あの日の言葉2
世界は魔で満ちている。
生き物は全て魔を宿して産まれてくる。能力差は多々あれど、魔を宿さない生物はいない。
ただ、人という生き物はその魔を制御する能力が欠如しているらしい。虫やネズミまでもが操る魔の波動を、人は操ることが出来なかった。ただ放出することしか出来なかったのだ。
その為編み出されたのが、魔を操るための数式である。決められた数式に魔を流し込むことによって、決められた効果を得ることが出来る。魔を使用する一連の流れを魔法と呼び、魔法を使用するための数式は魔法陣と名付けられた。
人々は魔法陣を使用することにより、魔を制御して魔法を使用することが出来るようになった。
その数式の理解が及ばず、魔法が使えない者も一定数いたが……魔法陣があれば、大抵の人間は魔法を使うことが出来た。
だが、魔女は違う。
魔女とは、魔法陣を使用することなく魔法を酷使できる者。
不思議と女性が多く、こちらも能力差は多々あれど、少なくない数存在した。
だがその多くは、人里から離れた場所で隠れ住んでいる。
魔女はその多くが強大な力を持ち、普通の人間より魔の影響を受けるのか、老化がひどく遅い。確認されている最高齢の魔女は七百を超えていた。
故に、周囲との時間の流れの違いから……そして目に見えた異常性から、多くの魔女は人里から離れた場所で暮らすようになった。
それでも人と繋がり続ける魔女もいる。勿論距離を置く魔女もいる。
いい魔女も悪い魔女も、人に善と悪があるように、当然存在する。
北の森に棲む魔女は、どちらかというと悪人よりだった。
いつからそこに住み着いたのかはわからない。広大な北の森に居を構え、森全てをテリトリーとした。何者も足を踏み入れることを許さず、オルテイウス国の国境に陣取り続けている。
少年を拾ったのは、そんな『悪い魔女』だった。
拾われてから、早20年。
魔女の見た目に一切の変化はなく、それどころか年を重ねるごとにその美しさに磨きがかかるほどだった。
魔女は子供に何もしなかった。ただ雨風を凌げる自分の家に子供を住まわせ、衣食住を保証し、あとは好き勝手にしていた。何かを強要することもなく、本当に好きなようにさせた。
―――魔女は子供に、生き残る術だけを教えた。
魔法や武術、子供が望むものを教え込んだ。聞いたことはないが長生きだろう彼女は、魔女は、優秀な教師だった。
子供は魔女のもとであらゆる技術を吸収し、一人で生き抜く術を手に入れた。
しかしそのころには、この美しく強い魔女の傍に居ない自分など想像もできなかった。
一度この場所から出て行けば、二度と戻れないことをわかっていた。だからこの魔女が自分を捨てない限り、絶対出て行かないと決めていた。
決めていたのだが。
「一ヶ月この家空けっぞ」
「え」
いつもの朝。
朝食の準備をしていたかつての子供は、大きくなった身体を俊敏に動かして呑気に欠伸をする魔女に詰め寄った。その際、手にしていた卵が空を飛ぶ。
「なんで!?」
「おい卵飛んでったぞ」
「どこに行くんだ!?」
「おい卵床で割れてっぞ……それお前が食えよ」
ひょいと指先で持ち上げる動作をして、魔女は床に叩きつけられた生卵を綺麗に取り除き、その残骸をフライパンへと移動させた。火はまだついていない。
「だって、一ヶ月って……そんなにどこへ」
「毎回場所が変わるからなぁ。遊び心だろうけど面倒だ。すぐ終わるもんだけど辿り着くまでが面倒だホント面倒。ああ面倒」
「何の話!?」
「魔女集会さ。世界中の魔女が集まる集会」
ぼっと火のつく音がした。誰もいないキッチンで、勝手に朝食づくりが開始される。
視線を向けることなく行使される、魔女の魔法。
ちなみに魔法陣を利用しても、自動で料理など出来ない。火を扱うことは出来ても、調理は人の手が必要だ。
魔女は軽々と、数式のない魔法を行使する。
「といっても、魔女全員とだと規模がでかすぎるから近隣の奴らで固まるんだけどな。情報交換みたいなもんだよ。魔女は滅多に外出しねーから。主催者が毎回場所を決めるんだが、謎解き要素満載の……頭使うやつで招待状送りつけてきやがる。一発で辿り着けないようになっててよぉ……辿り着いて帰って来るまでそんくらいかかる」
「……魔女集会……」
魔女の集う場。
ただの人間が行けるはずもない場所。
青年は、ぐっと唇をかみしめた。
傍に居たい。貴方を守りたい。そのためだけに自分を虐め抜いて魔法も武術も身に着けた。
だけど。
だけど結局自分はただの人間で、魔女しか行けない集会に参加できるはずもない。
魔女は肩を落とす青年のことなど気にせずに、さっさと朝食の準備を整えて、自分の分と俯く青年の分をテーブルに並べる。彼女はただ事実を告げて、いつも通り行動していた。
青年ものろのろとフォークを手にして、綺麗に焼けた卵を口にする。一度床に落ちたことは事実だが、汚れなど一切残っていない。魔女の魔法に不備があるはずがなく、ただ気分の問題で落ちた卵は青年の皿に回されていた。落としたのは自分なので、青年も文句を言うことなく咀嚼する。捨てるのはもったいないのだ。
のろのろと咀嚼をしながら、考える。
一ヶ月などすぐだ。あっという間だ。年を取らない魔女からすれば、この20年だってあっという間だっただろう。
あっという間。
魔女にとっての一秒と、青年にとっての一日。
魔女の一日と、青年の一年。
あっという間の時間だと分かっているから、青年は魔女と一秒だって離れたくはない。
……この20年、一週間だって家を空けなかったことの方がおかしいのかもしれない。修行と称して獣の巣に半年ほど放り投げられていたことはあるが、この家で留守番をした記憶がない。二十歳を過ぎた青年なのに「一人でお留守番」に恐怖を抱いている自分に驚愕した。メンタルが弱すぎる。
「おいさっさと食えよ。いつもの速さはどうした。喰い終わったら行くからな」
「……ん」
もぞもぞと口を動かして、何とか飲み込む。魔女はてきぱきと準備を進めていた。少々せっかちなところのある魔女は、鈍い動作を厭う。
食事を終えて片づける。そのころにはもう魔女の用意は整っていた。
いつか見た日と同じドレスと帽子をかぶり、玄関へと向かう。無駄な装飾のない出で立ちだが、いつ見てもこの魔女は美しい。
ヒールを鳴らして、魔女は俯く青年の横を通り過ぎる。
通り過ぎれば、横に並んだ瞬間に、かつて見上げていた背丈が大分逆転していることを実感した。
こんなに近いのに、背だって追い越したのに、目の前の想い人は遠い。
「何してんだ、さっさと来い」
玄関前で立ち止まった魔女が言う。
「能力ばっかり身に着けて、中身は成長しないなぁ、おい」
振り返った魔女が呆れたように息を吐く。
「……魔女の集会は、ただの人間はいけないんじゃ……」
「ただの人間ならな。魔女の手引きがあれば入れるさ。あたしと一緒にいる間、アンタはあたしの弟子で従者だろ」
そうニヒルに笑いながら、魔女は言った。
「何よりまだまだ独り立ち出来ないヒヨッコだからな。一ヶ月如きで泣きそうな面しやがってこの豆腐メンタル」
ああ……嗚呼!
あの日と同じ言葉を言いながら、あの日の硬質的な紫水晶はもうどこにもない。
魔女の20年などあっという間の時間だろう。
それでも、情を持つには十分な時間だったのだ。
例え、抱く情に違いはあれど。
長い年月、短い期間でも……見た目が変わらなくても、変化のないものなど、ないのだ。
「分かったらさっさと支度しな」
「……っ、40秒待ってくれ!」
「何で40秒?」
40秒で支度した。
「大体お前それで【ただの人間】のつもりかよ。【ただの人間】は両手剣を片手で振り回したり大魔法をバンバンバンバン撃ちまくったりしねーよ。アンタは人の皮をかぶった化け物だ安心しな」
「それでもアンタに勝てたためしがない……っ」
「基準が化け物なんだよ気付け」
最高峰を20年間追い続けた青年は、とっくの昔に一般人ではなく逸般人になっていると気付いていなかった。
・黒の魔女
ベリーショートの黒髪に紫水晶の目をしたスレンダー美女。ゴシックとパンクが融合した格好を好んでいる。
・黒の従者
筋肉隆々な大男だが魔法も使えるハイスペック。ただし豆腐メンタルなので活躍の場は少ない。主夫。




