第50話 『黒の書』
ユークは剣を鞘に収めたまま、森の中に残るかすかな魔力の残滓を感じ取っていた。
静まり返った空間には、ローブの男が消え去った余韻が漂っている。
「……消えたか」
ユークが低く呟いたその時、セリナが慌てた様子で駆け寄ってきた。
「ユーク! 大丈夫?」
「ああ……問題ない」
ユークは軽く息を吐きながら、額に浮かんだ汗を拭った。
「……さっきの魔力、明らかに尋常じゃなかった。あのローブの男……ただ者じゃないわ」
「間違いない」
ユークの声は低く、冷ややかだった。
「しかも……“黒の書”だと?」
彼の脳裏には、ローブの男の言葉がよみがえる。
『君には“選ばれる資格”がある』
『黒の書の主になる資格だよ』
「まさか、黒の書が本当に存在するのか?」
セリナはユークの隣に立ち、神妙な顔つきで呟いた。
「黒の書……」
「セリナ、お前は黒の書について何か知っているのか?」
ユークが問いかけると、セリナは少し顔を曇らせた。
「……詳しくは知らない。でも、古い伝承には出てくるわ」
セリナは森の中に視線を落としながら、静かに語り始めた。
「黒の書——“禁断の魔導書”。古代魔法文明の時代に作られたとされる書物で、そこには“死を操る力”が秘められているって話……」
「“死を操る”?」
「ええ。黒の書に記された魔法は、魂を縛り、死者を蘇らせると伝えられている。でも、その存在自体が曖昧で、本当に実在したかどうかもわかっていない……」
「だが、今のローブの男は確かに“黒の書”を口にした」
「もし本当に黒の書が存在しているとしたら——」
セリナの表情が険しくなる。
「——世界にとって、最悪の災厄が訪れることになるわ」
ユークはセリナの言葉に眉をひそめた。
「黒の書が存在している可能性は高い。そして……ローブの男はそれを探している」
「そして、ユークを“器”にしようとしている……」
セリナが言葉を繋ぐ。
「その理由は?」
「……それが分からない」
ユークは剣の柄を握り締めた。
その時——
——ザザ……
森の奥から微かな気配が漂った。
「っ……!」
ユークが即座に剣を抜き、セリナも弓を構える。
ヒュウウウ……
だが、それは風だった。木々を揺らす冷たい夜風が、二人の間を通り抜けていく。
「……ただの風か」
ユークが剣を下ろす。セリナも弓を収めた。
「ユーク……どうする?」
「……決まっている」
ユークの瞳が鋭く光る。
「黒の書について詳しく調べる必要がある」
「でも、それなら……」
「学都ルミナスだ」
ユークは強く言い切った。
「ルミナスには古代魔法に関する資料が集まっている。黒の書の手がかりがあるなら、そこしかない」
「……でも、学都ルミナスに行くには、ギルドの許可が必要よ? それに、今は“王都派”と“帝国派”が対立してる状態……」
「問題ない。どうにでもなる」
ユークは決然と言い放った。
「もし黒の書が本当に存在しているなら……誰かの手に渡った時、世界に何が起きるか分からない」
「……うん、わかった」
セリナはユークの決意を感じ取り、深く頷いた。
「なら、私も一緒に行くわ。ユーク一人にはさせない」
「頼む」
ユークの表情が一瞬だけ柔らかくなる。
「出発は明日だ。ルミナスへの道は長い。準備を整えよう」
「わかった」
セリナは微笑みながら言った。
二人は森を抜け、夜の闇に包まれた道を歩き始める。
その背中には、確かな決意が宿っていた。
黒の書を巡る戦いが、今始まろうとしていた——。
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