第27話 兄の手のひら
自分だけがランドセルを持てないという、見えない明日への絶望感に押しつぶされそうになっていた日々は、唐突な終わりを迎えた。
それは夜更けのことである。静まり返った田舎の家で、祖母から突然「明日、お父さんとお兄ちゃんが迎えに来るよ」と告げられたのだ。
理由は、母がつきっきりで過酷な介護を続けていた、父方の祖母が亡くなったからだという。大人の世界で起きた重い事情。そして何より、三歳から始まったこの親元を離れての生活が、不意に終わりを告げようとしている事実。
六歳の私はひどく戸惑い、自分の環境が急激に変わろうとしていることに新たな緊張で胸をざわつかせた。
しかし、その戸惑いを塗り潰すように私の心を占めていたのは、ウルトラマンの図鑑を通してずっと繋がりを求めていた「大好きな兄」に会えるという事実である。
ようやく、迎えに来てくれる。
興奮と微かな不安が入り混じり、その夜は暗い布団の中で何度も寝返りを打ち、なかなか寝付くことができなかった。
そして翌日のお昼。家の前に車が停まる音が響く。
玄関の引き戸がガラリと開き、そこには父と、ずっと、ずっと会いたかった兄の姿があった。三年という月日を経て少し背が伸び、大人びた兄。図鑑のページ越しにしか繋がりを持てなかったその人が、今、確かに私の目の前に立っている。
兄の姿を視界に捉えた瞬間だった。私の中でギリギリのところで張り詰めていた細い糸が、プツンと音を立てて千切れた。
理不尽な保育園での暴力、ランドセルを持てない惨めさ、誰にも言えなかった孤立感と恐怖。六歳の小さな身体で一人抱え込んできたそのすべてが、せき止めていたダムが決壊するように一気に溢れ出した。
私は顔をくしゃくしゃにし、ただひたすらに声を上げて泣きじゃくった。
ぼろぼろと後から後から涙が溢れ出し、しゃくり上げる声で息もまともにできない。兄は私を見て何か言葉をかけてくれていたはずだが、自分の泣き声と激しい感情の濁流に飲まれ、何を言っていたのかは全く覚えていない。
記憶に残っているのは、言葉の代わりに差し出された、兄の温かい手のひらの感触だけだ。
兄は泣き叫ぶ私の頭にそっと手を置き、何度も、何度も優しく撫でてくれた。言葉はわからなくても、その少し大きくて不器用な手の温もりだけで十分だった。冷たい田舎の空気に凍えていた私の心に、その温度がじんわりと染み込んでいく。
三年間に及んだ孤独な生活の終わり。私は兄の手のひらの下で泣き続けながら、自分がようやく「家族」という安全な場所に帰ることができたのだという、確かな救いと安堵の中に包み込まれていたのである。
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