第11話 北の大地からの帰還と哀しきヒグマ
我が家の優秀な乗り物であり、頑強な重戦士である父が、長きにわたる出張へ赴くことになった。
目的地は「北海道」。我が領土から遠く離れた、北の極寒エリアである。そこで一ヶ月間という、これまでになく過酷で長期のクエストに挑むというのだ。
毎日私を高い視点へと持ち上げ、家中を闊歩させてくれた忠臣の不在は、私の日常に深刻なバグをもたらした。父がいない生活にどうしても慣れず、私はすっかりご機嫌斜めになり、日々グズり散らかしていたのである。
しかし、我が家には「真の勇者」がいる。
不満を漏らす私を見かねて、真の勇者である兄があの手この手で多彩なスキル(あやし方)を駆使し始めたのだ。お気に入りのおもちゃを絶妙なタイミングで差し出し、時には身を呈して渾身の変顔を披露し、私のヘイト(不機嫌)を見事にコントロールして場を持たせてくれる。
ああ、やはり我が兄は圧倒的に有能だ。私は泣き止むと同時に、勇者の底知れぬホスピタリティに深く感心していた。
そして、長きにわたる一ヶ月が過ぎ、ついに忠臣が帰還する日がやってきた。
久しぶりに父に会える。あの快適な乗り心地を再び味わえるのだ。私のワクワク感は最高潮に達しており、期待に胸を膨らませて玄関の扉が開くのを待ち構えていた。
ガチャリ。
重い扉が開き、そこに大きな影がヌッと現れた。
……ん?
私は瞬きをした。そこに立っていたのは、私の記憶に保存されている「少し不器用だが優しくスッキリとした顔の父」ではなかった。
顔の下半分が、伸び放題の濃い毛でびっしりと覆われている。その姿は、過酷な北の大地からそのまま迷い込んできた未知の魔獣、いや「野生のヒグマ」そのものだった。
誰だ、このむさ苦しい大男は。私の父をどこへやった。
明らかな視覚情報のバグと、未知の魔獣が放つワイルドすぎるオーラに、私の思考は完全にフリーズした。
しかし、我が家の「大魔王」こと母は、私の硬直など一切お構いなしだった。
「ほら仁覚ちゃん、お父さんだよ〜」
大魔王はそんな能天気なセリフとともに、私の体をヒグマの腕の中へとぽいっと放り込んだのである。回避不能の強制接触イベント発生だ。
「……ッ!?」
頬に触れた瞬間、かつて経験したことのない「ジョリジョリッ」という凶悪な感触が私を襲った。
ダメだ、これは絶対に私の父ではない! 私の父はもっと肌触りが良かったはずだ! 貴様、私の父を食ったな!?
パニックが頂点に達した私は、女王の威厳も何もかも投げ捨て、防衛本能の赴くままに全力の「ギャン泣き(音波攻撃)」を発動した。
「アァァァァーーッ!!」
全身をのけぞらせ、ヒグマ(大男)の胸の中で激しく暴れ回り、これ以上ないほどの明確な「拒絶」を突きつけたのだ。
その直後だった。
一ヶ月間、愛娘に会えることだけを心の支えに過酷なクエストを乗り越え、ようやく抱きしめた瞬間に全力で拒絶された父の顔。
そこには、言葉では言い表せないほどの悲哀と、深い絶望が浮かんでいた。
「パパだよ……」とでも言いたげな、あのなんとも言えない寂しそうな顔。ギャン泣きしながらも、そのあまりに哀れな表情だけは、私の脳裏に強烈に焼き付いてしまった。
私の放った全力の音波攻撃は、物理的なダメージこそないものの、父の精神力(HP)を一撃でゼロにしてしまったらしい。
あの日以来、父は「髭」という装備を完全に封印した。
どんなに休日の朝が面倒でも、必ず髭を剃るようになった父のツルツルの顎を見るたび、私はあの日の哀しきヒグマの顔を思い出し、ほんの少しだけ申し訳ない気持ちになるのだった。
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