あの日の手の平1
オルテイウス国の南。山奥に住む魔女は人喰い魔女で、彼女は無差別に人を襲わない代わりに、十年に一度生贄を求める。
魔女への生贄は物心つかない子供がちょうどよく、それは山の麓にある村から選ばれる。
生贄となった子供は魔女の棲む山奥にある大きな木に縄で縛られ、逃げないよう固定されるのが決まりだった。
今回も、選ばれた子供が大人たちによって大きな木に縛り付けられる。
ああ、可哀想に。魔女が生贄を求めるばかりに。
ああ、可哀想に。この年、この村に生まれてしまったばかりに。
ああ、可哀想に。きっと蛇のような魔女に丸呑みにされてしまうだろう。
ああ、ああ、ああ。
可哀想に。
そう言いながら村人は、泣き叫ぶ子供を容赦なく大木に巻き付けて、全ては魔女が悪いのだと口々に言い合いながら山を下りた。
親を呼ぶ子供の声など、一切ないものとして。
誰も振り返らずに、山を下りた。
子供は振り返らない大人たちに絶望しながら、声を枯らしながら泣き続けた。
日が沈み、月が上り、あたりが暗くなっても泣き続けた。当の昔に声は枯れ、しゃがれた声で助けを求め続ける。
おかあさん、おとうさん。
こわいよいたいよ、くらいよ。
けもののこえがする。こわい。たべられちゃう。
かぜがほえてる。こわい。
おかあさん、おとうさん。
なんでむかえにきてくれないの。
なんでぼくをおいていったの。
なんでなんでなんでなんで。
「……不思議ね、どうして魔女を怖がらないの?」
ぐすぐすと涙をこぼす子供の前に、いつの間にか一人の女性が立っていた。
泣き過ぎて目元が腫れて、暗闇の中誰かがやって来たことに気付かなかった。
顔を上げた子供は、痛む目元を瞬かせながらその人を見た。
その人は子供が見たことのない出で立ちをしていた。
村人や自分と違い、浅黒い肌をしている。
すらりとしなやかな身体は猫のようで、身体にピッタリ張り付くような、首元から覆われた赤いドレスを身に纏っていた。ドレスと同じ色の大きなとんがり帽子をかぶり、ドレスや帽子よりも深い色の赤い髪が緩やかに三つ編みだった。
身長差で顔がよく見えないと思っていたら、ゆっくりとした動作でしゃがみ込む。浅黒い肌を彩る赤い髪の間から、爬虫類を思わせる黄金の瞳と目があった。
見たことのない顔。一目見たら忘れない出で立ち。
この人が人喰い魔女だと、言われずとも理解した。
その魔女は、不思議そうな顔をしてこちらを見ている。
「ねえ、どうして魔女を怖がらないの?」
「……?」
「貴方は暗闇や獣や風を怖がるのに、魔女が怖いとは一言も言わないの。どうしてかしら」
言われている意味が分からず、子供は泣きながら首をかしげた。
ボロボロ零れる涙をぬぐいたいが、身体は大木に縛られて両手が使えない。口を開いても出てくるのは嗚咽で、まともに話せそうもない。
それに気付いた魔女は子供を拘束する縄を解き、脇の下に手を差し込んで子供を抱き上げた。
地面に座り、自分の膝の上に子供を乗せる。どこからともなくとりだした暖かな布で子供の頬を優しく拭い、鼻をかませた。涙と鼻水で汚れていた顔は、ほっとする温もりに優しく拭われる。
その手つきは子供に慣れた、とても優しいものだった。
「ねえ、どうして魔女を怖がらないの?」
とても優しく触れながら、不思議そうに首をかしげる。
そんな魔女を見上げながら、子供も不思議そうに首をかしげた。
こんなに優しくしてくれるのに、どうして怖がられると思ったのだろう。
子供は知っていた。十年に一度の生贄といいながら、頻繁に子供が山に置き去りにされているということを。
魔女が生贄を求めているのではない。村人が厄介払いをしているのだ。
子供が多い年に、生贄と称して口減らしが行われる。それが子供の育った村の実態なのだ。
そうと知っていても、気付いていても、自分が親に捨てられるとは思っていなかった。
その事実が悲しくて、子供はずっと泣いていた。
「坊や、賢い子ね……でも、それが魔女を恐れない理由にはならないわ」
一生懸命嗚咽交じりに訴える子供の言葉を根気強く聞きながら、魔女は痩せこけた子供の頬を手の甲で撫でる。
魔女の爪は長く鋭い。その爪が子供を傷つけぬよう、注意深く触れていた。
確かに、魔女の見た目は普通の人間と異なる部分が多い。このまま村に入れば、恐らく誰もが悲鳴を上げるだろう。
強い魔を宿した者は、滅多に見ない色彩を持つことがあると言われている。恐らくこの魔女は、魔女の中でも強い魔を宿しているのだろう。ただでさえ人と違う魔女なのに、見た目も他の魔女と違うことから恐れられることが多かったのだろう。
けれど、子供は知っていた。
憎み恨むべきものが何か、恐れ疎むべきものが何か。
それは、この山で恐れられている―――口減らしの理由にされているだけの魔女ではない。
だから、縛られて鬱血し、震える手を必死に伸ばした。
自分を撫でる魔女の手に、必死に縋りつく。
知っていた。本当に恐ろしいのは、子供の声を一切聞かずに大木に縛り付け、全てを魔女の所為にして、自分たちを正当化する大人たちだと。
知っていた。本当に子供が憎むべきなのは、厭わしい魔女の噂でも村の習慣でもない。それを当然とする村人たち自身であることを。
知っていた。知っていた。
目の前の魔女にこそ見捨てられたら、自分は死んでしまうということを。
「……本当に、賢い子」
貴方は私よりも、恐ろしいものをもう知っているのね。
生き残るためにどうしたらいいのかすら、貴方はわかっているのね。
そう……ただの子供が生き残るには、目の前の魔女に縋るしかない。
優しい優しい魔女は、生きるために縋りつく子供を柔らかく抱きしめた。
「でも、馬鹿な子ね」
やせ細った子供を抱き上げて、魔女は緩やかに歩き出した。
山奥の、彼女の棲む小屋へと。
「今日から坊やは、この魔女のモノよ」
結論から言うと、魔女は人肉など食べないのだという。
やはり村人たちが勝手に言いだした、口減らしの際に使われる酷い言いがかりだった。
「何年かに一度、子供が捨てられるのは知っていたけれど、木に縛り付けて置いて行っていると知ったのはつい最近なの」
それまでは気付かずに、捨てられた子供たちは山の獣に食べられてしまったのだろう。
気付けなくて悪いことをしたと魔女は悲しげだが、それは仕方のないことだと子供は思う。
魔女は何でもできると思っていたが万能ではなく、異変に気付かなければ村の悪習だって知らなかった。
普通、自分が口減らしの理由に使われているなどと思わない。魔女は山のふもとと交流せず、山奥でひっそりと暮らしていたのだから。
「私が拾ったのは、坊やで三人目」
魔女が子供に慣れていたのは、拾った子供は自分が最初ではなかった所為らしい。
魔女は拾った子供に学を与え、村とは違う人里に里親を見つけては預けたのだという。
ただ、懐いてくれる子供はいなかった。
子供たちはいつ魔女に食べられるのかと怯えていたから、すぐ人里へ送り届けた。
「坊やもそうする道があるのだけど……」
「いやだ」
子供にとって魔女は恐ろしい生き物ではない。
むしろ産んだ親に捨てられ、共に過ごした村人に生贄にされた子供からすれば、この魔女は出会った誰よりも優しく慈悲深く思えた。
何より魔女は知恵深く、教養に満ちていた。
魔女はその性質から、魔法陣が無くても魔法が使用できる。故に、魔法陣を理解する必要はない。しかしこの魔女は必要になることもあるだろうと、独学で魔法陣を学んでいた。長生きなこともあり、集められた書籍も膨大だった。
里親に出されるよりも、魔女の傍に居たほうが身につく技術は多いのは当然のこと。
「……賢いけど馬鹿な子ね」
「……僕を捨てるの?」
「やっぱり馬鹿な子ね……捨てないわ。坊やは私の、この魔女のものなのだから」
浅黒い頬が、丸みを帯び始めた子供の頬にそっと寄り添う。
柔らかな赤毛が肌を擽り、触れる肌の熱がただ心地よい。
「でも、坊やは坊やの好きに生きていいの」
「僕はあなたのものだ」
「ええ、坊やは私のモノ。私の坊や……だからこそ自由に生きなさい。私に縛られてはだめよ」
「僕は……僕はあなたの傍に居る」
柔らかな慈雨を降らすように、魔女は子供を愛した。
愛に飢えていた子供は、それをひとつ残らず拾い集めた。
ひとつ残らず。
不穏来ます。こんにちは。




