表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/5

2 雨のカフェにて、失恋した私は恋を知る


 失恋をしてしまった。


 雨が石畳を打つ。

 馬車から降りるなり、足早に友人と連れ立って向かったのは、木の温もりの残るカフェ。

 

 扉が開くと、澄んだ鈴の音が店内に響いた。


 大きな窓から差し込む淡い光。

 並んだ木製のテーブルをやんわりと白く滲ませている。

 低い天井の梁の木目が、どこか懐かしい感じがした。


 友人と並んで、テーブルにつく。


「ねぇ、ケーキでも食べて元気出して」

「……そうね」


 私が頷くと、友人はメニュー表を私の方に押しやった。


「素敵な男性なんてたくさんいるわ。

 あんな男忘れてしまいなさいな」

「……そうよね」

「大商会の跡継ぎなんて目立つもの。仕方ないわよ」


 彼は、大きな商会の御曹司だった。

 彼に押される形で、お付き合いをしていた。

 それなのに――

 “別の女性と結婚することにした”と言われてしまった。


「……でも、婚約までしていたのに、別の女性に乗り換えるなんて……」


 友人の目が痛々しげに細められる。


 ふと、窓を見た。


 雨粒が、ガラス窓をしきりに叩いている。

 窓の向こうでは、並んだガス灯の明かりが、橙に滲んでいた。


 窓際にいた男性が目に入る。

 きれいに撫でつけた黒髪の若い紳士。


 彼も、静かに窓の向こうを眺めていた。


 視線を手元に戻す。


「でも、いいの。あの人の派手な遊びにはついていけなかったから……。

 もう少し。落ち着いた人がいいわ」

「あなた、夜会に参加したり舞台を観たりするよりも、王立自然公園を歩くのが好きだものね」

「花が好きなの」

 

 自分が着飾るより、綺麗なものを見ていたいと思うのは、そんなに変なことかしら?


「エルダーフラワーが好きなの。ちょうど今の季節だわ」

「白い小花が可愛らしいわよね」

「それに、シロップにしても美味しいもの」


 紅茶に垂らすと、香りも良くて美味しいのよね。

 シロップ入り紅茶に合わせるなら、菓子は何がいいかしら。


「……あなた、そういうところで振られたのかもしれないわね」

「え?」


 なんで?


「あの派手男からしたら、あなたの可憐なところは“地味”にしか見えなかったのよ」


 確かに彼は、シロップ入り紅茶よりワインよね。


 ――つい、ため息がこぼれる。


 彼といても、楽しいと思えることは少なかった。

 でも、振られてしまうのは、やっぱり悲しい。

 

 ガラス窓に当たる雨音が、少し大きくなってきたみたい。

 雨は、もっと強くなるのかしら。

 

 給仕の青年を呼ぶ。

 ようやくメニューを選んで、注文した。


 ――この店に来たら、やっぱり“アレ”よね!


「……もう彼の話はいいわ。

 楽しい話しましょ。

 そう、新作が出たのよ」

「なんの?」

「エリック探偵シリーズの新作よ」


 もう一度、窓際の彼を見た。


 長い指でカップを静かに持ち上げ、紅茶を口にしている。

 端正な横顔。仕草も一つひとつが洗練されていた。

 “派手な彼”とは大違いの、静かな気配。


「ごめんなさい。私、恋愛小説しか読まないの。どんな話?」

「エリックという黒髪の探偵がいてね。

 彼が謎を解き明かしていく話。

 とても理知的で素敵な人なの。トリックを暴くというより、話をして矛盾を探していくのよ」


 窓際の彼。

 きっと探偵エリックが実在したら、あんな感じじゃないかしら。


 ――あ、彼が食べてるのって……。

 

 私たちのもとにも、紅茶とケーキが届く。

 窓際の彼とお揃いの、レモンケーキ。


「ここのレモンケーキ、大好きなの」

「あら、そうなの?」

「口当たりがしっとりしてるの。

 だけど後味はさっぱりしているのよ」


 最高に美味しいのよ!

 仮名“エリック”さんも、このケーキが好きなのかしら。

 ……甘い物が好きだったりして?


 ――あんなに知的な雰囲気なのに……。

 ふふ。かわいい。


「私、この店のレモンケーキが一番好きかもしれないわ」


 食器の擦れる小さな音。

 レモンケーキを一口。


 美味しい。涙が出そう。


 店内に落ちる、雨音。

 馬車の音が近づいてきた。


 あれは、友人を迎えに来た馬車だわ。


 ドアベルの音。

 彼女の家の侍女が、店の入口に立った。


「……ごめんなさい。迎えが来てしまったわ。

 とにかく、派手男のことは忘れて元気出して」

「ありがとう。話せてよかったわ」

「ごきげんよう」

「えぇ、ごきげんよう」


 彼女は柔らかく微笑んで、私に背を向けた。

 木床を踏む靴音。

 再びベルの音がして、友人は扉の向こうに去っていく。


 窓の向こうでは、雨が靄を作っていた。

 通りの向こうが夢の中のように、淡く滲んでいる。


 カップを持ち上げて、紅茶を飲んだ。

 花の香り。

 熱が、喉へと落ちていく。


 一人になると、急にさみしくなってしまうわね。


 派手な彼のことは、さっさと忘れよう。

 今日は帰ったら、エリック探偵シリーズの新作を読み返すんだ。


「あ」


 声の方に視線を向けると、“エリック”さんの膝に乗せていた帽子が、私の方へ滑り落ちて来た。


 衣擦れの音。

 彼が立ち上がった。

 

 私は手を伸ばして、拾いあげる。

 質の良い帽子。

 良い家の方なのかしら。


 視線を上げる。


 青灰の瞳がまっすぐに私を見る。

 正面から見ても、端正な顔立ち。

 静かで、どこか理知的な気配。


 ――あ、


 ……格好いい。


 ……はしたないわ。

 私、失恋したばかりなのに……。


 でも、視線が外せない。


 彼は、私の前で片膝をついた。

 私の手から、静かに帽子を受け取る。


「……拾ってくださって……ありがとう」


 声まで、素敵なのね。


「いえ……」


 指先が、ほんのわずか、触れた。


「もし……」


 彼の視線が、一度落ちる。


「もし良かったら、

 今度、僕とお茶でも……」


 頬が熱くなる。

 思わず俯いた。


 彼とお話してみたい。

 だけど……いいのかしら……。

 ――でも、お茶くらいなら許されるかしら……?


「……はい」


 小さく、そう答えた。

 恥ずかしい。声が震えてしまったわ。


 彼は、ふわりと笑った。

 笑うと少し幼く見えるのね。


 雨の音。

 淡いガス灯の明かり。

 ガラス窓を伝う、雨粒。

 

 雨の日って、こんなに素敵だったのね。


 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ