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第17話 理解不能な概念と東京者のレッテル


 家族というあたたかい枠組みから突然切り離され、母方の祖母のもとへ預けられた私の孤独な日々が始まった。


 見慣れた東京の景色や匂いとはまるで違う、静かで閉鎖的な田舎の空気。夜になれば蛙の鳴き声だけが響き、家の中はひっそりと静まり返っている。両親も、頼りになる兄もいない見知らぬ部屋の布団の中で、私は言いようのない寂しさと、得体の知れない不安に身を縮めながら、ただじっと朝が来るのを待つしかなかった。


 この土地で私が通うことになったのは、幼稚園ではなく、地元の規模の大きな保育園である。


 そこは敷地が広大で、立派な温水プールまで完備されており、一年を通じてプールの時間が設けられているような、設備面では非常に恵まれた施設だった。しかし、当時の私にとって、その充実はただの地獄でしかない。


 私は極端なほど水が恐ろしかった。顔に水が触れるという感覚そのものが耐え難い苦痛であり、家のお風呂で顔を洗うことすら、毎回パニックを起こして泣き叫ぶほどの一苦労だったのである。


 それなのに、保育園では定期的に水着に着替えさせられ、あの塩素の独特な匂いが充満する、音が反響して息苦しい空間へと引きずり込まれる。他の園児たちが歓声を上げて水しぶきを飛ばす中、私は水面の恐怖にただ震え、一刻も早くこの恐ろしい時間が終わることだけを祈り続けていた。


 だが、プールという物理的な恐怖以上に私の精神を容赦なく削り取ったのが、大きな体育館で毎朝行われる「朝礼」の存在である。


 体育館の冷たい床に整列させられ、園長や先生たちの長い話を聞くその時間の中で、園児たちが日替わりで当てられ、「今日の日付け」を大声で発表させられるという不可解な習慣があった。


 当時の私は、月、週、曜日といった概念によって時間を区切る論理が、根本的に理解できない。


 太陽が昇って朝が来て、お腹が空いてご飯を食べ、日が沈んで夜になり、眠りについてまた朝を迎える。「昨日」が終わり、「今日」が来て、そして「明日」へと続いていく。毎日はただ等しく、同じように連続しているだけではないか。それなのに、なぜそこに人為的な区切りを設け、「何月何日」「何曜日」などという名前をつけて細かく分類する必要があるのか。


 大人は「昨日は日曜日だから、今日は月曜日だ」と得意げに言うが、私にとっては全く理由になっていない。その規則性や必要性が、私の脳ではどうしても処理できなかったのである。カレンダーという大人が勝手に作った理不尽な枠組みを強要される意味が、全く見出せなかった。


 さらに悪いことに、私はその田舎の保育園において、転園してきた「東京者」という極めて異質なレッテルを貼られていた。


 言葉の訛りもなければ、閉鎖的なコミュニティの空気にも馴染めていない私。その目立ちやすさからか、あるいは先生なりの「周囲に馴染ませよう」という配慮が残酷な形で裏目に出たのか、私は朝礼で頻繁に日付発表のターゲットとして指名された。


「仁覚ちゃん、今日は何月何日、何曜日ですか」


 先生の声が広い体育館に響き渡る。ざわついていた空気が静まり返り、全員の視線が一斉に私へと突き刺さる。

 当然、意味すら理解できていない日付など答えられるはずもない。私が口を堅く閉ざしてうつむいていると、無慈悲なペナルティが与えられる。大勢の園児たちが床に座る中、私一人だけが朝礼が終わるまでずっとその場に立たされたままにされるのだ。


 無言で立ち尽くす私の耳に届くのは、周囲の園児たちから漏れる容赦のない嘲笑。クスクスという無遠慮な笑い声が、体育館の反響に乗って私をすっぽりと包み込む。


 そして何より辛かったのは、私を「協調性のない手のかかる問題児」として扱う先生たちからの、あからさまな落胆の視線と深いため息である。誰も助けてはくれない。逃げ出すことも、座ることも許されない。それは幼い心にとって、自尊心を徹底的に踏みにじられる公開処刑そのものであった。


 意味の分からない概念を強要され、答えられなければ見せしめのように晒し者にされる。

 そんな理不尽で屈辱的な毎日がたまらなく嫌になり、私は毎朝のように激しく泣き叫び、保育園へ行くことを全力で拒否し続けるようになる。


「行きたくない! 絶対に行かない!」


 玄関の柱にしがみつき、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにして暴れ回る。大人の力に抗うように必死で抵抗する私をなだめ、どうにか着替えさせて登園させるのは、並大抵の労力ではなかったはずだ。


 祖母は、ただでさえ娘(私の母)の不在や複雑な家庭の事情によって、高齢になってから突然幼い孫を預かることになり、大きな精神的・体力的な苦労を背負っていた。


 それにもかかわらず、私は自分の恐怖と拒絶をどうしても抑えきれず、祖母にこれ以上ないほどの重い負担をかけ、毎朝のように彼女を困り果てさせてしまった。


 言うことを聞かない孫を前に、祖母がどれほど途方に暮れ、ため息をついていたか。当時の私には、ひたすら自分の心を守ることだけで精一杯であり、祖母の苦労を思いやる余裕など一ミリも残されてはいなかった。


 今、あの頃のどうしようもない孤独と恐怖を振り返るとともに、ただ黙って私を受け入れ、過酷な朝の攻防戦に付き合ってくれた祖母に対する深い申し訳なさがこみ上げてくる。


 家族と引き離されたあの三年という長い空白の期間、私は間違いなく祖母の不器用な愛情と忍耐によって生かされていたのだという静かな後悔と深い感謝が、今でも胸の奥に残り続けているのである。



ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。

私の人生録が、少しでもあなたの心に触れたり、「この先どうなるんだ」と興味を持っていただけたなら幸いです。

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何卒、よろしくお願いいたします。

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