あの日の温もり1
月のない夜だった。
星の輝きも届かない深い森の中に一人。
手を引いてそこまで連れてこられて、ついてくるなと置いて行かれて。
捨てられたのだと、すぐ理解した。
夜の森の闇は深く、灯りを持たない身では何も見えない。
肌を刺す寒さに、家に帰りたいと思ってもついてくるなと言う言葉から帰る場所もわからない。
ここにいたくない。だけどどこへ行けと言うのか。
どうしたらいいのかわからず、声を上げて泣いた。
「あらあら、こんなところに可愛い男の子」
どれくらい泣いただろうか。
泣きすぎて目は腫れて、喉は枯れていた。声はしゃがれて、目も開けられなくなっていた。
ただでさえ暗いのに、目も開けられないから何も見えない。
そんな時、穏やかで優しい声が正面から聞こえた。
驚いて、涙に濡れた顔を上げる。
涙で腫れた視界に、ぼんやりとした誰かの輪郭が写り込む。
「そんなに泣いて……怖かったのね、もう大丈夫よ」
優しい手が、熱を持った目元を拭う。
「捨てられちゃったのね。それなら今日から私が、あなたのお母さんよ」
だからもう泣かないで、可愛い子。
その魔女は、仲間内では「緑の魔女」と呼ばれていた。
魔女たちは名前を呪として明かさない。なので呼び名として、沢山の名前を持っている。仲間内で呼ばれる「緑の魔女」もその一つで、恐らく一番長く呼ばれている名前だろう。
長く呼ばれているのだろうが、しかし。
彼女が一番呼ばれている呼び名は、それではない。
人々は彼女をこう呼んだ。
「森の賢者」と。
その魔女は、賢者と呼ばれて親しまれていた。
いつも穏やかな笑顔を絶やさない彼女は、大きな亜麻色の瞳が印象的な年若い少女だった。
緩やかな曲線を描く亜麻色の髪は腰まで長く、若葉色のリボンで一つにまとめられている。いつも身に着けているのはドレスではなく緑のワンピースに白いエプロン。一見、どこにでもいる村娘と言った風袋だ。
彼女は森の薬草を煎じて薬を作っては周辺の村で売っていた。格安だがとてもよく効く薬を作るということで、彼女は周辺の村人たちに親しまれ感謝されていた。
「魔女と賢者は紙一重なの」
興味深そうに薬草を煮詰める鍋を覗きこむ少年を微笑まし気に眺めながら、少女の姿をした彼女が笑う。
「毒から薬が出来るように、薬も毒になるように、人にとって魔女も賢者も表裏一体なの」
「……でも、あなたは、いいひとだよ」
「あら嬉しい!」
森に捨てられていた少年を抱き上げて、魔女は笑顔で頬ずりをする。
温かなお湯で洗われて、清潔な衣服に包まれて、お腹いっぱいのご飯を与えられた少年はくすぐったそうに恥ずかしそうにそれを受け入れた。
今日から自分が母親だと宣言した通り、魔女は少年に無償の愛情を注ぎ続けている。
この年若い魔女が何故、少年を拾ったのかはわからない。
賢者と呼び慕われ、格安で薬を提供するような女性だ。少年を拾ったことも、慈悲深い行いの一端でしかないのかもしれない。
「……ねえ、僕がお手伝いできること、ある?」
「まあ! 手伝ってくれるの? 嬉しいわ!」
育ての親だって、何かのきっかけがあれば簡単に子供を捨てるのだ。
だから、役に立たなければ。
じゃないと捨てられる。
と、思っていたのに。
「というわけでこの壺は運気を回復するだけでなく花を飾ることだって出来るのです」
「まあ! 何て便利な壺かしら。困っちゃうわ。買おうかしら」
「はいはいはい魔女さんステイ!! そっから先は俺が相手をしますから! ほらこっちの薬草そろそろ移し替えないと効果変わっちゃいますよ!」
「あらやだ」
十数年経った今でも、あの日の少年は魔女と共にいた。
というのも、賢者と呼ばれるだけあって賢い魔女だが、その性格はふんわりのんびりふわふわしていてとてつもなく私生活が危なっかしくて目が離せなかったのだ。
この魔女さん、薬草づくりが得意なだけあり不器用ではないがドジっ子だった。
毎回やらかすわけではないが、週に一度は何らかのポカミスをやらかす。洗濯の洗剤を入れ過ぎたり塩と砂糖を間違えたり。塩と小麦粉を間違えていたこともある。
俺がしっかりしないとだめだ。そう少年が決意するようになるのに、大して時間はかからなかった。
いつか捨てられると怯えが前面に出ていたのに、ゆるふわ魔女の隣に居ると俺がしっかりしなければという使命感が湧き上がって来る。
現に、何だか全然役に立たないただの壺を購入しようとしている。
なんで。魔女さん魔女なのに何で。なんで明らかに詐欺な壺を買いそうになってるのなんで。
なんとか魔女さんの意識を薬草に戻し、定期的に現れる怪しいセールスマインを追い返す。君一体どこから来たの。こんなところまで鴨の気配を察知してこないで。
「全くもう! ああいうのは買いに来たんじゃなくて買わせに来ているんだって何回言ったらわかるの! 壺は絶対買っちゃだめだからね!」
「うふふ、うちの息子ってばこんなにしっかり者に育って。お母さん嬉しいわ~」
「む、息子じゃないし!」
くすくすと呑気に笑う魔女の姿は、幼いころから全く変わりない。
見た目は人間と変わらないのに、成程これが魔女かと長い年月をかけて納得した。
だってこの魔女は、噂に聞く魔女の残虐性も、見た目の違いもなく、人間を忌避することもない。本当にそこらに居る村娘と変わりないのだ。
それでも長い年月一緒にいれば、その特異性は見えてくる。
魔女は年を取らない。
正確にいえば、人間と比べて老化がとてもゆっくりだ。
「この間の魔女集会で思わず自慢しちゃったわ」
「ちょ、何してんの?」
「だってみんな自慢していたんですもの」
「一部本当に自慢だった? 愚痴じゃなかった大丈夫?」
従者同伴で出席した魔女集会。意外なことに魔女たち全員が人間の従者を連れてきていた。
青年は勿論従者側として参加したが、そこに集った従者たちは君たち本当に人間? と言う輩の集まりだった。
メンタル豆腐なゴリラ。(正直筋肉が羨ましすぎる)
メンヘラ暗殺者。(小さいけれどとても物騒)
一直線型チート頭脳。(魔女と張るレベルの頭脳とかどんだけ)
自慢する魔女もいただろうが、大半は愚痴だったのではないかと青年は邪推する。自分なら愚痴る。
しかし目の前の魔女なら、全員自慢するのだろうなと理解もしていた。
「うちの子のミートパイは絶品だって自慢したのよ」
「もう、魔女さんお腹すいてたの?」
「今日の夕飯は何かしら!」
「そんなに言うならミートパイ作りますよー」
「あら嬉しい!」
柔らかな笑みを浮かべながら、魔女は青年を見上げる。
もう、首の位置を修正しないと互いの顔が見えないほどには身長差が出来ていた。
「薬草づくりだけじゃなくて、お料理までこんなに上手になっちゃって。うちの子がいい子で、私ったらとても幸せな魔女だわ!」
本当に、本当に幸せそうに魔女は笑う。
穏やかに柔らかに、惜しみなく愛情を降り注ぐ。
そんな彼女の言動に、くすぐったくなると同時に言い知れぬ不安を抱えていた。
満を持しての緑の魔女のターン。




