あの日の出会いは
――これは、少し昔の話。
オルテイウス国の幼い王子が裏庭で見つけた、足元にある小さな窓。
鉄格子のはめられた窓は、地下牢に繋がっていた。
その裏庭は、大人達に入ってはならないと言われている場所だった。
しかし幼い王子は、ダメと言われればやりたくなるお年頃。ヤンチャだった彼は、こっそり隠れて裏庭へ遊びに行った。
その先で、誰もいないはずの奥から歌声が聞こえてきた。
それは、王子の知らない言語だった。聞いたことのない旋律に興味を惹かれて進んだ先で、王子は地下牢に繋がる小さな窓を見付けたのだ。
「お前は誰だ?」
恐れを知らない子供は、歌声の主に問いかけた。
覗き込んでみても、地下牢は深く何も見えない。差し込む太陽の光は、底を照らしてはくれなかった。
「あなたこそだあれ?」
問いかけに返ってきた、思ったよりも幼い声に驚いた。
玲瓏とした歌声と違って、話し声はまろやかだった。
「おれを知らないのか? おれはこの国の王子だぞ!」
「……そうなの。ごめんなさいね。顔が見えないものだから」
そう言われてみればそうだ。自分から相手が見えないのだから、相手からも自分は見えないだろう。
納得した王子は、仕方がないなと頷いた。
「お前、なんでこんなところに居るんだ?」
「さあ、どうしてかしら」
「自分でいるのにわからないのか?」
「いたくているわけじゃないもの」
意味が分からなくて、王子は首を傾げた。
じゃあなんでここにいるんだろう。
地下牢の意味もまだ分からない王子は、歌声の主が閉じ込められていると考えもしなかった。
それから少し言葉を交わし、王子は誰かに気付かれる前に帰って行った。
だけどどうしても気になって、合間を縫っては裏庭に忍び込み、歌を聴きに来た。
「聞いたぞ、お前は悪い魔女なんだってな!」
「あら」
「むかーし、悪いことをして捕まえられたんだろう。みんなそう言っているぞ。でも何をしたのか誰も教えてくれない。お前はどんな悪いことをしたんだ?」
王子の問いかけに、歌声の主は笑った。
「悪いことなんかしていないわ」
「嘘をつけ。無実の人を捕まえたりするものか」
この頃には地下牢の意味も理解して、閉じ込められているのは罪人だと知っていた王子は唇を尖らせた。意味を知っても、相手が罪人だとはどうしても思えなかったので、警戒心は全く無い。
地の底から響く声は、愉快そうに笑っていた。
「ハッピーエンドが見たかっただけなのよ」
「ハッピーエンド?」
「ええ、だけど……そうね、やり方が悪かったみたい……こうして捕まってしまったわ」
何だやっぱり悪いことをしたのか。王子は一人頷いた。
でもハッピーエンドにしたかったなら、そこまで酷いことはしていないだろう。詳細は知らないが、理由を聞いて王子は安心した。
「それなら、俺がいつか見せてやろう! なぁに簡単だ、おれが王になってお前を出してやればハッピーエンドだからな!」
牢屋の中にいる罪人を解放するのは、王であっても許されない。けれど罪のないものが捕らえられているのなら、その限りではない。
なら自分が王になって、地下牢から出してやろう。王子はそう決めた。
光の届かぬ暗闇の底で過ごす声の主に、すっかり心を許していた王子は、それがいいと笑った。
「……そう、ありがとう。約束ね」
お礼を言われたから、とてもよい提案をしたと満足した。
「ではまた来る。その時また歌を聴かせてくれ」
「ええ、わかったわ」
立ち去る背中が見えなくても、声の主は彼の背中に微笑んだ。
「子守唄を歌ってあげる」
光は、闇の底まで届かない。
それから王子はハッピーエンドの為に勉強に励み、立派な王となる。
大人になって初めて地下牢に降りた彼は、そこでようやく魔女の姿を見た。
小さな天窓があるだけの地下牢。魔法陣の上に拘束された白い魔女。
幼さを残すまろやかな頬と、艶美な曲線を描く肢体。
真っ直ぐで真っ白な髪は床に流れ、白いワンピースは少し煤けている。
角度によって色の変わる虹色の目と目があった瞬間、少年が抱いた純粋な未来は大人の情欲に歪み変質した。
この女が欲しいと本能が訴えた。
真っ白な肌を、身体を、闇に沈めて閉じ込めろと欲望が暴れ出す。
彼の手には、地下牢の鍵があった。約束通りここから出す為に、その為にここへ来た。
けれど感情が、鍵を壊せと叫んでいる。
未だかつてない欲求に晒された王は――当初の目的通り、地下牢の鍵を開けた。
制止する周囲の声など聞かずに魔女を魔法陣の上から攫い、地下牢から日の当たる庭へと連れて行く。
地上に駆け上がれば、夜明けが近かった。
「どうだ! 俺は約束を果たしたぞ!」
「……まさか本当にあそこから出してくれるなんて」
いつものように届いた声に、ふと違和感を覚える。
深い地下牢から地上まで、そういえばどうやって声を届けていたのか。
しかしそれは些末。あっという間に昂ぶった感情に押し流された。
「これでハッピーエンドだ。王の俺と結婚してめでたしめでたしだぞ」
「……いいえ、まだよ」
そう言って魔女は笑う。
自分を軽々と抱き上げる、青年を頬に両手を添えた。
「貴方には感謝しているわ。私が魅了した男は皆、会いに来てくれるのだけれど、効き過ぎるのね。あそこから出してはくれなかった。魅了されても私を穢さなかったのは貴方が初めて。嬉しいの。感謝しているの。だけどまだ私の見たいハッピーエンドじゃないわ」
何色にも染まらない白さで男を誘惑する魔女は笑う。
魅了の歌を口ずさみ続けた柔らかな唇で、王となった少年の額に口づけながら。
「言ったでしょう? ――――私はハッピーエンドが見たいのよ」
私だけハッピーな、世界の終わりが見たいの。
その昔、魔女と人の距離が今より近かった時代。
境界がわからないから、人として生きた白の魔女は、その声に宿る魔で人々を魅了し続けた。
魅了された人達は、白の魔女を欲しがった。白の魔女が拒否しても声に誘われて、誰もが彼女を貪った。神様のように扱いながら骨の髄まで辱めた。
長い日々で相手を支配することを覚えた彼女はいつしか権力者に取り入って国を牛耳るが、魅了の効かない他の魔女の手によって城の地下に幽閉される。
光も声も届かない場所で、朽ち果てるまで長い時を生きていた……はずだったが、魔女の声は天まで届いた。
底から声を響かせて、王族の男を手玉にとった。
魅了して操るが、魅了が強すぎて解放されることはなかった。それでも何度も同じことを繰り返した。何度も王族の男を魅了して、地下へと導き――……。
「お礼に、優しい歌を歌ってあげる」
魔女は歌った。
眠りに誘う子守唄を。
歌を聴いた人々は、声に導かれるように目を閉じた。少女を抱きかかえていた王もまた、愕然とした表情で目を閉じる。
「ハッピーエンドが見たい。幸せな終わりが見たいわ」
だから私が終わらせる。
この世界を終わらせる。
制御できない魅了の魔法で苦しめられた白の魔女は、世界に呪いあれと朗らかに嗤った。
・白の魔女
自分が魔女だと気付くまで時間が掛かったタイプ。人間としての意識が強くて、魔力制御が全くできず、悲劇が起きた。自ら魔法を使うようになったあたりから、既に狂っていた。
世界が終われば私は超ハッピー。
・王様
可愛い傀儡。




