。
「褒美が欲しいのです……約束しましたよね?」
相手の言う褒美が何かを察せない程、魔女は鈍くはない。
むしろこの体勢、この空気、この会話の流れで全然違う注文だったら弟子の思考回路が斜め上すぎる。
まだまだ若いと思っていた弟子から送られる色香に目がぐるぐるした。それとも若いからこその色気なのか。いつの間にこんな言動を見につけたというのか。
自然と逃げ腰になり、離れようと身をよじる。しかし相手のほうが力強く、身動ぎをしただけで終わった。
返答のないまま逃げようとする動作に、青年はうっそりと笑みを深くした。
「約束を守らないなんて、イケナイ人だ……そんな大人には、躾が必要ですね?」
うっすら微笑みながら、逃げないよう身体を押しつけられる。
熱に、力強さに、自分とは違う男を感じて……弟子ではなく男と認識した瞬間、魔女は彼の色香に悲鳴を上げた。
「な、なんてイケナイ子なの……!!!!」
・銀の魔女
銀髪ストレートの眼鏡をかけた知的美女。普段はシャツとパンツのキャリアウーマンスタイル。どこからどう見てもイケナイ女教師。
・銀の従者
勉強しすぎて目が悪くなった。銀のフレーム眼鏡着用。熱に魘されながら魔女に性癖をねじ曲げられた。ある意味可哀想だがどこからどう見ても教師を誘惑するイケナイ男子生徒。




