第22話 兄の背中と怪獣たち
私が毎日のようにあてもなく田舎町を徘徊し、小さな本屋さんの軒先でじっと足を止めていたことに、祖母は気づいていたのだろうか。
ある日の午後、祖母は私を呼び寄せると、そのしわだらけの温かい手に包まれたお札を、私の小さな掌へと握らせてくれた。
「いつもいい子でお留守番しているからね。好きな本を、一冊買っておいで」
そう言って目を細める祖母の不器用で温かな優しさに背中を押され、私は一人、小走りでいつもの本屋さんへと向かった。
本屋さん特有の、紙とインクが混ざり合ったような静かな匂い。狭い通路に並ぶたくさんの絵本や児童書を前に、私はどんな本がいいかと真剣に品定めを始める。
色鮮やかな絵本や、楽しそうな乗り物の本が並ぶ中、不意に一冊の分厚い図鑑が私の目に飛び込んできた。背表紙にプリントされていたのは、赤と銀色の巨大なヒーロー。遠く離れて暮らす兄が、東京の家で熱中していた「ウルトラマン」であった。
私は迷うことなく、その重たい図鑑を棚から引き抜いた。
ウルトラマンの物語を知りたいわけではない。ただ、その本を読めば、今は会うことのできない優秀で優しい兄と、少しだけ繋がれるような気がしたのだ。
同じものを見て、同じものを知る。それだけで、バラバラになってしまった家族の糸が、ほんの少しだけ結び直されるのではないかという幼い祈りを込めて、私はその図鑑をレジへと持っていった。
家に帰り、居間の畳の上にペタンと座り込むと、期待に胸を膨らませながら真新しい図鑑の表紙を開く。
しかし、ページをめくった私の目に飛び込んできたのは、正義のヒーローが活躍する輝かしい姿ではなかった。そこに載っていたのは、ウルトラマンと敵対する数百体もの「怪獣」たちがひしめく、文字通りの『怪獣図鑑』だったのである。
最初は、予想していた内容との違いに少しだけ驚いた。しかし、ページをめくる私の手は、次第に止まらなくなっていく。
そこに描かれた怪獣たちは、決してただの恐ろしい怪物ではなかった。奇抜なシルエット、生物と無機物が融合したような禍々しいパーツ、それでいてどこか哀愁を帯びた瞳。ウルトラマンを引き立てるための悪役として生み出されたはずの異形の存在たちに、私は得体の知れない強烈な魅力を感じていた。
特に私の心を掴んで離さなかったのは、その圧倒的な「造形美」である。
左右非対称の歪なフォルムを持つものや、全身が刃物で覆われたような鋭いデザインのもの。彼らの姿を眺めているだけで、胸の奥がドキドキと高鳴り、息が浅くなるのを感じる。それは、今まで味わったことのない純粋な興奮であった。孤独で色のなかった私の世界に、初めて「好き」という鮮やかな感情が流れ込んできた瞬間である。
怪獣たちの姿にすっかり虜になった私は、彼らのことをもっと知りたいと強く願うようになる。
この美しく恐ろしい生き物は、一体どこからやってきたのか。どんな能力を持ち、どんな理由で戦っているのか。図鑑の写真の横にびっしりと書かれた解説文を読みたい。その純粋で強烈な渇望が、字が読めないという私の障壁をいとも簡単に突き崩していった。
「おばあちゃん、これはなんて読むの?」
私は図鑑を抱えて祖母の元へ行き、何度も文字の読み方を尋ねるようになる。
祖母から教わったひらがなやカタカナの形を、怪獣の姿と結びつけながら一つ一つ頭に叩き込んでいく。孤独な田舎の家で、一人静かにページをめくり続ける日々。それは、誰に強制されたわけでもない、自らの意思による猛烈な学習であった。
子供の過集中というものは恐ろしい。毎日図鑑を開き、怪獣の姿と名前を照らし合わせているうちに、私の脳はスポンジのように膨大な情報を吸収していく。
気がつけば、初代ウルトラマンに登場するバルタン星人やレッドキングから始まり、ウルトラセブン、そしてその後のシリーズに至るまで、数百体にも及ぶ怪獣たちの名前、身長、体重、出身地といったデータを、完璧に暗記してしまっていた。
文字を読むことができるようになり、知識を得る喜びを知った。
図鑑の中に棲む怪獣たちは、私がどんなに寂しい夜でも、ページを開けばいつでもそこにいてくれる。彼らは決して私を拒絶せず、裏切ることもない無言の友達となっていた。
親元を離れ、どうしようもない孤独と寂寥の中に沈んでいた五歳の私。そんな私の空っぽだった小さな宇宙は、一冊の図鑑と何百体もの怪獣たちによって、ひそかに、しかし確かに満たされ始めていたのである。
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