第95話『影の問いかけ』
“笑い声”が消えても、その余韻は空間のあちこちに反響していた。
音は確かに一瞬だったはずなのに、耳の奥ではまだ残響が続いている気がする。
「……幻聴じゃないわよね?」
セリナの声が、わずかに震えていた。
「いや。俺にも聞こえた」
ユークは周囲を見回しながら応える。だが、視界には何も映っていない。
空間はねじれたまま、逆さの都市、宙を流れる砂の川、歪んだ光――すべてが夢のようでありながら、確かに現実に存在している。
(空間そのものが“敵意”を持っている……?)
《万能適応》は、依然として小さな警告を続けていた。
それは、敵を感知したときの「明確な殺意」ではない。だが確かに、“拒絶”の意思がある。
と――
「……また来た」
セリナが囁くように言った。
砂の川の上、何もない空間に“何か”が浮かび上がる。
まるで空間に亀裂が入るように、そこに黒い線が走り、裂けた。
現れたのは、フードをかぶった小さな影。
子供のような体格に見えるが、その顔は……空白だった。
目も鼻も口もない。感情も、生命も感じられない――“何か”。
だが、次の瞬間、その口のない顔が、動いた気がした。
『おまえは――“なぜ来た”?』
脳内に直接響く声。言葉というよりも、問いそのものが意識に投げ込まれてくる。
「……なんだ、こいつ」
(この問い……“精神”への干渉?)
ユークの万能適応が、微細な精神干渉の波を検知していた。
この影は、物理的な敵ではない。“意志”や“動機”に反応する存在だ。
『探し物か? 忘れ物か? それとも、侵略者か?』
ユークの視界がわずかに揺らぐ。意識の深い層へ、何かが侵入してくるような感覚。
セリナもまた、額に手を当てて蹲っていた。
(精神を問われてる……“心の隙”を突かれる……!)
ユークは一歩踏み出した。
「……お前に、答える必要はない」
その瞬間、影がビクリと反応する。
空間が歪み、ユークの足元から“手”のようなものが伸び上がってきた。
「来るぞ!」
ユークは剣を抜き、地面から現れる腕を斬り払う。
影が動いた。空中を滑るように移動し、セリナに向かってくる。
「くっ……!」
セリナが魔法の詠唱を始めるより早く、ユークの一閃が影を横から断ち切った。
――シュウ、と音を立てて、影は霧散する。
だが、その霧の中から、再び“声”が響いた。
『……試験は継続される。侵入者、評価中。』
残された声は、そう言って完全に消滅した。
静寂が戻る。
「……今のは、“試されてた”ってこと?」
「ああ。ここにいる存在は、単純な魔物じゃない。これは……都市そのものが“意思”を持って動いてる。何かの意図で俺たちを“選別”している」
ユークは剣を鞘に戻し、再び前を向いた。
「でも、俺の心を試すってのは――逆効果だな」
冗談めかして笑うユークの横顔に、セリナもまた小さく笑った。
――彼らはまだ、“ナスラム”の深淵の手前にすぎない。
次なる問いが、すでにその奥で待っていることを、彼らはまだ知らなかった。
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